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4. むすびにかえて−「北朝鮮民主化法」(仮称)策定の必要性−
 現在、北朝鮮の核(大量破壊兵器)問題と日本人拉致事件の解決は完全な膠着状態にある。当面の間、六者協議の枠組みによる核問題の解決は望むべくもないのが実情である。
 同協議が問題解決に向けて本格的に稼働するとすれば、米国の大統領選挙が終わった来年以降(遅ければ来年3月以降)となる見通しである。同大統領選挙の結果次第では(民主党ケリー候補が当選した場合)、米朝2国間協議の開始によって六者協議の枠組み自体が雲散霧消してしまう可能性が高い。核問題の解決が長引けば、そのぶんだけ拉致事件の解決も長期化する懸念がある。
 ましてや六者協議が霧消すれば、拉致事件解決への国際的圧力は確実に弱体化する。もしも核問題の「政治決着」が先行するようなことになれば、金正日政権は拉致事件解決への意思(誘因)を喪失しかねない。
 日本にとって拉致事件解決は焦眉の国民的課題であり、核(大量破壊兵器)問題の完全解決は死活的課題である。両問題の解決の先送り、ましてや曖昧な政治決着は決定的に日本の国益を損なう。そこで、両問題の早期全面解決に向けて、金正日政権に対し日本政府との真摯な対話を促す方策(圧力)を日本単独で強化する必要がある。もし仮に金正日政権が両問題で「対話による解決」の姿勢を示さないのであれば、北朝鮮の体制転換を促す根本的解決策を目指す必要性に迫られる。単独での武力行使が選択肢の外にある日本の現状では、この課題を平和的手段で遂行するほかない。
 現在のところ、日本政府はその一環として経済制裁2法(案)の成立と発動を「外交カード」として用意している。本稿では、第3の方策(カード)として金正日政権に対して直接的な政治的圧力を加える「北朝鮮民主化法」(仮称)の策定を提言したい。同法は北朝鮮における人権状況の改善と民主主義の発展、自由市場経済化を促進するという意味において日本国憲法の崇高な理念および日本外交の基本理念とも合致する。きわめて高度な人道主義法案となるものである。
 本稿の提案する「北朝鮮民主化法」策定は、その着想と雛形を米国の「北朝鮮自由化法案」に置く。同自由化法案は米国の共和・民主両党の超党派議員によって策定され、昨年11月20日に米議会上院に上程された。また、若干の修正を施したのちに下院でもすでに提出されている。
 米国の自由化法案は主に2本柱から成る。「北朝鮮難民の保護」と「北朝鮮の民主化促進」である。後者には北朝鮮向け宣伝放送「AM・FMラジオ放送」と受信機の配付、内外の民主化団体(米日韓の非政府組織)への資金提供が含まれる。これにくわえ、金正日政権の各種犯罪行為を監視・訴追するための関係各省庁による組織横断的な「特別専門委員会設立」が盛り込まれている。
 現在のところ同自由化法案は未成立であるが、来年から米議会上下両院で審議が本格化する運びである。早ければ来年4月には同法案が可決・成立する見通しが高い。大量破壊兵器を開発・所持し、なおかつその拡散の危険性の高い金正日独裁政権を平和的手段で民主化(体制転換)しようと企図するところに同法案の眼目がある。同法案が可決・成立する運びとなれば、米国大統領選挙の結果如何にかかわらず、米国政府は北朝鮮民主化に向けた具体的行動を採る法的責任を負うことになる。換言すれば、北朝鮮自由化法の成立によって米政権による対北朝鮮外交の基本的枠組みが出来上がることになる。
 同自由化法案では拉致問題に関しても次のように明瞭に言及している。北朝鮮政府が「拉致された日本と韓国の国民に関する情報を不足なく完全に開示」しないかぎり、「米国のいかなる省庁・機関は北朝鮮のいかなる政府機関に対しても人道援助を与えてはならない」と。同法案が日本の対北朝鮮外交にとっても資するところ大であることは論を待たない。
 北朝鮮自由化法案の基本的着想は、2001年夏頃より米国務省が中心に検討してきた「北朝鮮難民の大量流出促進」作戦に端を発するものと見られる。大量の難民流出を誘発促進することで金正日体制の動揺を図り、難民保護を通じた民主化勢力を北朝鮮内外で育成することによって独裁体制の転換を目指すという構想である。同法案には年間3,500人以上の脱北者受け入れと年間2,000万ドル程度の北朝鮮難民支援および民主化支援の資金提供が盛り込まれている。
 本来、北朝鮮の難民問題は米国よりむしろ、日本が積極的に取り組むべき課題である。地理的および歴史的な要因にくわえ、近年増加の一途をたどる日本人脱北者や元在日朝鮮人脱北者の問題において日本政府は極めて当事者性が高い。同時に「核と拉致」の両問題では米国よりも死活性が強い。にもかかわらず脱北者問題では、残念なことに米国が法整備の点において一歩も2歩も先行している。米国で法整備がなされれば、かつてのベトナム難民受け入れの際と同様、日本政府は確実に政策協調を求められることになる。それ以前に日本政府が独自に「北朝鮮民主化法」の策定を図る必要がある。米国の自由化法案には、北朝鮮難民を通じた大量破壊兵器情報の収集が目的のひとつとして挙げられている。
 日本政府にとっては、同情報にくわえ、拉致事件に関する情報収集が喫緊の課題となる。この点から見れば、米国の自由化法案とはある種の競合関係に立つ可能性がある。日本独自の民主化法案の策定が急がれる理由のひとつである。
 また民主化法案は、発動の是非が現在検討されている経済制裁2法(案)と相互補完の関係にある。制裁発動に関する慎重論のひとつに、一般の北朝鮮国民に及ぼす経済的打撃(制裁の副作用)が挙げられる。民主化法は、脱北者支援等を通じて、この副作用を最小限に抑える効果が十分に期待される。
 
国民意識が大きく変化した平成15年
政府は対北朝鮮専門組織を作れ
 
平田隆太郎(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための
全国協議会「救う会」事務局長)
 
 平成14年9月17日、小泉首相が訪朝し、平壌で日朝首脳会談が行われ、10月中に国交正常化交渉を再開させることで合意、会談後、日朝平壌宣言を発表した。この日、生存者5人、死亡者8人の名前が報道された。この日の報道では、国民は拉致被害者の死亡報道をそのまま信じて、無惨な結末に憤り、また被害者とその家族を思って泣いた。この日を契機として、日本人の国民意識が大きく変化し始めた。
 「死亡」とされたのは、新潟県で拉致された横田めぐみさん、原敕晁(ただあき)さん、鹿児島アベック拉致事件の市川修一さんと増元るみ子さん、田口八重子さん、欧州で拉致された有本恵子さん、石岡亨さん、松木薫さんの8人。いずれも「病死」か「災害などによる事故死」との信じがたい説明だった。さらに、曽我ひとみさんと共に新潟県佐渡島で拉致された母ミヨシさんと石川県で拉致された久米裕さんは未入国と伝えられた。
 「家族会」はこれらの報道より前に、福田官房長官等の説明を受けるため飯倉公館へ移動させられていた。そこで、突然の死の宣告を受けた後、自分の子どもの生存が伝えられた家族も含めて、「家族会」は沈痛な面持ちで記者会見に臨んだ。わが子や兄弟姉妹の死を聞かされた直後だけに、涙の会見となったが、そこで「このままでは本当に殺されてしまう」と思った横田早紀江さんがマイクをつかみ、「いつ死んだかもわからないような、そんなことを信じることはできません」と叫んだ。
 この一言は、日本人の心を撃った。政府でさえ死亡を確認はしていないのに、なぜ「死亡」と言えるのか。誰も確認していない死をどうして信じることができるか。拉致事件そのものを一切認めなかった北朝鮮が、拉致を認めたことで20年以上に及ぶ国家犯罪が明るみに出された結果、国民は被害者やその家族たちの「生き地獄の日々」を思い、衝撃を受けた。そして怒ったのである。また、その衝撃は拉致事件を否定してきた人々やマスコミ人を戸惑わせた。さらに、金正日が、「特殊機関で日本語学習をするための教官が必要だった」、「合法的な身分を利用して韓国に潜入することが目的だった」とし、「妄動主義者と英雄主義者がやった」と責任をなすりつけたことにも日本国民は怒り、「関係者はすべて処分した」とのことばを疑った。
 10月15日には、生存と伝えられた5人が帰国した。その後、5人は、「政府を信じて家族との再会を待つ」と、日本に永住帰国する意思を関係者に表明した。家族と分断され20数年に及ぶ拉致の間に新たな家族が形成され、ようやく帰国した被害者は再び新たな家族との分断状況を生きねばならなくなったことを、国民は切実な思いで同情し、また北朝鮮への怒りを高めた。さらに、政府部内の会議で、外務省の田中均アジア大洋州局長(当時)が5人滞在延長に異論を唱えたという報道が、怒りを増幅させた。
 政府は、5人の意思ではなく政府として返さないことを決めたのは当然の措置であった。被害者を犯罪者の元に返すようなことをすれば、小泉政権は国民の強い反発を買うこととなっただろう。
 その後1年4か月を経過し、拉致問題は一見前進していないように見えるが、この間に国民意識は大きく変化した。拉致問題は、国民の最大の関心事の一つとなり、毎年2千人規模で行われてきた「家族会」、「救う会」主催の「国民大集会」を平成15年5月7日に開催したところ、5千人の会場には入りきれないほどの1万数千人の参加者がかけつけた。







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