日本財団 図書館


2003年11月号 東亜
新たな軍事改革めざす中国
平松茂雄
(杏林大学総合政策学部教授)
 
 ご紹介にあずかりました平松です。本日は、お招きいただきましてありがとうございました。常日頃、私が研究しておりますことの一端をお話しする機会を得ることができて、大変ありたがく思っております。
 本日のテーマは「新たな軍事改革めざす中国」ですけれども、初めに結論だけ一言二言申し上げておきます。
 世界が情報化時代になってIT革命が行われ、それが軍事領域に応用されて、いま軍事領域で驚くほどの革命的な変化が起こっています。中国もそれを意識して軍事改革を行っているのですが、そのようなことを申しますと、中国の軍事力がすぐにでもIT化された先進的な軍隊で構成されてしまうのではないかとか、逆に「とんでもない、中国にそんなことできるはずがないじゃないか」という意見も当然あると思います。また中国がそういう軍隊になったら大変だと心配をされる方もあるでしょう。
 しかし実際に中国が目指す軍事改革は、ハイテク戦争にいかにして対処するかということです。もちろん中国自身はハイテク兵器を備えてハイテク戦争ができるような軍隊になっていくことを目指しているのですが、それは今すぐにはできません。現実にあり得るハイテク戦争にどう対応するか懸命になって取り組もうとしているということを、まず最初に申し上げておいて、これから本題に入ります。
軍事改革・兵員削減のめざすもの
 この九月一日は国防科学技術大学創立五十周年ということで、式典に出席した江沢民中央軍事委主席はそこで二十万人の兵員削減を行うことを発表しました。兵員削減の情報はこれまでも頻繁に流れていました。それが具体化してきたということです。そして、国防科学技術大学という場で発表したということからも分かりますように、江沢民の頭にあることは軍事革命、情報化軍隊、情報戦争ができるような軍事力であり、それを念頭に置いて兵員削減を提起していることは間違いないわけであります。ただ、このとき公表された江沢民の演説はごく簡単なものであって、具体的なことは分かりません。二十万人の兵員削減ということだけです。
 そこで、兵員削減によって具体的に何を目指しているかというような話をこれから、少し歴史をさかのぼってお話ししたいと思います。
 いま申しましたように、中国軍が「もう一回」兵員削減をやるという情報は、今年になってからかなり頻繁に流れてきておりました。「もう一回」と言いますのは、江沢民は九七年に五十万人の兵員削減を行いましたが、それ以前の八五年に小平が百万人の兵員削減を断行しておりました。江沢民が主席になってから五十万人の兵員削減を実施し、それから何年もたたないうちに、また大規模な兵員削減をやるらしいという情報が今年になってから流れてきました。
 兵員削減は単に兵隊の数を減らすということだけではなくて、何の目的でやるのか、何をやろうとしているのかということが当然問題になるわけですが、情報を収集してみますと、兵員の削減数は多いもので五十万人、また三十万人等と諸説ありましたが、かなりの兵員削減になる点では一致していました。では、兵員削減の目的は何かということですが、それは今申しましたような軍事改革、つまり情報化時代の軍事力をつくることにあります。具体的には大軍区を廃止する、あるいは大軍区を全面的に改造するということです。
 中国軍は中央軍事委員会、つまり北京中央からの指揮を受けています。そして各部隊は大軍区に配備されていて、その大軍区の指揮も受けるという、いわば二重の指揮を受けている構造です。このように指揮が複雑、煩雑であると近代戦争がやりにくい。前近代的な戦争だったらそれでもいいのですが、戦争が現代化すればするほど、特にハイテク戦争のようなものに対応するのであれば、煩雑な指揮系統では困るわけです。指揮の一元化、指揮機構の簡素化、要するにむだのない指揮系統をつくっていく、それゆえに大軍区を廃止するという立場が出てくるわけです。
 それから、中国は大陸国家ですから陸軍兵力が多いため、兵員削減の対象は陸軍です。陸軍を思い切って減らして海空軍に力を入れていくというようなことが言われています。それからいまの指揮系統の一元化に関連して言えば、アメリカの統合参謀本部のような指揮系統をねらっているのだというような情報まで出ておりました。
 兵員削減の情報はこれまでに何回も流れていましたが、なかなか具体化しませんでした。軍事改革、ハイテク戦争ということを考えれば、兵員削減は当然の流れであるというところから出たのであって、これは別におかしいことでも何でもありません。問題はいままでもやろうとしてなかなかできなかったことであり、今度もできるだろうかというところが一つの見どころだろうと私は見てきました。
 今度の兵員削減と軍事改革に関する情報の中で、一つ特徴的なものは、中央軍事委員会副主席である胡錦濤が、昨年秋の中共十六回大会で党総書記になり、さらに今年三月の全国人民代表大会で国家主席になったことから、遠くない将来、軍事委員会主席となり軍のトップになるだろうという希望的観測や思い入れから、今度の兵員削減改革を胡錦濤と結びつける情報が出てきたことです。
 中国共産党中央政治局が、昨年秋の十六回大会のときの文献、これは江沢民の「三つの代表」という今後の党の方針を示したものですが、それに関連した政策の学習会を何回かに分けて行いました。その一つに軍事領域の学習会があり、今年五月二十三日に開催されました。この学習会は党総書記の胡錦濤が主催したものですから当然胡錦濤が中心になるわけですが、その中で胡錦濤が兵員削減、それによる情報化革命をやろうとしているという情報が出てきました。これはもっともらしい情報でありますけれども、この学習会で公表された文献、これは『人民日報』にも『解放軍報』にも載りましたが、これを見てもそのような事実は出てこない。出てこないからといって言わなかったということにはならないのですが、そこでの発言ということを根拠にして、いま申し上げたようなことが胡錦濤によって進められているという情報が流れてきたわけであります。
 本日の講演の最後に申し上げますけれども、胡錦濤は少なくとも軍事領域において力はありません。胡錦濤の関与を強調する見方はかなり意図的に、江沢民の時代から胡錦濤の時代になろうとしているという希望的観測から出てきている情報のように思われます。
江沢民の軍事改革
―ハイテク戦争への対応―
 そういった情報が飛び交う中で、私が初めから注目した情報がありました。今年の三月十一日の香港『文匯報』に掲載された「大規模な兵員削減をもう一回やる」という情報記事です。これが今回の兵員削減について一番最初に現れた情報で、私はそのときに、これはかなり本格的に取り組むための情報として出てきたなと考えました。
 三月十一日はどういう日かといいますと、このとき全国人民代表大会が開かれていました。一般には非常に奇異に感じると思いますが、中国では軍隊が大きな力を持っていますから、共産党の中央委員会でも軍の代表が二〇%前後の割合を占めています。全国人民代表大会では一〇数%という非常に多くの代表が解放軍の代表として参加しています。人民代表大会の代表は各地方から選出されてきますが、それとは別に解放軍が独自に解放軍の代表を選ぶ権利を持っています。その解放軍の代表が会期中に何回かにわたって解放軍だけの会議を開く。そして、そのときに中央軍事委員会主席の江沢民が出てきて「重要演説」を行います。今年の全国人民代表大会で、江沢民がその「重要演説」を行ったのが三月十一日なのです。その日の朝にこういう情報が出てきたということで、私はこれはかなり本物だなと、兵員削減をもう一度やるかもしれない、と思いました。この報道は大規模な、数十万の兵員削減ということでした。私は、この情報が一番信頼できると思い、追いかけてきたわけですが、その後の報道でも、香港『文匯報』の情報は早く、かつ内容も妥当であったと見ています。
 そこで、全国人民代表大会で江沢民が何を言ったかということですが、昨年の中共十六回大会でも江沢民が演説をしており、これからの戦争はハイテク戦争、情報化戦争であり、それに相応した軍隊をつくっていかなくてはならないという内容で、それを再度人民代表大会で繰り返しました。
 余り細かな話まで立ち入ることはできないのですが、十六回大会で江沢民が演説した後、この十六回大会における江沢民の軍事関係の部分を学習するキャンペーンがありました。そして、全国人民代表大会が終わってからも江沢民の「重要講話」を学習する動きが繰り返しあり、今年の八月一日の建国記念日にもそういう動きが出てきました。こういった流れから推測すると、江沢民のやろうとしていることがなかなか合意を得られず円滑にいっていない、かなり進んではいるのでしょうが円滑に進んでいないのではないか、そういう疑問が出てきます。
 それから主要な軍事指導者の発言を見てきますと、かなりばらばらなところがあり、なかなか合意が得られていなくて懸命になって合意を得ようとしていることがわかります。二十万にしろ五十万にしろ、百万になったらなおさらですが、兵員削減というのはそんなに簡単な問題ではありません。単に人間の数を減らすだけではなくて、それによって軍隊の改革、軍事体制の変革、あるいは部隊の改編をやろうとしているわけですから、なおさら簡単に「はいそうですか」と言って軍隊の方も、軍人の方も合意できないところがある。積極的な人間もいれば消極的な人間もいるし反対の人間もいる。兵員削減というのは、首になる人間にとっては、明日の生活にかかわる問題です。これから中国の軍事力を強化し近代化していくためだという大義名分があろうとも、こと問題が自分の身にふりかかってくるとなれば、人は反対し抵抗することになります。いわんや今までの部隊がどんどん変わっていくということになれば、なかなかそれについていけない者も出てくる。これとは反対に、これからの軍隊には改革が必要だといって非常に積極的な者もいる。そういったもろもろの複雑な問題が出てくるわけですから、そう簡単に合意は得られないし、それからまたそういう合意づくりを頻繁にやるからといって江沢民が支持されていないととることもできない。少しずつ目的に向かって進んでいっているのだろうというのが私の見方であります。
 いま江沢民のやっている軍事改革はハイテク戦争、IT革命に相応した軍事力をつくるということでありますが、それは一足飛びにできるわけではありません。中国軍のこの二十年来の歴史を振り返ってみるならば、やはり、そういう方向に向かって漸進的に進んできているのです。そこで、ごく簡単に、ざっと今までの歴史を振り返ってみたいと思います。
中国の軍事改革
―毛沢東時代から小平時代―
 先ほど申しましたように、八五年に小平が百万人の兵員削減をいたしました。これは非常に大きな意味があり、これからのハイテク戦争に即応する軍隊ができるということも大変革命的なことではありますが、ある意味では小平の百万人削減は戦略的な意義を持つ変革であったのです。
 ご承知のようにそれまでは毛沢東の時代で、毛沢東の軍隊というのは、簡単に言えばゲリラ戦を中心にした前近代的な人民戦争を基本とする軍隊でした。それからの脱却を図ったのが、この百万人の兵員削減による合成集団軍の編成でした。
 実際には百万人以上の兵員が削減されています。「百万人の削減」というのは一つの言葉のあやで、非常に大規模な削減を行ったとご理解ください。それは、毛沢東の人民戦争の時代から完全に別れて近代的な軍隊に進んでいくということであります。ちょうど百万人の兵員削減が進展していくと同時に、『解放軍報』で「国防発展戦略」という議論が行われました。当時、私はこれを見ていて、非常に先端的な進んだことを議論しているという点で驚くと同時に、「そんなことできっこないのではないか」というのが率直な感想でした。
 振り返って見るならば、いままさに中国軍がやろうとしているIT革命の指針が大体この段階において「国防発展戦略」の中でほとんど提起されているのです。それは将来の方向性であって、その点においては、真剣な議論であったと言えます。しかし当時、私自身は関心を持つと同時にあきれてしまって、こんな現実離れしたことをやろうとしているのはばかばかしいということで、その後、国防発展戦略の研究を続けるのをやめてしまったのです。今となってみれば、このときずっと関心を持ち続けるべきだったと思うことしきりですが、当時は他にも研究しなくてはいけないことがあったので、やめてしまいました。
 ところが、数年後の九一年、湾岸戦争を契機として、この時の論議が中国軍の中で市民権を得ることになったのです。
 さてここで、合成集団軍について述べておきます。合成集団軍とは、それまでの歩兵中心の軍隊ではなくて、いろいろな軍種、兵種から編成される軍隊です。「軍種」というのは陸軍・海軍・空軍、それから中国軍ではまだミサイル部隊は軍種に入っていませんけれども、準軍種ということでミサイル軍、それから「兵種」というのはそれぞれ軍の中で、例えば陸軍だったら歩兵とか砲兵とか戦車とか、工兵とか高射砲部隊などを指します。海軍だったら水上艦艇部隊、それから潜水艦部隊、あるいは陸戦隊、海軍航空兵といったようなものが兵種です。
 近代戦争はそういった軍種、兵種の部隊が個々独立して戦闘したり行動するのではなくて、一つの目的に向かって協同で作戦し運用される。それを中国軍では「合成」と言いますが、そういう合成集団軍をつくっていこうということであります。これはごく当たり前のことですが、いま申しましたように合成集団をつくるその目的は、将来におけるハイテク戦争をそれなりに意識した方向でありました。
 それからついでながら申しますと、このときの国防発展戦略を中心となって指導したのが、この間まで総参謀長をやっていた傅全有という軍人で、当時成都軍区の司令でした。私は、この傅全有という軍人が国防発展戦略の中心人物だったという点で非常に注目をしました。この人は成都からその後蘭州軍区の司令となり、そして北京にやってきて総後勤部、すなわち後方支援、兵站をやる部門の部長となりました。ついで総参謀長になりました。この人の動きを見ただけでも、中国軍は合成集団軍からハイテク戦争へと着実に進んできていると思います。
 百万人の兵員削減による合成集団軍の編成は、八七年末に「基本的に完了した」と発表されました。そして翌八八年、階級制度が復活します。私は、この時点で小平の軍事革命の第一段階が終わったと見ています。これは制度上の改革であり、これからはそれが実質を伴っていく段階、質的建設に入るだろうと見ました。
中国軍事改革の歴史―江沢民時代―
 一方その間に、小平が自分の後継者として予定していた胡耀邦が失脚し、ついで趙紫陽も失脚、そして江沢民が出てきました。江沢民は、非常に幸運な政治家だったと私は思います。本来だったら胡耀邦とか趙紫陽がやるべき軍隊の質的建設を江沢民がやることになりました。軍事改革にしろ質的建設にしろ、すべて小平がつくったプランであって、それを小平が抜擢した軍人、いま言った傅全有とか、それよりもっと上のレベルでは張万年といった人たちが集団でこれを進めてきました。江沢民はその上に乗っかっていたというのが私の見方です。
 その矢先、湾岸戦争が起こってハイテク戦争の時代に入り、中国の軍事改革はハイテク戦争に対処できる軍事力を構築する方向に進み始めるわけであります。
 江沢民は中央軍事委員会主席になって以後、さまざまなことをやってきましたけれども、基本となったのは「新しい時期の戦略」を提起したことです。これからの戦争は「ハイテク条件下の局地戦争」という言い方を中国はしているわけでありますけれども、「これから中国軍が直面する戦争はハイテク戦争である、全面戦争ではなくて局地戦争であり限定戦争である」という戦略方針に基づいて、その方向へ向かっての転換が行われていきます。それを江沢民は「二つの転換」という言葉で言い表しました。
 一つは、これからの戦争は局地戦争だけれども、これまでの通常戦争による、通常戦争時代の一般的な条件下の局地戦争から、ハイテク条件下の局地戦争、ハイテク兵器が使われる局地戦争への転換です。
 もう一つは、数量規模型の軍事力から質量規模型の軍事力、人力集約型から技術集約型の軍事力への転換です。ちょうどこの時期は、九七年に共産党の十五回大会が開かれていて、小平逝去後の江沢民の政治指導力を固めていく時期にあたり、そうした政治の動きの中で、軍の「量」から「質」への転換という動きが出てきました。同時に江沢民「神格化」の動きも出てきます。それは、江沢民は毛沢東と小平に継ぐ三代目の軍事指導者である、そういう意味での「神格化」ということであります。
 他方、その間の九五年夏から秋にかけて、台湾の李登輝総統のアメリカ訪問があり、中国がその報復として台湾海峡で軍事演習を実施し威圧を加えるということがありました。ついで、翌九六年の三月に台湾の総統選挙があり、台湾で初めて公選が行われて李登輝が総統に選出されました。そのときにもこの選挙を妨害する目的で、台湾海峡で軍事威圧を加えることがありました。そういった動きの中で、江沢民の神格化が十五回大会に向けて進んでいきました。
 そして、九七年の中共十五回大会で兵員五十万人削減が提案されましたが、それ以前にも兵員削減の情報は頻繁に出ていました。私が知っている限り一番早い情報としては、八五年から八七年にかけての百万人の兵員削減をうけて、八九年に入ると、もう一回かなり大規模な兵員削減をやるという情報が出てきました。私はそのとき、百万人の兵員削減でも大変だったのにそれに続いてまたやるなんてことは無茶で、そんなことができるのだろうかと、疑問を感じました。
 しかし小平としては軍隊の規模が大きすぎるし非常に能率が悪い、機動的な指揮ができない、したがってできるだけ余分な人間、余分な部隊は削っていきたいと考えたわけです。また、兵員削減によって浮いたお金でもっと効率的に軍の近代化を図っていこうという意図もよく分かりますが、私はそう簡単な問題ではないなと思っていました。それから半年後に天安門事件が起きて兵員削減どころではなくなります。そして、江沢民が出てくるわけです。
 九〇年代に入ると、また兵員削減をやるという情報が出てまいりました。そして、九二年に小平が江沢民と、もう一人、楊尚昆という軍人がまだ健在だったのですが、この二人に向かって「軍隊はまだ規模が大き過ぎるからもっと兵員削減をやれ」ということを指示したと言われております。このとき小平は大軍区の指導者が勝手なことをしているということも匂わせています。大軍区の指導者をとにかく異動させなければならない。これまでも何回か異動は行ってきてはいるが、大軍区の司令は移動する場合に、家の子郎党を引き連れて行くなと指示しています。
 これまでにも大軍区の指導者による「私物化」はずいぶん言われてきましたし、文化大革命のときなどには、そういったことから軍閥化するのではないかというようなことが言われました。そういう情報が出てくるところを見ると、やはりトップクラスの人事異動というのは簡単ではないし、それをやると家の子郎党まで移っていくということが、まんざらでたらめでもないのだなということもうかがわれます。
 それでは兵員削減によって何をやるかということになりますと、最初に申しましたような、大軍区をなくすとか、あるいは改変するとか、あるいはもっと一元化され、簡素化されたシステムにするとか、アメリカ流の指揮系統をつくるとか、また陸軍が大き過ぎる、合成集団軍をもっと減らすといったような、そういった情報が出てきました。
 そういう流れが出たところで、今度は公の場で非常に注目された発言が出てきました。当時軍のトップ、軍事委員会の副主席であった劉華清が党の学校で行った演説が共産党の機関誌『求是』(九三年第五期)に発表され、それが『人民日報』や『解放軍報』に転載されました。これは非常に重要な論文で、いろいろなことを述べていますが、劉華清もハイテク戦争の方向に向かっての軍事戦略、軍事政策ということを考えています。しかし、劉華清は、方向性はそうであるにせよ、そんなに簡単にできるわけではないということも強調しています。
 現実に中国軍ができることを考えれば、ハイテク戦争は確かに重大な関心事ではあるけれども、劉華清ははっきりと「湾岸戦争というのは特殊な戦争であった、余り湾岸戦争にこだわるな」ということを言って、ある意味ではハイテク戦争への方向に水をかけたのです。「中国は非常に大きな国土であり、この非常に多様な要素を持った国土を守るということになると、ある程度の兵員規模が必要である。三百万人の軍隊は別に多くはない、このぐらい必要だ」という発言をしたわけです。兵員削減に水をかけたという表現は少しオーバーすぎるかもしれませんが、ずっと流れを見てきますと、劉華清は兵員削減に対して待ったをかけたと言えます。しかし、その後も兵員削減の動きというのは出てきます。江沢民が十五回大会での権力基盤の強化を目指す中、ハイテク戦争へのいろいろな動きが出てくる。そして五十万人削減ということになるのです。
 五十万人削減で具体的にどういうことがなされたかというと、公式にははっきりとは掴めませんが、合成集団軍が多過ぎるから減らすということで、このとき三つの集団を減らしました。一つの集団軍は五万人前後ですから、三つ減らすと十五万人削減になり、かなり大きなウェートを占めたと思います。全体として言えることは、陸軍が削減されているということですが、私が五十万人削減に関連して注目している点は、陸軍削減とほぼ並行して後方支援部隊の変革が行われていることです。中国軍では「後勤」といっており、われわれには非常になじまない言葉なので、私は「後方支援」という言葉を使っているのですが、「兵站」という言葉でもよろしいかと思います。後方支援部隊の改革が行われたこと、私はそれが一番重要ではなかったかと思っております。
小平 兵員百万人削減の意味
 小平がやった兵員百万人削減の一番の対象は、野戦部隊、つまり実戦部隊です。軍隊は実際に戦闘する野戦部隊、実戦部隊の他にいろいろな部隊があります。特に毛沢東時代の軍隊というのはいろいろな部隊が混在していました。公安部隊から民兵まで皆武装力として一括りになっていたものを、小平時代に入り整理していくわけですが、百万人削減を実施した一番の眼目は野戦部隊を近代化すること、そしてそれを合成集団軍に編成することでした。これは制度化されて、九〇年代に入るとこの合成集団軍が質的建設の段階に入りました。
 具体的にどのようなことをしたかと申しますと、合成集団軍の訓練を始めました。それぞれの部隊が自分勝手に戦争するのではなく、お互いに他の部隊、他の軍種、兵種の部隊が有機的な関連をもって運用され、共同作戦、統合作戦をとる方向に進まなければいけないわけで、そのための訓練を始めたのです。そうなると当然、そのための戦略戦術を考えなければならないということで、中国でいうところの「戦法」研究が同時に並行して行われるようになりました。これが九〇年代を通してずっと進んでいきました。
 訓練の成果を検証する、当然そこでは新しい兵器も装備されていくわけでありますから、その装備の性能の検証、それからそういった部隊の訓練の検証をするための演習が、かなり大規模に頻繁に繰り返されました。国防費がどんどん増えていくというときに、この国防費の増大は一体何だということがずいぶん言われたわけですが、私はこれだけのことをやっていったら、これだけでもずいぶん経費がかかっているのだろうなというふうに感じました。
 また、今までの演習というのはせいぜい大軍区で行われたわけですが、九五年から九六年にかけて、李登輝総統を牽制するために台湾海峡で武力威嚇をやった時期に「戦区」という言葉が出てきたことは注目に値することです。つまり大軍区を超えて戦区というものがつくられたのです。新しい合成集団ができて、レベルの高い戦争を目指していく。そうなってくると、それは大軍区で運用されるのでは到底意味をなさない。例えば、台湾に対して軍事力を行使することがあるかないかわかりませんが、当然軍隊としては「ある」ということを前提として訓練をやります。例えば台湾軍事侵攻を考えれば、南京軍区と広州軍区がそれぞれ独立して戦争を考えていたのでは意味がないということから、広州軍区と南京軍区をまたいで、軍区を超えた戦区がつくられ、そこで戦争の指揮が行われる。
 そうなってくると、これは大軍区の指揮ではなくて当然、北京の中央軍事委員会の直轄指揮下に入らなければならないという方向になってきます。また、それは陸軍だけではできない問題で、特に台湾侵攻になれば、まず海を渡らなければいけない、そしてその前には空軍が出てきて制空権を握らなければなりません。あるいはミサイル部隊が出てきてミサイルを打ち込むことになってくる。それが統合作戦の姿であるわけですから、そういう方向に進めば、大軍区は邪魔であるという理由から戦区に発展するのです。今までにも大軍区をなくして指揮を一元化する情報が出てきているということを申しました。それは、こういう流れから見れば当然のことであり、その方向にいくことは間違いないわけですが、おいそれとそう簡単にいかない。そういう方向に進みかけてきているという段階です。
 あくまでもテスト部隊とかモデル部隊といったような一部のものであるにしても、野戦部隊の改革はそういうレベルにまで進んでくる。そうなってきますと、今度問題になるのはそれを支援する後方支援部隊、後方部隊の改革です。野戦部隊だけ改革してかなり先端的なものができても、後方支援ができなければ何の意味もありません。そこで、その後に後方支援の改革が行われることは当然です。
 そういった改革を、五十万人削減を一つの契機として行おうとしていたのだろうと私は推測してみましたが、多分それでよかっただろうと思います。五十万人削減では他のことも行いました。合成集団軍の数、つまり陸軍が多過ぎるから減らしていこうということで、三つの集団軍が削減されたという情報もあります。その他にも学校の改革、兵役制度の改革などいろいろなことが行われておりますけれども、一番の眼目はそちらではなくて後方支援の改革だったと私は思っております。
 また私は、それで改革は一段落したのではないかと見てきました。もちろんもっと数を減らして、効率的に資源や資材、財源を使った方がいいわけですが、劉華清が言っているように、中国は非常に広大で多様な要素を持った国家です。また、中国国内も十分に統治されているわけではありません。隣接する国も非常にたくさんあることを考えれば、レベルは低くてもある程度の規模の軍隊を持たなければいけない、正規軍、野戦部隊以外にそういったものが必要だろうというところで一応収まるのではないかと思っていたのですが、今年になってまた兵員を削減するということになったわけであります。
江沢民の軍事改革
―情報化された機械化軍隊―
 ここで江沢民の軍事改革の目的である「情報化された機会化軍隊」について述べておかなければならないと思います。情報化された情報時代の軍隊、IT化された軍隊をつくる必要性は十分に分かっているにしても、実際にはなかなかできない。江沢民が五十万人の兵員削減を断行した九七年から現在にいたるまで、中国軍の中で軍事変革に関する論議が行われています。これからの戦争は火力の戦争ではなく情報戦争だ、軍隊は機械化部隊ではなくて情報化された軍隊でなくてはならない、ハードキルの時代ではなくてソフトキルの時代だ、そういった議論が活発に行われました。それがかなり具体化されて出てくるのが、「三打三防から新三打三防へ」です。
 「三打三防」とは、戦車、航空機、空挺部隊に打撃を与える(三打)、核兵器、生物兵器、化学兵器を防御する(三防)、「新三打三防」とは、ステルス攻撃機、巡航ミサイル、武装ヘリコプターに打撃を与える(新三打)、電子干渉、精確攻撃、偵察監視を防御する(新三防)を言います。たとえてみればソ連が中ソ国境から機甲化部隊でもって攻め込んできたとき、中国側がそれに対してどう対応するか、そういう戦争を想定して行われたのが「三打三防」です。
 それに対して、もうそのような戦争の時代ではないよというのが「新三打三防」で、これは湾岸戦争からコソボ戦争、そして今度のイラクの戦争、あるいはその前のアフガン攻撃といった戦争を想定しています。こういう戦争を目の当たりにすると、中国軍の中でも、もはや「三打三防」の時代ではなくて、「新三打三防」の時代だという議論が出てくるのは当然なわけであります。ただ、それはやろうとしてもそう簡単ではない、ならばこれからの中国軍をどうしていくのか、火力戦争か情報化戦争かというような形で活発な議論がされています。
 これについては私も一応目は通しましたけれども、大変おびただしい数の文献が出てきて、ああだこうだと議論しているわけです。しかしながら結局詰まるところは、一体中国にそういうことが現在できるのかどうか、時間のかかる将来の問題として、そんなのんきに時間をかけていられるのかという問題になってくると、現実的な問題としては、起こり得るハイテク戦争に対して中国はどう対応していくかという問題になってくる。そうすると、先ほどの劉華清が湾岸戦争というのは一つのこれからの戦争ではあるけれどもこれは特殊戦争であり、特異な戦争だということを言っているように、現在の中国の持てる能力でどうやって戦うかという、そういう改革方向にならざるを得ないという動きが出てくるわけです。
 江沢民はそのあたりの事情をのみこみ、両極端ではなく真ん中あたりを進んでいこうという方針でしょうが、そういうことを考える上で、二〇〇〇年に採択された「指揮自動化建設要綱」が意味をもつので、次に少しお話ししようと思います。これからの時代はIT革命の時代であり、当然指揮の自動化を図らねばならないので、恐らく九〇年代中頃に済南部隊がテスト部隊というかモデル部隊にされて試行錯誤を繰り返し、それをもとにこの要綱がまとめられ、これを普及していこうとしていることが分かります。
 この要綱に関連した文献をひもとくと、要綱発表までの経過がよく分かります。済南部隊のある師団が自動化されたのだけれども、個人や部隊が勝手に行動していて部隊として十分それが発揮されていない。そのときに一つの例として出てくるのが新しい装備、機械装備、火力装備です。例えばある一つの新しい火砲が入ってきても、それをぶっ放して当たったといって喜んでいるだけでは戦争にならない。それと同じようにIT革命が進んだけれどもそれが各個人や部隊のレベルで終わっているのでは、自動化しても何の意味もない。それを懸命になって済南部隊はテストしたわけで、九〇年代を通じてIT革命化を懸命に進め、済南部隊が一応それをクリアしたので普及していく段階に入った。それが「要綱」の発表です。
 また、これも余談ではありますが、テスト部隊である済南の師団は葉挺独立団だということがわざわざ明記されています。葉挺独立団は革命時代の英雄部隊です。つまり葉挺独立団はまさにゲリラ戦争をやったときの模範部隊なのですが、その部隊がハイテク戦争という最先端の軍隊モデルとなっているということに私は大変興味を持ちました。毛沢東時代が終わって、軍隊近代化の時代に入る、そうすると毛沢東時代の軍隊は全無視されてつぶされ、必要なくなっていったのではないかと私は思っていましたが、実はそうではなくて、毛沢東時代の部隊が生まれ変わってきているのです。
 今から三年前ですが、九九年の建国五十周年軍事パレードをご覧になった方もあると思いますが、あのパレードに出てきたかなりの部隊が革命時代の英雄部隊であったということが大分たってから分かりました。私は、建国五十周年のときのことをまとめたものを、『東亜』(一九九九年十一月号「軍事パレードから見た中国軍の近代化」)に載せていただきましたが、それを書いたときにはそのことは分かりませんでした。その後大分たってから、パレードに出た部隊のこれこれはこういう部隊だったということを知り、毛沢東時代の英雄部隊、模範部隊が新しく生まれ変わってきていることに驚きました。
 それから、「新三打三防」に関連して科学技術練兵というのを行いましたが、そのときの模範部隊として紹介された中にも革命時代の英雄部隊が出ています。つまり、英雄部隊は始めから終わりまで恵まれた立場にいる、つまり非常に金をかけられて成長していっているわけで、少し短絡的かもしれませんが、兵員削減されてつぶされる部隊というのはどうでもいいような部隊か、何らかの政治的な意味でつぶされた部隊ではないだろうかということが推測できるわけです。毛沢東の時代が終わったら、もう毛沢東は関係ないのだと思っていたのですが、どうもそうではないらしいということです。
 ここで本題に戻りますが、新三打三防でも、ステルス戦闘機や巡航ミサイルに対して中国も同じステルス戦闘機や巡航ミサイルで対応するということではなくて、いかにしてステルス攻撃機や巡航ミサイルを打ち落とすかということで科学練兵、新三打三防というのは行われています。
 そういうようなことを話しますと、そんなばかなことができるわけがないと皆さんはおっしゃるかもしれませんが、例えば湾岸戦争や今度のイラクの戦争のときには全くだめでしたが、コソボのときにはユーゴの軍隊が高射砲でステルス戦闘機や巡航ミサイルをずいぶん落としている。中国はそこに注目して、劣勢でも優勢に対応できるのだと、まさに劉華清が言っていることはそこにあるわけで、将来のハイテク戦争というものをはっきり見据えた上で、中国の現実を考えると何ができるかということであろうと思います。
 中国の軍隊はそうまでしてそんなことをしなければいけないのか、一体中国は何を考えているのかという疑問も出てきますが、詰まるところ、将来やるかどうかはともかく、台湾の軍事統一ということを考えたときには、当然アメリカから新三打で攻撃される、それに対して新三防で対応する準備をしていること、少なくともそういう気構えがあるということを示そうという意識がこういうところに表れていると思います。今さらながら中国軍の考えることに、私はやはり慄然とせざるを得ないということを感じます。
兵員二十万人削減の目的と意義
 そういう中で二十万人の兵員削減が出てくるわけですが、この兵員削減の目的は何か。それは、今までと同じように頭数を減らして資源や財源を効率的に情報化や部隊の建設にまわそうとしていることはよく分かります。では、具体的にどういう部隊が削減の対象になっているのか。この件に関しては今までの情報とは異なる、非常に私自身が「おや」と思う動きが出てきました。
 今度の削減の一番の改革は何か、削減によって何を改革するのかを見た場合、一番の眼目は海軍と空軍であるということに私自身驚きました。海軍と空軍の何を改革するのかといいますと、海軍は海軍基地をつぶすということですね。具体的に申しますと、中国の海軍には三つの艦隊があります。青島の北海艦隊と寧波の東海艦隊と、湛江、雷洲半島の付け根の南海艦隊です。その艦隊の下にそれぞれ三つの海軍基地があります。旅順、青島、葫廬島、東海では上海、舟山、福建、南海は湛江、広州、楡林。それぞれ三つずつあります。この九つの海軍基地をつぶす。九つの海軍基地の下に水警区があって、そこに配属されていた艦隊は司令部が直轄する。つまり、これによって中央が直接コントロールし、指揮するようにするというわけです。
 また、空軍では第一軍から第十軍まで十の軍級組織がありますが、これをつぶす。そして、空軍は師団編成、つまり師団にする。それによって、実戦部隊を中央が直轄できるようにするということです。そういう情報が、香港『文匯報』に出ています。先ほど香港『文匯報』が一番正確に情報を伝えていると申しましたが、そのような報道が一番早く出てきたのが香港『文匯報』です。私はそれを見て、なるほどなと思いました。陸軍は確かにいろいろ問題を持っていますが、合成集団軍テスト部隊、モデル部隊など一部ではあるにしても、合成部隊、統合作戦の方向へ動いてきている。
 問題は、その改革に海軍や空軍が加わっていけるかどうかということで、それを考えた場合、それぞれの上が邪魔になってくる。頭でっかちで困る部分をなくすことによって中央がコントロールしやすくなる。必要に応じて戦区をつくり、そこでその必要に応じた統合部隊をつくっていって統合作戦をやるという方向に向かっているわけです。そういう意味では、海軍と空軍の改革で、合成部隊、統合作戦は一応制度化されるのではないだろうかという感じがするわけです。今後の改革によって、トップクラスの機関がつぶされ、約二百人の将軍が首になるようです。
 もちろん陸軍も削減の対象になっていて、これも香港『文匯報』がやはりいち早く報道していますが、二つの集団軍がつぶされる。しかし大軍区は存続する。大軍区をつぶすことはなかなか大変なことです。海軍と空軍もトップの機関をつぶすことは大変なことだと思います。旅順基地とか上海の呉淞基地、舟山基地といった歴史のある基地をつぶすということは大変なことで、果たしてスムーズにいくのかどうかという疑問がないわけではありません。
 大軍区をつぶす、あるいは大規模に改革するという動きは今回もどうやらないようで、私はやはり劉華清が言っているように、中国という国を守ることになれば大軍区のようなものは必要であるし、そこにある部隊は野戦部隊、非常に機動力のある先端的な部隊ではなくて、レベルは低くてもある程度の数が、警備、治安あるいは国境の警備といった点からも必要だろうと思います。そういう意味で、劉華清はやはり軍人として中国軍の実態をよく見ていると感じますし、江沢民の考えも多分それに近いのだろうと思います。警備とか公安ということになれば、これは正規軍でなくても人民武装警察でもいいわけです。そういう意味で、削減されていった軍隊のかなりが人民武装警察になっているとか、あるいは予備役になっているという情報がありますけれども、当然だろうなという感じがするわけです。
軍事改革における胡錦濤の位置づけ
 そこで、この軍事改革において胡錦濤が一体どういうふうにかかわっているのか、これが大変重要な問題だと思います。少なくとも胡錦濤が軍事委員会の副主席になってから軍事領域でかかわった問題は何かといいますと、まず一つは、兵員削減によって退職している幹部の再就職の問題で、これは大変重大な問題です。これは軍隊の問題でもあると同時に党の問題でもあり、国家の問題であるということで、党総書記や総理が前面に出てくることになります。胡錦濤は軍隊の退職幹部の就職問題で最近新しく暫行弁法をつくりました。今まで、再就職は国家が上から有無を言わせず配分を決定しました。人数が多いので一人一人配分するということはとてもできないので、部隊ごとどこかに移してしまうわけです。しかし、このように一方的に再就職先を決定する方法は新しい中国にふさわしくない、特に社会主義市場経済にふさわしくないということで、中国では現在労働力も市場化されています。したがって、退職幹部の再就職問題も本人の意思に任せて決めようということを胡錦濤が言っているのです。
 確かにこれは新しい時代の中国にふさわしいやり方ではありますが、そんなきれいごとを言っていたら、果たして再就職問題が解決できるのだろうかという疑問も残ります。他方で、退職する幹部の部隊ごと西部開発に投入しろという議論も出ています。私はこれがかなり現実的であると思うわけですが、軍事改革において胡錦濤がかかわっている大きな問題は再就職問題です。
 また、胡錦濤が党総書記になる前、まだ江沢民が三権をにぎっていた時代でありますけれども、そのときに江沢民が軍隊の生産活動を停止するという非常に思い切った措置をとりました。これは、江沢民の一つの英断です。だからといって円滑に停止できたかどうかは別問題ですが、そのときに軍隊に向けてそれを命令したのが軍事委員会副主席になったばかりの胡錦濤です。当時、私は何か一番嫌なことをやらされているなと感じましたが、胡錦濤がやっている大きなことはこの二つだけ。少なくとも公式報道で見る限り、ほとんど軍事政策、軍の重要な動きにはかかわっていません。胡錦濤が副主席になったときに、この人は軍の指導者としてこれから出世するかどうか見極めなければいけないと思って、かなり丹念に追いかけました。そのときの胡錦濤の動きというのは、外国からの賓客、軍事関係の賓客が来たときには必ず会っている。しかしながら、中国軍自体のいろいろな動きにはほとんど関係していない。どうも江沢民は胡錦濤に肝心の軍事政策にはかかわらせていないという感じがいたします。
 江沢民が天安門事件の後、中央軍事委員会主席になったときに驚くほど精力的に部隊を視察したり発言をしたり、いろいろな重要な政策を出しています。これは、江沢民みずからやったのではなく小平が全部お膳立てをしてやった、江沢民がそれに従って動いただけだと思いますが、しかしながら驚くほど動いています。
 それから、胡耀邦と趙紫陽にしても、江沢民ほどではないけれども、かなり部隊を視察したり重要な動きをしたことと比較すると、胡錦濤は余りにもそれがなさ過ぎる。あるいは、しているかもしれないけれども、少なくともそれは公には報道されていないというところを見ますと、私は胡錦濤はこの兵員削減には全く関係ないし、江沢民の後継者になりうるかということになってくると、江沢民には余りその気はないのではないだろうかという感じがします。両者の関係に何か問題がありそうです。
 時間がオーバーいたしましたが、これで終わります。ご清聴ありがとうございました。
(本稿は平成十五年九月二十二日の定例午餐会における講演の記録である。 文責 編集部)
平松茂雄(ひらまつ しげお)
1936年生まれ。
慶應義塾大学大学院修了。
防衛研究所研究室長を経て現在、杏林大学社会科学部教授。
 
 
 
 
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