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1999年10月号 Voice
「共産中国」崩壊の予兆
中嶋嶺雄(なかじまみねお)(東京外国語大学学長)
 
 去る八月九日夜、中国から帰国したばかりである。長らく中国の社会経済変動の調査・研究をしているが、今回の訪中は私にとって非常に収穫の多いものであった。
 今回はとくに、改革・開放の中国が二十年を経てその実態はどうかという点を念頭に各地を訪問した。まず、改革・開放下の中国のいわば最先端になっている広東省の広州市を皮切りに、広州の東約六〇キロに位置する東莞市、その隣の番禺市のような珠江デルタの一帯から訪れた。東莞市というところは、香港から深に移転した製造業がさらに拡がったところであり、そうした意味でも非常に興味深かった。
 そしてそれらの地域をアヘン戦争で有名な虎門というデルタ地帯の先端部まで下って渡り歩き、つぎは上海から浙江省一帯、杭州、紹興を訪れた。広東省は香港返還後、経済が急速に深刻な状況になっており、その影響をどのように受けているかという点で十分重要な地域であったが、上海一帯は、上海閥としての江沢民指導部がある意味では最も力を入れている地域という点で重要だった。この浙江省のあと、さらに今度は東北に行って長春一帯を視察し、最後に北京に戻ってきた。短期間に南から北まで回ってもういっぺん北京に戻るという旅程は、私のこれまでの数多い訪中のなかでも珍しいことであった。
 北京に戻り、ホテルの一室で夜独り静かに目を閉じてみると、やはりこれが“北京感覚”なのか、北京から中国全土を見ると中国社会がこう見えるのか、あるいは世界がこう見えるのか、というその感じがなんとなく分るような気がした。つまり、中国の指導者たち、中南海にいる江沢民主席らがまず中華世界全体をどう見ているのか、世界をどう見ているのかという彼らの「現場感覚」のようなものがかなり分ったような気がしたのだ。ここから見ると、台湾はやはり遠くの小さな島にすぎない、といった感覚でもある。
 ところで、中国はこの十月一日に建国五十周年を迎えようとしており、天安門広場もだいぶ改修工事が進んでいた。また、例の法輪功摘発の最中でもあった。法輪功はいかに邪宗であり迷信であり人々を迷わすものかという徹底的なキャンペーンをやっていた。同時に、台湾の李登輝総統の、台湾と中国は「特殊な国と国との関係である」との発言に対し、猛烈な批判キャンペーンを張っていた。
 このようなことから、私が訪中していた時期は、タイミング的にも今日の中国を知るのに絶好の機会であったように思う。そこで以下、中国が抱えている諸問題について考えてみたい。
社会全体が「工事現場」になっている
 一九七八年十二月の三中全会で指導権を握った小平が、いわゆる改革・開放に踏み切って約二十年が経過した。この二十年間というのは、中国建国五十年のなかで、いわば三十年間の「毛沢東モデルの中国」を経て、「小平モデルの中国」に転換してからの二十年であったわけだ。だが、いったい今日の中国はどうなっているのだろうか。
 端的にいえば、中国大陸全土、中国社会全体が、文字どおり「工事現場」だ、という感じなのだ。しかもこの工事は、内政的な要請が非常に強いだけに、ほとんど基礎工事が行われていない。つまり、いってみれば産業構造の転換が図られたうえで徐々に近代化していくというプロセスがとられていないということだ。日本の明治維新から現在までの近代化を、あたかも二十年で非常に手っとり早くやってしまおうというようなもので、しかも近代化のための社会的経済的インフラはほとんどゼロだったわけだから、これはたいへんな混乱とある種のパニックを生んでいる。
 だが、この間の中国の経済成長は、じつはこのように基礎工事をやっていないところに次々に安普請で建造物を建て、そしてまた壊して建てるという繰り返しによって支えられている。だから必然的に財政も赤字、国債も膨らんでいく。しかし、この自転車操業をストップすればたいへんな状況になりかねないわけだからストップできない。それが結果的に中国社会全体を工事現場にしているのだ。
 したがって、いずれにしても財政支出は今後も続け、中国人民銀行はお金を増発する。そうすると当然インフレになる。しかもそうした状況のなかでこれをストップすると、あきらかに成長率が下がってしまう。中国は、いまの改革・開放を支えていくためには八パーセント成長が必要だとずっといってきたわけだが、今年はおそらく七パーセント台、ひょっとすると六パーセント台に落ち込むものと思われる。
 つまり、中国社会全体が工事現場のような状況の一方で、非常に深刻な経済破綻が進みつつあると思われるのだ。その一つの兆候は、たとえば広東省に見られるような巨大なノンバンクGITIC(広東国際信託投資公司)のデフォルトだ。海外の金融機関からもそうとうな資金が入っていたと思われるが、中国政府は、このGITIC崩壊の危機に際して何らの救済措置もとらなかった。したがって、当然のことながら、その結果、中国の信頼は非常に損われたのである。
 では、海外からの信頼を失うことがわかっていながら、江沢民指導部はなぜ救済措置をとらなかったのか。広東省はいままで、中国の他の地域に較べて非常に独立的な歩みが強かったうえに、香港とリンクしてきただけに経済的にも強かった。しかも分税制への抵抗にみられるように、ある種の経済的特権を享受してきた。したがって、そうした広東省に対して救済の手をさしのべれば、広東省を強化することになりかねないのである。つまり、江沢民にとっては、広東省などは北京から見ると南のはずれで、広東が仮に駄目になってもいい、自分の出身の上海がある、というような感じがどうしてもあるのだ。こうした状況が中国経済の展開過程に出てきている。
 そしてもう一つは、やはり人民元の切り下げ圧力が国内外で非常に強いということ。本来であるならば、もっと早くに切り下げをすべきだったろう。このツケは中国経済の将来に、あるいは中国社会の将来に大きな負担となって跳ね返ってくるはずだ。
 実際、貿易もこのところ伸びが止っているし、人民元が非常に割高であれば、対外投資はみんな控えることになる。さらには前述したように、GITICのデフォルトのようなことが相次いでも何もしないということになれば、外資は中国から撤収する。
 また、今日の中国社会ではあちこちに警察、公安が入り込んでいる。十年前の天安門事件のような強烈な民主化運動は表面化こそしていないが、これは国民の隠れた民主化要求、反共産党化への恐れからくる力の抑圧にほかならない。逆にいえば、中国国民の多くは中国共産党への信頼感をまったく失っているということだ。げんに、いまは『人民日報』など読む人はほとんどいない。
 そして他方では、法輪功のような中国社会のまさに末端の部分で問題が出現している。法輪功は、気功を通じて中国社会のいちばん末端で疎外感を強く抱いた人たちのあいだに急速に浸透していった、いわば道教型の新興宗教である。この法輪功はとくに犯罪を犯したわけでもなく、ただ信仰しただけで徹底的に摘発されている。
 つまり、六千百万人といわれる共産党員数よりも広がりつつある法輪功とは、共産体制の末期的な諸現象のある集約が中国社会の末端に出現したものであり、そのことにいままで気づかなかった中国当局にとって、これは衝撃以外のなにものでもないだろう。
 このように改革・開放の今日の中国社会は、あちらこちらで無秩序に混乱している。先に述べた「工事現場の中国」では触れなかったが、凄まじい勢いで進む環境破壊もそうとう深刻な問題である。いずれにしても、こうした社会経済の現実のなかで、江沢民体制はいま非常に難しい状況になってきている。
朱鎔基に立ちはだかる経済改革
 江沢民体制が、このところいわゆる上海閥を中心に動いてきていることは間違いない。一方、北京のリーダーで党書記だった陳希同はといえば天安門事件のときの北京市長であるが、彼は汚職事件のかどで十数年の実刑に処せられて、いま獄中につながれている。陳希同は、天安門事件当時、北京市長として事件の鎮静、後処理等に奮迅の働きをした。その後、小平に引き上げられた江沢民は、陳希同によって整頓された北京へ上海から乗り込んできた。いってみれば陳希同のお蔭で江沢民は中南海に座ることができたともいえるわけだ。その彼を、汚職などというおそらくつくられた理由で獄中につないでいる。ここにはまさに凄まじい権力闘争があったはずだ。
 そういう状況のなかでこのところ上海閥が盤踞していて、歴代の四人の上海市長が中国の中枢にいる。江沢民、朱鎔基、汪道涵、黄菊である。汪道涵は、台湾との海峡両岸関係協会の会長として、台湾統一に立とうとしている江沢民のアドバイザー的存在だ。これに対していろいろと抵抗を試みようとしているのが、李鵬のような保守派である。ともかく、歴代の上海市長が四人も北京にいるということは、先の文化大革命とはまったく逆で、上海が北京を乗っ取ってしまったような状況なのだ。
 さて、こうしたなかでいちばんの問題は、同じ上海閥の朱鎔基首相と江沢民主席のあいだがはたしてうまくいくかどうかということだ。江沢民はすでに党・政・軍の三権を握ってしまった。過去、これができたのは華国鋒だけだった。毛沢東も小平もなしえなかった。そして、この三権のなかでもとくに軍の掌握は重要であるが、江沢民はこの十年間で軍に対してもそうとうな力をつけてきたといえる。そうなると、いかに朱鎔基といえども江沢民に立ち向うわけにはいかないというのが現実である。
 ところが国民のあいだでは朱鎔基の人気は非常に高い。その朱鎔基がいま取り組もうとしているのが国有企業の改革、行財政改革、金融改革である。江沢民と朱鎔基の立場はかなり違う。朱鎔基というのは、最も小平型の、あるいはそれ以上の改革派である。したがって今後、この経済改革とくに国有企業の改革の行方が、中国の権力中枢の在り方をみていくうえでも重要なポイントとなるだろう。
 しかし、今回の視察でも確認できたことであるが、たしかに部分的には国有企業のなかにも競争原理が入ってきて従来よりかなりよくなったところはあるが、大部分の国有企業は依然として昔と変っていない。たとえば鉄道も国有企業であるが、汽車に乗ってみても、車内はゴミでいっぱい、灰皿なども汚れたまま、乗客がいるにもかかわらず乗務員は数名でべちゃべちゃお喋りをしているという状態である。こういう国有企業の実態を変えるのはきわめて難しい。
 また、中国の場合、大学も一種の国有企業であるが、その大学がいま抱えている大きな問題は、国家からの補助金が大幅に減少してきていることだ。国家財政が逼迫しているので従来の半額ぐらいしか援助されなくなった。そうなると、あとはもう独力で賄わなければならない。そこで、あちこちの大学がいまアルバイトをやっている。たとえば、最近日本の新聞などにも広告が出ているが、北京大学が外国語学部みたいなものをつくって、どんどんあちこちの留学生を募っている。これは要するにお金稼ぎなのだ。
 大学がお金を稼がなければいけないような状況であるから、考え方によってはそれなりの競争原理が働いてきているともいえるわけだが、中国社会のなかで国有企業全体は、物凄く大きな一つの共同体になってしまっている。毛沢東型社会主義の基礎は厳然と残っている。
 したがって、農村のように人民公社を解体して毛沢東モデルを全部解体できればいいが、国有企業を解体すると中国から社会主義的要素が何もなくなってしまう。だから思い切った改革ができない。しかも国有企業を本格的に改革しようとすると、いわゆる下崗(シアカン)――レイオフを断行せざるをえなくなる。いますでに、国有企業の勤労者のほぼ三〇パーセントぐらいがレイオフされているから、実質失業率が非常に高い。その結果、社会不安が増大することになる。
 こういう状況のなかでいま中国は、改革・開放といって進んできているのだが、改革・開放のうち開放のほうがほんとうの政治思想の開放とか民主化というところにいきつかない。だからつねに限界がある。そして、江沢民は現下の体制のなで、国有企業の改革をはじめとする経済改革すべてを朱鎔基にやらせようとしている。
 したがって、朱鎔基がはたしてこのそうとうな困難が予想される経済改革を中心に政治権力を強化できるかというと、そこにはどうしても限界がある。ということは、江沢民は本来、リーダーの器に欠ける非常に問題がある党官僚だと思うが、結局、朱鎔基つぶしをやって彼自身は当面権力の座に残ることになる。
 最近注目すべきことであるが、江沢民は自身が育成してきた上海閥、たとえば公安関係をずっとやらせてきた前党中央弁公庁主任の曾慶紅を、党組織部長に抜擢している。つまり、そういうかたちで自分を組織的にも支える新しい体制をつくろうとしている。
 こうした権力の角逐が今後どう動くか注視していく必要があるが、前述したとおり、あまり好ましいことではないけれども、江沢民体制は問題を抱えながらも当分権力的な手法で自らの体制を固めていくのではないかと思われる。しかし、そうであれば江沢民というのは、本質的には脆弱な指導者といえる。
 したがって、中国にとっては、胡錦濤のような次の世代にどうバトンタッチできるかが、次の党大会までの大きな課題なのである。
やはり「手に負えない」体制だ
 私は、今日の中国の国家体制を軍事ボナパルティズム(ボナパルティズム=ナポレオン三世のとった政治形態で、国民の関心を内政から外政に向けさせる)だと規定している。
 中国の国防費は年々増加を続け、平均すると十数パーセントという比率で上がってきている。今年も一五パーセントの増だ。ところが、ロシアからいろいろ武器を買ったり、核兵器を開発したり、ミサイルを開発したりする費用は国防費として品目上、確認することはできない。そうなると、国防費の数倍から多い推定では十一倍も軍事費を注ぎ込んでいるといわれる。まさに軍事物神崇拝だ。そして、これを支えているのが中華信仰、ナショナリズムである。
 とくに東北地区のように、日本の軍国主義を批判する根拠地では、愛国主義教育が徹底的に行われている。そういう愛国主義教育を徹底的に行うことによって、中国は強いんだ、二十一世紀は中国の時代だ、というような国家意識をおおいに鼓吹する。だから私は、こういう体制を一種の擬似ナショナリズムとしての軍事ボナパルティズムと呼んでいる。
 さらにいえば、つくられた愛国主義、ナショナリズムによって軍事的な独裁体制を固めてゆくということだ。まさに中国は開発独裁の典型といえるが、この開発独裁は、民主化とか市民社会的な成熟とかいうことをほとんど考慮しない。だから社会に少しずつ隙間ができて、その隙間に上述した法輪功のような集団が蔓延してゆく。だが、それを抑えまとめていくためにまたナショナリズムをもちだしてくるのだ。
 今日の中国では、一種の反米主義が非常に強まってきている。だが、この反米主義もそう単純ではない。一般庶民、とくに若者は日本以上にもうアメリカ、アメリカだ。マクドナルドやケンタッキー・フライドチキン、ナイキのブランドなどは都市部では大流行である。みんなアメリカ志向になっている。にもかかわらず国家として戦略的には、やはりアメリカは中国に対抗する覇権国家であるという位置づけをこのところ意識的にしようとしている。まさにアメリカを単独覇権と見なすという態勢が非常に強まってきているのだ。
 そうしたときに例の在ユーゴ大使館誤爆事件が起った。だから、あれはまさに中国の指導者にとって格好の出来事であったわけだ。もうあちこちで反米キャンペーンをやったが、そのやり方は全部同じパターンであった。天安門事件のいわば反体制運動としてのデモとはまったく違った体制的なデモを組織化したのだ。だから反米ナショナリズムを煽っていた青年たちの顔は非常に虚ろに見えた。
 アメリカはこの大使館誤爆について謝罪をしたにもかかわらず、中国は次々に反米ナショナリズムを煽った。江沢民体制は、こうしたことがアメリカにおける対中国感情を非常に悪くするということを顧慮する余地がなかった。それは去年の江沢民訪日の場合も同様であった。台湾問題や歴史認識の問題をまた繰り返せば、日本国民の感情がどうなるかについての顧慮がまったくなかった。もしどうなるか分ってやっていたとするならば、それこそそれは江沢民主席の外交的失点といわざるをえない。
 相手に対しての配慮や顧慮ができない体制というのは、やはり「手に負えない」体制である。中国の指導者は、その手に負えなさというものを体質的にもっているのだ。中国は今後、アメリカに対してはかなり強面(こわもて)の対応をとると思われるが、そうすることによって、いかにもアメリカに対抗できる大国であるというイメージを世界にプレイアップしようとしている。
 そうであるだけに、そこへ出てきた李登輝総統の「特殊な国と国との関係」という発言は、江沢民や中国の指導者にとっては苛立たしいものだった。いま話題になっている李登輝総統の『台湾の主張』(PHP研究所刊)のなかでも、「存在としての台湾」という表現で同義の主張をしている。実際に台湾は紛れもない主権国家である。軍事も警察も政治も外交も出入国も貿易も、すべて台北政権によって行われているのであるから、その事実をいったにすぎない。
 それなのに、なぜ北京があれほどまでに過剰反応したのか。これはまさにいまのような国際環境のなかで考えると、北京は李登輝総統に最も痛いところを突かれたからである。それだけにひょっとすると李登輝発言は、アメリカをも説得するかもしれないと北京は考えた。げんにアメリカ議会の共和党のなかでは、李登輝発言は正しいという意見がかなり出てきている。だからそういうことにもなりかねない、ということから李登輝総統を徹底的に叩くという対応が出てくるわけである。
 しかし結果的に、こうした批判をすればするほど台湾が目立ってくる。つまり、中国政府は李登輝発言を「二国論」として批判しているわけであるが、中国の人たちは、たしかに台湾は一つの国でよくやってきている、ということをおのずと知っているからだ。だが、北京の中央に盤踞する共産党指導部は、大中華思想の立場から、こんな発言は許すことができないということで、物凄くナショナリズムを煽っているのだ。これが今日の江沢民体制の現実なのである。
新しい日中関係の構築
 最後に日中関係について述べておきたい。これまでの日中関係において、中国にとって日本との交渉は、ある意味では赤子の手を捻るようなものだったと思う。国交正常化以来、日本は中国に対してさまざまな経済援助を実行してきたわけだが、日本の政治家は首相になれば必ずといってよいほどまず北京詣でをし、ペコペコと頭を下げてきた。だから、中国のほうが位が上になってしまい、威張った態度をとる。中国語ではこれを、「擺架子(パイチアツ)」というが、このような日中関係をつくってきた。
 二十一世紀の日中関係は絶対にそのようなことではいけないと思う。たとえば靖国神社の問題でも、いままたA級戦犯を分祀するという意見が出てくると、すぐ中国はそれを批判する論調を張る。靖国神社の問題は、日本の国内問題なのである。日中関係というのはあくまでも平等な関係であって、靖国神社の問題、教科書の問題は日本の主権のなかで、日本人自身が考えることなのだ。それをいちいち中国にお伺いを立てるようなパターンをいままでとってきたところにすべての問題があった。経済援助の問題も円借款の問題もそうだ。他の国に対しては当り前にいえるようなことが、中国にはいってはいけないという過去に対する一種の贖罪感といったものがあったからだろう。
 しかし、戦後日本は五十数年にわたりまさに平和に徹したわけで、軍事力によって物事を解決しようなどということは一度もなかった。ましてや軍事行動によって、戦争行為によって、自国民も他国民も一人として殺していないのである。これはもし中国に対して、過去の日本のいわば戦争責任を考えるとするならば、何よりの責任のとり方ではないだろうか。
 一方、中国といえば、この五十年間にどれだけの人が死んでいるのか。チベットで百万人以上、文革では少なくとも二千万人の死傷者が出ている。ましてや十年前の天安門事件では、抗議行動としてただ座り込んだだけの人たちを世界の人たちの眼前で銃撃したのである。共産党一党独裁体制保持のために、どれだけの人たちが犠牲になったのか。日中関係が平等な関係であるならば、そのような中国では困るということも堂々と中国とのあいだで話してもいいのである。
 その意味でも中国建国五十周年はいい区切りではあるし、二十一世紀を迎えるにあたって、新しい日中関係のあり方を模索するべきときだと思う。しかしながら、そうした新しい日中関係を考えるにあたっても留意しなければならない重要な点がある。それはこれまで述べてきたとおり、中国は国内的には問題山積の国でありながら、対外的にはきわめて強硬な大国主義的な出方をするということだ。
 たとえば、中国は一九九二年に領海法を決めている。一方的に決めておいて、尖閣列島などは当然のこととして、あちこちに出ていく。さらに大事なことは、二十一世紀も近い今日だというのに、ミサイル、核開発など軍事力を強化することは当然であり、軍事力によって物事を抑えることをも当然であるかのような考えと行動を一貫してとっていることだ。軍事力で他国や人を抑えることが国家的な使命であると思い込んでいるかのような中国の青年兵士たちの顔を見ていると、ある種の恐怖を感じる。
 これはまた別の問題になるが、最近、中国から不法難民が非常に多く出ている。台湾も困っているが、日本にとってもこれまたじつに深刻な問題だ。
 このように中国が外にいろいろ厄介な問題を出すことに対して、日本としては、それを封じ込めていく体制をつくっておく必要がある。それは端的にいえば、日本の外交的主体性の確立にほかならない。このことが日本にとってきわめて肝要である。
 前述したことにも重なるが、中国がもっている手に負えなさというものを十分認識したうえで、きちんとものをいっていく。ものをいっていくというのは、相手を刺激しないようにこういったほうがいいとか、相手が非常に高飛車に出るだろうからこの程度にしておいたほうがいいとか、話をまとめるためにつまらぬテクニックを弄することではない。そんな出方はもうきっぱりやめるべきなのだ。そうでなければ、ほんとうの日中関係は構築できないであろう。
 私は、中国がいい国になってほしいと思っている。難民が出ない国になってほしいと思っている。そのためには、まさに李登輝総統がいっているように、一元的な中華世界、一つの中国という幻想から解放されるべきなのだ。私は今回の訪中でそのことをあらためて痛感した。
中嶋嶺雄(なかじま みねお)
1936年生まれ。
東京大学大学院修了。
東京外国語大学助教授、教授、同大学学長を歴任。現在、国際教養大学学長。
 
 
 
 
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