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1999年12月号 アジア時報
第十一回アジア・太平洋賞記念対談 二十一世紀の中国経済と東アジア
中兼 和津次氏
(東京大学経済学部教授)
田中 明彦氏
(東京大学東洋文化研究所教授)
 
 第十一回アジア・太平洋賞の「大賞」に、東京大学大学院経済学研究科・経済学部教授、中兼和津次(なかがねかつじ)氏(五七)の「中国経済発展論」(有斐閣)が選ばれ、十一月十九日に東京で表彰されました。
 そこで中兼氏に、二十一世紀の中国経済と東アジアについて、選考委員の田中明彦・東大教授と話し合っていただきました。
編集部
東アジアの将来で中国の動向が一番注目
 田中氏 「第十一回アジア・太平洋賞」大賞の受賞、おめでとうございます。
 中兼氏 ありがとうございます。
 田中氏 今年は東アジアにとってみると、二十世紀の終わりに当たる時期ですが、中国で言えば「建国五十周年」だし、「改革・開放」が始まってから二十年ちょっと。それから「天安門事件」で言うと十年で、区切りになる年です。中国を取り囲む国際社会の状況も、冷戦が終わって十年ということでアジアに新しい状況が生まれるかもしれない。そういう中で、東アジアの将来ということから考えると、中国の動向が誰にとっても一番気になります。
 その中で言っても、今一番多くの関心を集めているのが中国経済が今後どういうふうに動いていくか。その中国経済の動向が社会面、政治面にどういう影響を与えるかということが関心の的だと思います。
 中兼先生、建国五十周年、改革・開放二十年ちょっと、というような長期のスパンから言って、今の中国経済をどんなふうにとらえていらっしゃるか、その辺のところからお話を伺いたいと思います。
中国経済は異例の発展スピードで成長
 中兼氏 この五十年間、趨勢としてみますと、中国は非常に発展してきた。これは確かな事実です。
 とりわけ改革・開放後の二十年間、きわめて高い。世界史的にみても、かなり異例とも言うべき発展スピードで成長してきた。それまでは成長してこなかったかと言うと決してそうではなくて、趨勢的には発展してきました。
 いろいろな計測があって私も実際計測してみましたが、毛沢東時代には大体6%ぐらいの成長率です。それが改革・開放のあと9.8%というきわめて高い成長率です。6%と9.8%は、何が違うか。単なる3.8%の差かと言うと、そうじゃなくて、一つの大きな差は、それまでは非常に激しい変動があったことです。毛沢東時代、激しい政治闘争もあって、時には30%という成長を遂げることがあると思えば、時にはマイナス30%にもなるという非常に激しい幅があったことが大きな特徴の一つだった。
 それに比べますと、この二十年間はもちろん景気の波はそれなりにありますが、以前に比べればかなり小さな波であるという意味で、着実に、しかも高速度に発展してきたと言える。
 もう一つ大きな違いは何かというと、改革・開放以前は人々は貧しかった。ハッキリ言いますと大衆の犠牲の上に立った経済建設でした。特に重工業に大きな投資をして成長したわけで、確かに上物は多くなったのですが、人々の生活は豊かにならなかった。例えば、労働者の実質賃金はむしろ若干下がっている。これは統計的にも確かめられています。
生活が豊かになって政権を消極的支持
 それに比べるとこの二十年間は、もちろん貧富の格差は拡大しましたが、平均的にみますと人々の所得は確実に上がっている。特に、今まで貧しかった農民の所得がどんどん上がってきた。都市の労働者の賃金も着実に上がってきた。みんな実感として「生活が豊かになった」ということがあります。
 これは政治の問題にからみます。なぜ中国が今のところ政治的に安定しているかと言えば、その一つの理由は、もちろん共産党独裁があって、末端までコントロールしているということもありますが、それ以外に大多数の人々が豊かになったことが挙げられます。つまり、政治的な自由とかを望むよりも生活が豊かになったことによって、政権に対して人々がある種の消極的支持を与えているのではないかという気がするのです。それがこの二十年間における大きな変化だと思います。
90年代から成長率が鈍化、売れない不景気に
 ただ、私がみるところ、この数年、特に一九九〇年代後半になってからですが、中国経済は少し変わりつつある。すなわち、今まではどんどん急成長してきたために、そこにいろいろな問題があったにもかかわらず、表面化することはあまりなかった。ところが、九〇年代の後半になって成長率が鈍化してきます。鈍化するに従っていろいろな問題が出てきた。また、いろいろな問題が出てきたから、鈍化してきたということが言えるのではないか。
 今日の状況は、一般にはデフレ、つまり物価上昇率がマイナスになり、物を作っても売れない状況です。かつて、「社会主義経済」は「不足の経済」で、行列があり、配給があり、物不足だったわけですが、今や物は作っても売れない。
 この前も瀋陽の工場をちょっと見てきましたけれども、実に閑散としているんです。工場の人に「やはり不景気なんですね」と言ったら、最初その人は「そうです」と言った。しばらくして一緒に付き添ってくれた人が「いや、これは不景気ではなくて計画課題を達成したからではないでしょうか」と口を差し挟んだところ、「それはそうです」と、話が変わってきたんです(笑い)。
デフレ状況と膨大な失業者が増える構造に
 しかし、私が見るところ、やはり不景気なんですね。工場の稼働率が非常に落ちている。中国全体で紡績業がそうですし、石炭もそうです。鉄鋼にしてもそうですから、今まで考えられなかったようなデフレ状況というのが起こっている。それに伴って膨大な失業者、レイオフ(一時帰休)がどんどん増えてきて、今までと構造的に変わってきたという印象があります。
 この状況がこれからどのぐらい続くのか。このデフレ状況及びその背後に潜むとりわけ大きな問題である、国有企業改革、あるいはそれに関連した金融制度の不整備、未発達、それに伴う不良債権、中国語で言う三角債(負債の持ち合い)の問題をどうやって解決するか。その根源を遡っていきますと、政治の問題に入ってくるのではないかという気がします。それが私の率直な印象です。
国有企業改革など計画経済から市場経済への移行が問題化
 田中氏 今の中国経済をみると、中国という社会が、大きな言葉で言えば近代化して経済発展をする過程の中の一段階だと思うのです。
 その中で長期にみれば伝統中国社会が近代化する過程が一方にあり、社会主義経済という形でいったんできたものが、そこから市場経済に向かうというこの二つの大きな移行のプロセスが二つ重なっていると思うのです。その辺について中兼先生のご本は、両方の側面を大きくとらえていらっしゃると思います。
 特に、社会主義体制からの移行の問題で、中国人は「自分達はソ連とかロシアに比べてうまくやった」という感覚をかなり持ち続けて、今も多分持っていると思うのです。ソ連みたいに一挙に民主主義を導入して、いきなり市場経済をやってしまうと、混乱だけが起きて大インフレになって、いつまでたってもソ連は安定しないじゃないか。それに比べると、中国は改革・開放も農業の部分からゆっくり始めてやってきたからうまくやってきたんだ、ということを、九〇年代半ばぐらいまではかなり大声で中国の人は言っていました。
 ここへ来て、国有企業の改革をみると、いくらゆっくりやっていても、どこかのところで計画経済から市場経済へ移行する大変なところが残っている。その辺、今後の移行の問題点をどんなふうにお考えになっているか。
“双軌制”をとったための矛盾が出てきた
 中兼氏 非常に重要な問題で、私は最近それに関して論文を書きました。
 私は、こういうふうに思います。
 中国の経済体制の移行は成功した。それはどうしてかというと、計画体制から市場体制へ徐々に漸進主義的に中国の体制を移行させてきた。それから、全部、ないしはほとんどが国有企業だったのを、いろいろな所有制を含む多重所有体制に変えてきた。そのほか、対外的には、今まで非常に閉鎖的だったのを徐々に開放してきたからです。
 そういう政策をとったから中国経済はうまく移行でき、かつ、それが高度成長をもたらした。以前、ピーター・ノーランというケンブリッジ大学の先生が『中国の上昇、ロシアの没落』(China's Rise, Russia'S Fall)という本を書きました。彼もそういう視点から「ロシアが失敗したのは馬鹿なIMF(国際通貨基金)の提言を受け入れて、ドラスチックに改革したからだ。やはり改革というのはすべて漸進主義的でなければいけない」という趣旨のことを述べています。
 私は、それは一面の真理である。長期的にみますと、経済体制というのはなかなか一挙に変わるものではない。つまり、経済システムというのはいろいろな複雑な要素からでき上がって、それを一気に、一瞬のうちに変えるのは不可能である。だから、長期的にみれば、すべての過程は、ある意味で漸進主義的かもしれないと思います。しかし、ある局面になると、今まで漸進主義的にやってきた部分にかなり問題が生じ、矛盾が大きくなって、相当ドラスチックに変えなければならない部分が出てくるのではないか。
 ですから、重要なことは漸進主義か急進主義か、進化主義的(エボリューショナリー)にやるか、あるいはショック療法、ビッグバンでやるかということではなくて、状況に応じてとり得る政策が違ってくるということだと思います。
 中国は基本的には漸進主義をとってきた。漸進主義というのは一気に変えないわけですから、必ず古い体制、制度が残るわけです。それを中国語で言うと「双軌制」(デュアルトラック・システム)となります。新旧二つの制度が併存する双軌制をとってきたからうまくいったという部分は確かにあるのですが、逆に双軌制をとったために、あるいは漸進主義をとったためにいろいろな矛盾が出てきたということもあると思います。
「国有企業を残したい」という公有制にこだわる中国
 その端的な例が、実は国有企業の改革の問題だと思います。党や政府は、何とかして国有企業は残しておきたいと考える。私から見ると、どうしてそんなに国有企業にこだわるのか理解できません。もちろんイデオロギー的には分かります。中国は社会主義だ、したがって、公有制が主体であるというそのことは憲法にもうたわれているわけですから、公有制にこだわるイデオロギー的理由は分かるのですが、しかし、イデオロギーは別にして、純粋に経済の問題として、あるいは効率の問題として考えると、そのシステムに合ったような所有制を選べばいいじゃないかと考えます。それが小平さんが言う「黒猫白猫論」ではないか。あるいは中国人がよく言う「実事求是」ということではないか。しかし、どうしても中国は公有制にこだわろうとする。
 公有制がある限り、少なくとも所有制に関しては永久に双軌制になります。一方、市場制度はどんどんやりなさいと中国はいう。しかし、公有制と市場制というのは論者によって意見が違うのですが、私はやはり基本的にはかなり矛盾し合うのではないかという気がするのです。
 朱鎔基首相が「今世紀末までに三年間で国有企業問題を基本的に解決する」と公約した。特に「大・中型の国有企業の赤字を解消し、立ち直らせる」と宣言しました。
 国有企業改革がうまくいけば、中国はある程度今の混乱を乗り切ることができ、順調に発展できると思います。逆に国有企業改革に失敗しますと、失業者があふれて社会不安になり、恐らく朱鎔基氏のクビが飛びます。では朱鎔基のあとに誰がなるか。日本でいろいろな観測があるし、中国でもいろいろな観測があります。政治的な不安定性も起こってくるということを考えますと、国有企業改革はやはり一番肝要です。その国有企業というのは、突き詰めればやはり所有制を抜きにして抜本的に改革できない。朱鎔基氏としては、本音としてはドラスチックにやりたいのですが、それは政治的にできないのではないかと思います。
もう一度、所有制の改革に踏みこむだろう
 その点、旧ソ連、今のロシアは大混乱して、決していいとは言えませんが、では、東ヨーロッパのポーランドやチェコ、ハンガリーとなると、国有企業をだんだんに民営化し、そうした企業はもちろんいろいろな問題はありますけれども、それなりに機能している。これらの国では社会主義を捨て、公有制はいらないと言って、非常に身軽な立場になって所有制改革をやって経済を復活の軌道に乗せている。それに比べますと、確かに成長率は中国の方が今まで高かったのですが、今後は必ずしも楽観できないところがある。
 そういう意味で私の直感ですけれども、いつかはもう一度所有制について中国は改革すると思います。あるいは、もう少し正確に言うと、公有制の定義をもう一度解釈し直す。共産党の十四全大会で、「国家が大部分の株式を持っている企業も国有にしよう」というふうに定義を変えました。株式会社も、純粋な民間の株式会社は別にして、「国家が株を持っていれば、これは国有企業だ」というふうに解釈をし直した。こうした解釈もさらにだんだん緩めていくのではないかと私は感じています。
 そのほか、「なぜ中国がうまくいったか」というのは、さまざまな初期条件とか、国際環境の問題とか、いろいろありますけれども、「漸進主義か、ビッグバンか」という移行戦略に関して言いますと、単に漸進主義だからすべてうまくいっている、これからもうまくいくというものではないだろうという気がします。
「人治」から「法支配」を徹底化すべきとき
 もう一つ付け加えたいのは、先ほど田中先生が、「中国は二つの転換過程にある。一つは前近代社会から近代社会へ。もう一つは体制を計画体制から市場体制へ」と言われました。私はこの本の中にも書いたのですが、「中国経済は三つの転換にある」と考えております。
 経済発展ということは一つの転換ですね。例えば産業構造の転換がそうです。もう一つは体制移行。これは計画から市場へという経済システムを変える。あと一つの転換は近代化という転換だと思います。
 近代化にはさまざまな側面があります。その一つの重要なメルクマールは制度化です。中国の場合、今まで制度というのはキチンと形成されてこなかった。なぜならば、毛沢東時代は毛沢東の言葉が「天の声」で、これが法律だった。ないしは法律以上だった。小平時代になっても趙紫陽さんがゴルバチョフさんについ暴露してしまいましたが「実はすべての重要な決定は小平さんの指示を仰ぐ」体制です。こんな体制は近代社会ではありませんね。
 もちろん、中国では今までの「人治」を「法治」に変えようと努力してきました。「法による支配」というのは、やはり制度化の一つの典型だと思います。今まで法律というのがなかった。小平時代になって、やっと作るようになったのですね。大学に「法学部」もあわてて作った。今まで「法学部」というのは、ハッキリ言えばなかったのです。
 法学部を作り、法律家を養成する。弁護士にしても、かつては「律師」というのはあったのですが、建国後長い間死語になっていた。それをもう一度復活させる。裁判所もそれなりに機能させる。しかし、本当の意味の法治化が今の中国で徹底しているかと言ったら、絶対そういうことはありません。まだまだ制度化というのは弱いという気がします。
 したがって、これからはいかに体系的な制度を作っていくかということを中国は考えないといけない。その制度化を実行し、推進する上でも私有化というのが一つの有力な手段ではないか。
 もちろん、こういう問題があるのです。中国において法治化、制度化が進んでいないところで一気に私有化してしまいますと、今でもひどい幹部の腐敗の問題がますます重大化してくる。ですから、厳重にコントロールし、またその他の制度を作りつつ、かつ、私有化を徐々に進める。人々に権利とか、責任というものを持たせる。企業も今までは国有企業で、何をやってもいい、赤字になっても国が面倒をみてくれるという意識が強かった。それを経営者、従業員全員に「自分達の企業だ」という意識を持たせる。それには、やはり私有化というのは必要な方法なのではないか。社会を近代化させるには、市場化とともに私有権が発達し、成熟化し、そのためにいろいろな法律、制度ができ上がってくる過程が必要なのではないか。
 こういう近代化の波に中国もいずれは乗っていかなければいけないのではないかと思うのです。
共産主義体制がよりかかるナショナリズムへの危険
 田中氏 近代化というのはなかなか難しい過程で、どこかで良循環に乗らないといけないが、よい循環に乗るのはかなり難しいですね。
 制度化が進んで、制度のレジティマシーというか、制度になることが、みんな「これはいいことだ」と思うようにならないと、私有制がどんどん進んだ場合に腐敗も防げないわけです。ただ、制度がそれなりに機能するぞと思えるためには、人々がそれなりに豊かにならなければいけないというような、両方いっぺんにうまくいかなければいけないということがあります。
 だから、そこのところは難しくて、特に中国のような今の政治体制だと、中兼先生がおっしゃった「制度に信頼」というものがないから、基本的に共産党の統治というのは共産党それ自体がどのぐらい正統性を持っているか。その正統性はかつてはマルクスレーニン主義という、“夢”だったわけですけれども、夢はなくなっちゃいました。
 そうなると、先ほどおっしゃったように、かなりの程度は経済発展。「経済がうまくいっているぞ」というのが共産党統治を支える正統性の根拠であって、決して「共産党政治体制のこの制度がいいからいい」と思っているわけではない。そうすると、経済がうまくいかなくなると、多くの権威主義体制が行うのは経済発展がうまくいかなくなった時に権威主義体制がよりかかろうとするのは、多くの場合はナショナリズムですね。
 ただ、このナショナリズムもうまくいけば国民を凝集させる力になっていいのですが、それが対外的な関係で、あまりにも排外主義的な形のナショナリズムになってきますと、今度は国際環境が悪くなります。国際環境が悪くなると経済も悪くなったりするわけです。これがグルグル回っていきますと、悪循環になっちゃいます。
 ですから、建国五十周年を迎えた中国は、何とか良循環に乗ろうとしているのだけれども、ヒョッとすると悪循環の方にいっちゃうかもしれないという危険が出てきている難しい局面に来ているような気がしますね。
中国のテレビは「愛国主義」を強調
 中兼氏 そういう気がします。田中先生のご本(『新しい「中世」』)の中でも、「中国で覇権主義が出る可能性も否定できない」と指摘されています。私も全く同感です。
 今重要な問題を提起されましたが、ハッキリ言ってマルクスレーニン主義、共産主義というのは実質的に人々の信念(中国語でいう「信仰」)の中からなくなってきた。
 ただ、全く無意味になったとは思わない。これがあるために、例えばさっき言ったように「公有制」にこだわることになる。マルクスレーニン主義とか社会主義の“帽子”を脱ぎ捨てれば、自由にどんな所有制も選べるのですが、この帽子がある。しかも帽子が空中に浮いているのではなくて、その帽子をかぶっている多くの層がいるわけです。今まで社会主義体制の下で既得権を持っていた党員であり、国家の幹部であり、あるいは国有企業の労働者ですね。そういう層がいるから、国家はその帽子もなかなか脱げない。しかし、その帽子の拘束が国民の間でだんだん弱くなってきたのは事実です。かつ、それが人々を引きつけるものではなくなってきた。
 そうすると何に頼るかというと、今おっしゃったようにナショナリズムしかない。中国では「ナショナリズム」というよりは「愛国主義」(パトリオティズム)です。国慶節のテレビ番組を中国で見ますと、もう「愛国主義」や「偉大な祖国」ばかり言っていっていて、「社会主義」はどこかへ行ってしまった。「社会市場経済を建設する」ということは枕言葉には使いますけれども、ほとんど「愛国主義」ですね。至るところで愛国主義教育を行っている。
 その「ナショナリズム」ないしは「愛国主義」が、党、ないしは政府が盛んに宣伝しても、一般の人は全然ついていかないのだったら話は簡単なんですが、案外そうではなくて、人々の心に訴えるものがあると思うのですね。
 ユーゴの中国大使館「誤爆」事件などでは、中国人、特に学生達が立ち上がってデモをした。もちろん国家がそれをバックアップした部分もありますけれども、しかし、全く強制で、上からの命令でイヤイヤながら学生が参加したのではなくて、一般大衆からみますと「アメリカはけしからん」という、彼らの感情、琴線に訴えるものがあった。一般の中国人と話しても、やはり民族主義というか、ナショナリズム的なことはかなりハッキリ言う。「どうして中国は今台湾への主権を回復しないのか」とか、堂々と向こうが言ってくる。「あなたにとって台湾問題はどれだけ関係があるんですか?」と、こちらが聞きたいところなんですけれども、ともかく彼らにはかなり強烈なナショナリズムがあって、そういう言葉になって出てくるんですね。
ナショナリズム、愛国主義の底に中華思想がある
 さらに案外なのは、こう言ったら中国人は怒るかもしれませんが、彼らに「中華思想」みたいなものがある。つまり、ナショナリズムの底に一種の中華思想があって、「自分達は本当は一番なんだ」という意識が、やはり中国人の多くの心にあるんじゃないかと思う。それがいろいろなきっかけでナショナリズム、愛国主義となって現れる。
 これは田中先生のご専門ですが、中国人が日本を見る目と、アメリカを見る目では、どうも違う。アメリカはやはり覇権国、強大で、もちろん今度の誤爆事件なんかで反発しましたけれども、心の底では「アメリカはすごい国だ」と思っています。優秀な学生はみんなこぞってアメリカに行きたがる。そこで彼らは一生懸命になって勉強する。日本の学生なんか考えられないぐらいすごい。「日本に来る中国人学生はダメだ」とは言いませんけれども(笑い)。
 そんなことがあって、人々の心の中に日本の軍国主義に対する怒りがもちろんあるでしょう。それは歴史教育の中で一層培われてくる。しかし、さらに底には「本来は日本というのはおれ達が文化を教えてあげた格下の国だ。それなのに恩知らずに中国を侵略した」という意識があるのではないかという気がしてしようがないのです。
 だから、それが変な形でナショナリズムに結びつくと、覇権主義の一つの根になるという気がしてならない。そうならないことを私は願うし、田中先生もご本の中で書かれていますが、なるべく中国と日本がいろいろな形で接触し、いろいろな形で相互に影響し合うという関係を日本は築いていくべきだと思います。
 しかし、下手をすると、そういうナショナリズム、愛国主義が中華思想と結びついて暴走してしまうということもないことはないと思います。ただ、私のみるところ、中国の指導部も冷静なところがあって、かなり押さえて、人々が暴走しないようにということをやっています。
 とりわけ、ナショナリズムだけを強調していきますと、例えば少数民族のナショナリズムにも結びついてしまうわけですね。もともと、「中華ナショナリズム」はよくて、「チベットナショナリズム」はダメだなんてことは理屈が通らないですね。
決定的なのは台湾問題の処理の仕方いかんだ
 田中氏 僕も、今おっしゃった通りのことを思っています。その中で、今後の中国のことを考えると、非常に決定的なのは、台湾問題の処理の仕方だろうと思うのです。
 というのは、この問題は、中国経済の今後の発展を支える一つの要素である外国からの資金流入という面をどうするかということと、中国のいわゆる愛国主義、国民統合をどうするかという側面がモロにぶつかっている問題だからです。
 つまり、中国の経済はもちろん外国からの資金導入だけで発展したわけではないが、それでも外からの資本が非常に重要だということは言うまでもない。その中の一つの大きな資金の入ってくる先が台湾からですね。
 ですから、中国が今後の経済をうまくやっていこうとしたら台湾資本との関係を相当うまくやっていく必要が一方であります。しかし、他方で、今回の李登輝総統の「特殊な国と国との関係ということは、絶対受け入れられない」というような言い方をしてしまっている。もちろん、「憲法改正しなければ武力行使をしない」と言っているわけだから、今のでもいいのかもしれません。ただ、「建国五十周年までは」というので、特に大したことをやらないで来ていますが、多分ナショナリズムの観点からすると、中国国内で「李登輝にあんなことを言わせておいて、いつまでも言わせっ放しでいいのか」という意見は非常に強くなっているんじゃないかという気がするのです。
 ただ、他方、「それじゃ」と言って何ができるか。一体一九九六年に李登輝が訪米したあとの九六年三月の台湾総統選挙の時には大規模な軍事演習をやってミサイル実験をやったわけです。九六年はあれでおさまりましたが、また同じことをやったら、国際社会がどういうふうに反発するか。それとともに今の経済状況の下で、対台湾への強硬策が中国経済に与える影響がどうなるかを考えると、これは危険の大きい道ですね。
 それも軍事演習とか、ミサイル実験はうまく制御できてやっていけば、多分何も起きませんからいいんですけれども、ああいう瀬戸際政策のようなものは、ヒョッとしたら間違う可能性がある。間違って、もし軍事衝突などが起きたら、せっかく国有企業改革を進めようとしている時、そして、アジア金融危機が起きても、何とか中国に波及して大規模な被害が起きる前にアジア経済はどうにかこうにか元に戻りかけて、うまくやっていけば中国は経済的に言うと、もう一回「アジアの上昇」に乗る可能性が見えてきた時に、政治的な判断、ナショナリズムの台湾問題の処理の仕方いかんによっては、ダメージを大きくしてしまう。かえって悪循環の方に行ってしまう可能性もある。
 ですから、私は今年のこれから先、半年ぐらいのことで言うと、経済問題ではないのですけれども、中国の経済にも関係する非常に重要な問題は、台湾をめぐる処理の問題ではないかと思います。
中台の緊張関係は諸外国に重大な影響を与え、中国にはマイナス
 中兼氏 短期的にどうなのかということは、私はあまり判断できないのです。例えば、来年の台湾の総統選挙が中国と台湾の関係にどういう影響を及ぼすのか、この辺については私はよく判断できません。
 ただ、中国にとって台湾からの投資は必要ですし、単に経済的な意味で必要だけでなく、外交的にも、政治的にも必要だと思います。つまり、台湾資本をどんどん中に入れれば、台湾は中国から離れられなくなるだろうという政治的考慮もあると思うのです。
 もちろん、現場の、特に福建省とか、上海、江蘇省といったところに台湾資本が多いのですが、そうした地域の現場の人は、そのような政治のことは考えていませんから、「台湾資本が来てほしい」という経済的理由で誘致する。特に人民元切り下げのウワサなんかが出ると、資本がしばらく来ないで状況を見守るということもあり得ます。
 しかし、トップの方としては、台湾からの投資は単に国内資本形成を増やすというばかりではなくて、「政治的な資本形成」という意味もある。
 ただ、それ以上に私が大きいと思うのは、台湾と中国との緊張関係は単に台湾の投資が中国に行かなくなるとか、台湾と中国との貿易が落ち込むとかいうことではなくて、それが諸外国に大きな影響を与えることです。要するに、中国はいつ台湾に武力侵攻するか分からない。となると、一種の戦争状態に近い状況になってしまう。そうすると、「そんな危なっかしい中国に投資できるものか」ということになるかもしれない。
 したがって、やや長期的に考えますと、台湾問題をうまく扱わないと、資本及び技術、そして貿易の発展という面から中国に非常にマイナスになると思うのです。
中国は台湾の最終的解決を先延ばしにするのではないか
 ここから先は全くの私の推測ですが、中国の指導者としては強がりというのですか、「絶対台湾と統一する」と言っていますものの、今のままでは台湾の民衆は中国についていかないことは知っている。台湾で調査をしますと「一国二制度の下で台湾は中国と一緒になるべきか」と言えば大多数の人々は「ノー」と言っているわけで、それは中国も知っています。
 だから、中国としては原則としては「一国二制度」と言いつつも、少なくとも現状を大きく変えないで、最終的解決を先延ばしにするというのも止むを得ない選択として考えているのではないか、という気がするのです。
 つまり、今の状態を大きく変えるような、例えば、台湾が独立するとか、台湾がどこかと軍事同盟を結ぶといったことはとんでもないし、中国は絶対容認できない。しかし、今の状態を基本的に維持して一国二制度を実際上は先延ばしにするかもしれませんけれども、「今より悪くならなければいい」、こういうふうに中国当局は踏んでいるのではないかと思うのですが、いかがですか?
台湾問題の処理の仕方が、国際社会の中国判断基準に
 田中氏 私もその辺のことは中国の方といろいろ話をしてみて、「ジレンマだ」ということを認識している人は多いと思いますね。
 つまり、一方で台湾の人々の民心をつかまなければいけないということは、かなり認識が深まっていると思いますね。だから、「台湾の民衆がソッポを向いてしまったら」ということは、中国は分かっています。ただ、他方「現状を大きく変えてもらっては困る」というので、一番最たるものは「独立を言われちゃ困る」と。だから、独立を言われては困るという要求と民心をつかまなければならないというこの両方がうまくいかないのですね。
 「独立を言うな」ということを、大声で言えば言うほど台湾の民心は離れるわけですね。だけれども、では、台湾の民心をつかまえようと思って台湾の政治について何にも言わなかったら、ヒョッとしたら独立を言われてしまうかもしれないという恐怖があって、その辺が非常に悩ましいことだろうと思います。
 賢明な指導者であれば、そこのジレンマを何とか切り抜けるために、できれば中兼先生がおっしゃったように「大声で独立さえいわなければ。それでやっていって下さい」というふうなのが、多分合理的な形だと思うのです。
 しかし、江沢民という指導者にとってみると「自分が指導者になって何をなし遂げたのか」というようなことで、結局「小平が言った一国二制度を先送りして私の体制は終わってしまった」というのは、どうも面白くない。
 もう一方で言うと、国内のナショナリスティックな面、あるいは特に人民解放軍の中などに見られるような反応で「李登輝が言っているのをそのままにしていていいのか」というようなプレッシャーもある。
 ということで、中国の指導者が賢明であれば、そんな極端なことをするのはいろいろな面で不利益ですからしないと思いますけれども、それにしても、外部から見て合理的と見えるようなものの範囲にとどまらないプレッシャーはかなりあるのだろうと思いますね。
 もう一つ、単に中国と台湾の問題ではなくて、ある種の国際社会としての接点、国際社会が中国を判断する際の一つの基準になるところも非常に重要だと思います。
 中国は「台湾問題は内政問題だ」と言うけれども、中国がその“内政問題”をどう処理するかが国際社会との付き合い方のほとんどすべてを決めてしまうという側面があって、中国にとってなかなか難しいところですね。
経済が悪化すれば政権の信頼感が落ちる
 中兼氏 やはり台湾問題というのは、アメリカの態度を外して考えられません。だから、アメリカが台湾問題をどうするかによって、かなり変わってくるのではないかと思います。
 クリントン政権は、対台湾政策に関して「三つのノー」を言いまして、とにかく今の江沢民氏を実際上支持していると言います。しかし、政権だけでなく、アメリカの人々、あるいは議会も、台湾に対しては同情的な意見が出ている。そういう状況の下で、もし中国が台湾に対して軍事的に思い切った行動に出れば、アメリカを中心に国際的な反発を受けてしまう。
 そういう点は江沢民指導部も十分計算していると思うのです。ですから、軍部をなだめつつ、一応強硬姿勢をとらざるを得ない。しかし、政権の安定にとってやはり重要なのは経済です。
 先ほど言いましたように、経済が発展している限り、どの政権も安定する。江沢民さんとしては「台湾と統一して自分の名前を残したい」という面子の問題もありますが、その面子以上に自分が責任をとらされて失脚する、ないしは政権を下りてしまう、投げ出してしまうというのが一番の問題です。それはやはり経済ですね。経済政策のカジ取りを誤って国を大混乱に陥れることが失脚要因になる。人々があの体制の下で、あまり強く文句を言わないというのは、大多数の人々の生活が少しずつであれ、よくなってきているという実感があるからです。
 その実感を崩したりすると、政権に対する信頼は非常に落ちてしまう。そうなると、政権が不安定になる。この方が台湾問題の処理よりも重要なのではないかと私は思います。その意味で、中国の政権は、ある種の“自転車操業”と言いますか、つまり、経済という自転車の輪が回っていることで保っている。それがストップすると倒れてしまう。こういう状況にあるのではないかという気がします。
 もう一つ強調しておきたいのは、中国の指導部がかなり冷静であるということです。ナショナリズムを一面では強調しますけれども、一面では押さえるというのは、以前に比べれば合理的な思考を持った人が政権の中枢にだんだん増えているからではないでしょうか。
 これは経済学の面からも特に感ずるのですが「中国の経済学」はすっかり変わりました。以前はマルクス経済学、政治経済学一辺倒で、いわゆる近代経済学は一特殊科目、「西方経済学」(西側経済学)でしかなかった。ところが今は全く違いまして、政治経済学は一種の特殊科目としてありますが、ミクロ経済学、マクロ経済学、その他ほとんどが西側の翻訳ものです。
 そうした経済学の思考に慣れた人が若手として育ってきた。しかも、政権の政策決定の中に入り始めている。一部はアメリカから帰ってくる。日本からはあまり帰ってきませんが、アメリカからはポツポツ帰ってきた。そうした人が次の世代を教育し始める。マルクス経済学ではなくて、近代経済学が広まっていく。
 近代経済学を教えるというのは、一つの経済合理的な思考様式を伝えるわけです。だからナショナリズムが暴発しないという保証はないのですが、そういう合理的な思考がだんだん中国社会に広がってきているということは、あの政権がそんな無茶をしないことの一つの保証になるのではないか。
中国指導者も、抑制的対応と経済最優先に
 田中氏 建国五十周年の国慶節を見ても、確かに「愛国主義」は強調していますが、建国五十周年というとてつもない区切りだということからすれば、見方によると、かなり控えめな祭典だったということも言えないこともないですね。特に排外的な形を強調することもあまりないし、この段階で言うと、あまり台湾のことについて騒ぎ立てることもないから、その面で言うと、先生がおっしゃったように中国の指導者の中のある種の抑制の効いた対応、とりわけ経済を最優先させるという発想が出ているのだろうと思います。
 話題を日本との関係に移します。
 日中関係というのはいろいろな問題があって、国交正常化してから四半世紀以上たちましたが、よくなったり悪くなったり、いろいろですが、経済面で言うと、日中関係はどんなふうにとらえたらいいとお考えですか。
日中の経済関係は水平分業関係として緊密になっている
 中兼氏 統計にも出ていますが、中国にとって日本は最大の貿易相手国ですし、日本にとって中国は二番目の相手国ですが、それぐらい大きな比重を両方とも占めている。
 投資も一時期ちょっと落ち込みましたが、最近復活しているようですし、ODA(政府開発援助)も、前はインドネシアがトップだったのですが、今は中国がトップではないでしょうか。
 田中氏 中国とインドネシアでトップになったり、ならなかったり、交互でなっていますね。
 中兼氏 そういうことで日中の経済関係は緊密になってきています。これは事実です。
 日本はなにせ賃金が高いわけですから、日本の工場で労働集約的な生産はできない。だから、かなり中国に工場を移してそこで生産させたり、加工したものを持ってくる。そのプロセスがだんだん進みますと、中国で大部分作らせて日本が買い取る、つまり、日中は垂直分業からだんだん水平分業関係になりつつある。
 ですから、日中の経済関係はこれまでのところ、非常にうまくいっていると思うのです。それなら今後ともずっとうまくいくかどうか。それは長期的にみて、中国に経済的に発展する潜在能力があるかにかかっています。
 では、中国に潜在的発展力はもうなくなったのかというと、決してそうではない。今後発展が期待できるのはやはり内陸ですね。中国というのは、ある意味で二つの国になって、「沿岸国」と「内陸国」からできています。これからはやはり相対的には比重は内陸に行くと思うのです。そこは資本も不足、インフラも不足している。日本のODAもそこに行くでしょう。ODAがそこに行ってインフラが整備されれば外国資本も行きやすくなるということで日本の企業人は内陸開発に熱い目を注いでいるということがあります。
 今まではあまりにも沿岸部を中心に発展してきてアンバランスだった。これを内陸部も発展するようなバランスのとれた発展をすれば、中国経済はさらに大きくなる可能性がある。もちろん、それが全く問題なく順調に発展するのではなく、いろいろな課題を抱えつつも発展する能力、余力がある。
中国には潜在的な市場能力があり、将来性も高い
 それを日本の企業家は決して無視してはいけない。欧米の多くの企業が、どうして中国に熱い視線を注ぐのと言えば、やはり中国に潜在的な市場能力があるからです。自動車は今は一種の不況産業になって作ってもなかなか売れません。しかし、アメリカのGMなどは中国に投資意欲を持っている。「中国はこれから発展する。まだマイカー時代にはなっていないが、マイカー時代になれば大変な購買力が出てくるだろう」と彼らは考えているはずです。そうすると危険を冒しつつも先手を打って中国に入っていかないとえらいことになる。
 トヨタが失敗した例があります。トヨタは中国に来てくれと頼まれたのですが、一九八〇年代には断ったのです。ところが中国市場がだんだん発展してきたので、「では、進出します」と言っても、中国は「いまさら何だ」と反発し、フォルクスワーゲンとか、GMを選ぶことになる。初めは儲からないが、やはり潜在力を見て中に入っていくということが、ますます必要になってくるのではないか。
 「日本はブーメラン効果を恐れて最新技術を出さない」と中国から言われて随分批判を受けてきました。八〇年代、私が二、三回中国に行った時、中国側の役人とか、実務家からよく批判を受けたものです。私が日本を代表して批判されたようなものです(笑い)。「どうして日本は中国に投資しないか」というのが彼らの批判の一つ。
 二番目は、「どうして最新技術を移転しないのか。そんなにブーメラン効果を恐れているのか」というものです。「いや、そうじゃないのだ。今そこに行ったって、あまり効果がない。儲けがないからだ。いずれ日本企業は来る。儲かると思えば日本企業は必ず行くんだ」と私は説得するのですけれども、「いや、ブーメラン効果を恐れているからだ」と彼らは言うのです。
 けれども、最近の状況を見ますと、日本の一部の企業ですが、比較的先端の技術、最新技術を中国に与え始めている。なぜ与えるかというと、彼らが中国市場の将来性を買っているからだと思うのです。
 そういう意味で、日中の経済関係は長期的にも発展していくのじゃないか。少し楽観的過ぎるかもしれませんが、私はそう思っています。
日中韓の経済協力構想までつなげられるか
 田中氏 日中関係でも悲観的な観測もあると思うのですが、あえて楽観的な話を進めていただくと、経済と政治といろいろ側面がからまっているわけですが、金大中大統領が昨年日本を訪問されてからの日韓関係の進展は想像を越えるものがあって、かなりよくなったわけです。
 これは政治的な面でよくなっているわけですから、経済的に果たしてそうであるかどうか分かりませんが、それでもそういうのがよくなると、「日韓の自由貿易地域」を構想しようというような話が出てきます。
 それに加えて、この間私は韓国へ行ってその話をすると「日韓をやるのなら、やはり中国も入れなければならないのではないか」ということを韓国の人が言うわけです。
 そうすると、もし先生がおっしゃるように日中関係がそれなりに発展する可能性があるとすると、かなり長期の構想としてみると、北東アジアというか、日本、中国、韓国のある種の経済協力構想というようなものまでつなげることができるのかどうか。その辺はいかがですか。
森嶋氏の東北アジア共同体構造も
 中兼氏 最近、森嶋通夫先生と小宮隆太郎先生が大論争をされました。小宮先生が森嶋先生の「東北アジア共同体構造」を厳しく批判されております。
 森嶋先生の言われる「東北アジア共同体」というのは、田中先生の言われた共同体、ないしは自由貿易構想と異質と言えば異質です。森嶋先生の意見ですと、「中国は六つに分割し、日本も二つに分割し、それぞれ独立させる」という(笑い)韓国、台湾を含め、一つの独立した大きな共同体国家を作るのだそうです。沖縄を首都にして、そこを中枢にしていろいろ産業の配置を決めるとか言われている。それはあまりにも非現実的だと思います。
中国がWTO加盟すれば、自由貿易構想や経済協力構想は不必要
 ただ、私が思うには、もしも中国がWTO(世界貿易機関)に加盟する。中国が加盟し、アジアが全部WTOに加盟して、その精神の下で貿易・投資障壁をどんどん小さくしていくということをやれば、あえて自由貿易構想というか、経済協力構想とか、そんな必要はないのではないかという気がするのです。
 中国が加盟すると台湾も加盟しますね。本当は台湾はその準備は終わったのです。ところが面子の問題があって、中国は「おれの方が先だ」というわけで、中国とほかの国との加盟交渉はまだ十分に進展していない。
 EU(欧州連合)のような共同体、それからさらに発展した一つの政治的な統合体というのは、アジアには絶対できないと思うのです。
アジアに、公害など各種の互助協力機構を作るべきだ
 岡倉天心は「エイシア・イズ・ワン」(アジアは一つ)と言いましたが、アジアは絶対一つじゃない。これはいいか悪いかではなくて、あまりにも文化が違い過ぎる。ヨーロッパのようなキリスト教を共有する体制にはない。一時期「儒教文化圏論」というのがはやりましたが、儒教とキリスト教は全然違うと思うのです。EUのような形でアジアが統合される理由は、私はないと思う。そうではなくて、お互いにオープンな関係で自由に投資し合う。また貿易し合う。これがWTOの精神です。それを進めていくことがアジアに相互関係、相互経済を発展させていくことにつながります。
 私の考えですが、むしろ、もっと非経済的な形の、「共同体」とまでは言いませんが、各種の「互助協力機構」をアジアに作るべきなのではないか。
 例えば、公害ですね。公害をアジア全体で制御する、防止するという機構を作ったりするのはどうか。ご承知のように中国の汚染物質が日本に大量に降ってくるわけです。これは韓国にも影響がある。風は西から東へ吹きますから日本の汚染物質は中国にはあまり行かないのですが、日本はいろいろな技術を提供するとかいうことで、各国が協力し合うような関係を結び合う。むしろそちらの方が私はいいと思うのです。
 これは私の主義ですが、経済は、政府が前面に立つのではなくて、市場でやれるものは市場でやらせる。政府はそれを側面で援助してあげるということに徹するべきではないか。
 だから、例えばWTO交渉を促進することは政府の役割ですが、それができたら、各国間の貿易や投資をさらに発展するのに各国政府が努力するというふうにすれば、市場がうまく機能し、それにより各国間の経済的利害調整は進むと私は考えております。
 田中氏 どうもありがとうございました。
 (編集部注・中国のWTO加盟を巡る米中間の閣僚交渉は11月15日、北京で妥結、合意書に署名しました)
(平成十一年=一九九九年=十月十五日、アジア調査会事務局で行われた対談速記録=文責・編集部)=文中敬称略
田中明彦(たなか あきひこ)
1954年生まれ。
東京大学教養学部卒業。米マサチューセッツ工科大学大学院修了。
東京大学助教授を経て、東京大学教授。東京大学東洋文化研究所所長。
中兼和津次(なかがね かつじ)
1942年生まれ。
東京大学経済学部教授。
 
 
 
 
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