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2002/05/26 産経新聞朝刊
【主張】「日中」30周年 数字合わせは国益損なう
 
 瀋陽の日本総領事館での亡命者連行事件に対して政府や与党の一部に今年が日中国交正常化から三十年になることを理由に対中姿勢を和らげるべきだとする意見がある。自民党総務会での野中広務氏の「今年は日中国交正常化三十周年の年でもあるだけに(中国への対応に)配慮すべきだ」という主張はその代表例である。
 現に日中国交正常化三十周年を祝う「友好」行事が今年秋に予定され、その行事を実施する議員連盟までが自民党の橋本派を中心に結成されており、日中友好のためには中国への抗議も適当にしておけ、というわけである。だがこの種の主張は外交の基本を大きく間違えた倒錯だといえる。
 亡命者連行事件の核心は普遍的には人道上の問題であっても、日本にとっては国際条約で決められた外交公館の不可侵権を踏みにじられたという点で国の主権の問題である。事実の認定をめぐる日中両国の主張が正面から対立するからといって、当事国の日本が最初から「落としどころ」などという表現の下に、双方の主張を足して二で割るような答えを求めるという性質の課題ではない。まして国交回復から三十年だから友好を優先させ、主権の問題の追及を適当にすべきだという主張は日本の国家や国民への侮辱である。
 他国との関係では自国の国民や国家の利害こそが最大の指針となる。この哲理は主権国家にとって永遠の同盟や友好の相手も、あるいは敵もなく、「永遠なのはわれわれの利益である」という英国のパーマーストーン卿の言を借りるまでもなく、現代世界の常識である。その利害には国際社会の一員としての基本的な権利や名誉、威信という目にみえにくい要因も含まれる。今回の事件では日本にとってのそうした要因が侵されたのである。
 国交正常化から三十年というのは単にきりのよい数字にすぎず、客観的にはなんの意味もない。日中関係でも二十九年や三十一年となにも変わりはしない。そんな数字あわせのために日本の主権にかかわる重要な未解決案件をうやむやにせよというのは、明らかに日本の国益をみない議論である。日中関係では対立や食い違いを隠して表面だけの「友好」をうたう虚構や偽善はもう終わりとすべきなのである。
 
 
 
 
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