憂いと悲しみと決意とが一人の少年の顔にあれほど厳しく刻まれているのをみたことがない。十四歳のカルマパ十七世の写真を眺めて、そう感じた人も多かっただろう。カルマパ十七世とは、いうまでもなくこの一月上旬、厳寒に凍る中国チベット自治区からインドへと密出国した活仏とされる少年である。
チベット仏教カギュー派の生き仏として敬われる同十七世はチベット自治区首都のラサ近郊のツゥルプ寺院をひそかに抜け出し、ヒマラヤ山脈の雪と氷の険路一千数百キロを越えて、インド北部のダラムサラへと脱出し、全世界に衝撃を与えた。
中国政府はその直後、カルマパ十七世が出国の目的を説明する書簡を残していった、と発表した。書簡には今回のインドへの出国が中国の国家や民族への反逆ではなく、インド領内の寺に保管されるカギュー派の聖なる「黒い帽子」や楽器を取りにいくことが目的だ、と書かれていたという。カルマパ十七世はインドでは中国政府が「分裂主義者」と非難するチベット仏教最高指導者のダライ・ラマからも、チベット亡命政府からも、温かく迎えられた。だが中国政府を批判する言動は一切みせず、中国側の発表も事実かと思わせるような状態が続いた。
ところが二月十九日、ダラムサラで開かれたダライ・ラマ即位六十周年記念の集会でカルマパ十七世は演説し、「チベットの文化はいまや滅亡の危機に直面している」と訴えて、今回の出国が事実上の亡命だったことを裏づけてしまった。現地からのAFP通信電によると、集会では同十七世が中国脱出の途に書いたという詩が悲しく響く音楽とともに流された。その詩は「かつては雪と甘美な楽曲の国だったチベットは赤い中国人たちに破壊されてしまった」とつづられていたという。
カルマパ十七世はダライ・ラマと中国政府の両方が「転生霊童」として認めた活仏だった。だがそれでもなお中国の統治するチベットから死を覚悟してまで脱出した。十四歳の少年のその決死の逃避行の背後に浮かぶのは、やはり中国当局がチベット固有の宗教や文化を抑えるうえで生じる過酷なきしみである。唯物論、無神論の共産主義政党が宗教への信仰を最大支柱として生きてきた異民族を統治する悲しい現実だともいえる。
われわれはこのきしみの犠牲者の側には日中関係の政治や外交とは別の次元で、全世界に普遍の人道主義の見地からの同情と理解を向けるべきであろう。その意味ではダライ・ラマの訪日も決して忌避してはなるまい。
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