1998/12/20 読売新聞朝刊
[社説]正念場の中国・改革開放20年
中国の改革・開放路線が二十周年を迎えた。この間、中国は計画経済から市場経済へと大きく転換し、年平均10%近い成長率を記録した。かつて階級闘争に明け暮れた国が、二十一世紀を前に世界の一極を担う地位にまで発展した。
しかし、成長を引っ張ってきた輸出にもかげりが見え、地域格差の拡大や国有企業の不振、失業者の増大など、大きな壁にぶちあたりつつある。責任ある大国へ脱皮するには、今後さらに身を切るほどの改革に迫られよう。
中国が、国の基本路線を、階級闘争から経済建設へと転換したのは、一九七八年十二月に開かれた共産党第十一期中央委員会第三回総会(三中総会)だった。
華国鋒党主席(当時)から実権を奪ったトウ小平副主席は総会閉幕の演説で、共産主義のイデオロギーに縛られた毛沢東時代に別れを告げ、「思想の解放」「実事求是(事実に基づいて真実を求める)」の精神を強調した。
だが、同じ演説で「(今後)必ずわれわれの知らない、予測不能な新しい問題が数多く出てくるだろう」と述べたように、改革・開放の二十年も激動の時代だった。
ソ連圏の崩壊とは対照的に、中国が曲がりなりにも軟着陸に成功したのは、難問を先送りし、必要な改革、実現可能な改革から着手し、段階的に拡大していくトウ氏独特の実用主義的な手法を採用したからだ。
農村から都市へ、経済特区から沿海全域さらに内陸へ、経済改革を優先し政治改革は後回し――といった具合だ。共産党が一手に握っていた権限を地方当局や企業に移譲し、現場の活力を引き出していった。
しかし、トウ小平流の改革はいま大きなひずみを生み出している。沿海地域と内陸の地域格差は拡大し、階層間の所得格差も広がっている。地域間のやみくもな開発競争の結果、重複投資が進み、主要な産業の稼働率は五割前後となっている。改革を先送りしてきた国有企業は赤字体質が一段と深まり、財政を圧迫している。
そこに、アジアの金融危機が直撃し、輸出が伸び悩み、成長率が低下してきた。国有企業の改革には、過剰な労働力の削減が不可欠だが、景気の低迷が再雇用創出の妨げとなり、改革を遅らせている。
難局乗り切りを最大の課題とする朱鎔基内閣は、内陸開発の推進と内需拡大に重点を置こうとしている。基盤の弱い中国では外国の資本や技術の導入がカギを握る。最近の協調外交の狙いもそこにある。
江沢民国家主席の来日も、その一環だった。実際、内陸開発や科学技術・産業技術分野への支援、日系企業の投資促進など具体的な協力プロジェクトが合意された。
だが、江主席が歴史問題を強調し過ぎたために、その意義が薄れた。日本企業の中国熱に冷水を浴びせた感がある。
「貧しい隣人をよろしく」。やはり二十年前になるトウ氏の来日時のユーモアあふれる言葉は中国ブームを巻き起こした。
二十周年は、中国の流れを変えたトウ小平路線を改めて見直すよい機会である。
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