1989/10/01 読売新聞朝刊
[社説]苦闘する建国40周年の中国
中国は一日、建国四十周年を迎えた。世界一の人口をかかえる大陸中国が四十年にわたり、独立と統一を保ったのはそれ自体、近代中国史上、画期的な大事業だ。
だが、首都北京に戒厳令がしかれたまま、この日を迎えねばならなかったのは、不幸だったと言わざるを得まい。
この四十年の中国の国造りの道は、革命成立への道以上に、いばらに満ちたものだった。試行錯誤と混迷の連続だった。
国民総生産は建国時の二十倍以上になったとはいえ、その発展の遅れは近隣の日本や新興工業国・地域群とくらべれば明らかだ。一人当たり所得(八六年)は日本の四十二分の一、韓国の七分の一以下だ。
人口規模、歴史と風土、国民性、国際環境、とりわけ体制の違いなど、さまざまな要因があろうが、中国を発展にいざなうかじとりの難しさを示している。
「毛沢東の中国」は建国初期の土地改革で生産を高めたが、長続きしなかった。急速な社会主義改造、農業の集団化、反右派闘争、人民公社化と大躍進運動、文化大革命。現実離れの経済政策と政治運動、権力闘争が巨大なエネルギーの浪費を強いた。生産力は破壊され、人材を失った。
七八年末から中国を再出発させたのが「トウ小平の中国」だ。改革・開放の近代化路線をとり、生産力の拡大を目指す。
トウ氏はその権力確立の過程で、民主化運動を利用したが、権力を手にすると、共産党の指導など四つの原則を打ち出し、核心をつき始めた下からの民主化運動をおさえこむ。政治的混乱を恐れたのだ。
経済建設のための改革・開放と秩序の維持は、まさに、トウ氏の至上の命題であり、今日なお、トウ氏の時代はその調和に苦闘していると言ってよい。
ジグザグはあれ、改革・開放の進行は、この十年、年平均九・六%の高度成長をもたらした。だが、同時に、インフレや腐敗などさまざまなひずみを生んだ。
それは、経済の改革・開放と表裏の関係にある政治改革の停滞を際立たせ、八六年、今年と民主化運動を燃えあがらせた。その結果、指導部内の権力闘争も激化し、トウ氏は後継者と目された二人の改革派指導者を失い、六月の天安門事件に至った。
江沢民・新総書記は、先月二十九日の演説で、社会主義の優越性を強調した。いま、中国は、中国を「ブルジョア共和国」に「平和的に進化」させようとする「国際反動勢力の企て」に対する警戒心を高めるキャンペーンを展開中だ。
その種の「陰謀」は知らず、ポーランド、ハンガリーの民主化の動きなど、従来の社会主義体制を変革する、西側が歓迎する流れが起きているのは客観的事実だ。
民主化運動を「反革命暴乱」として武力で「平定」するだけでは、社会主義の優越を示せまいし、中国のジレンマは解決しまい。トウ以後の時代へ、安定と発展への軟着陸を果たすため、相互依存と情報化が進む世界で、中国が民主化の課題をどう克服するのか、いまは、その苦悩のドラマのひとこまと言えないだろうか。
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