1987/11/03 読売新聞朝刊
[社説]若返った「トウ小平氏の中国」
「われわれは時代に追いつかねばならない。これが改革の目的だ。幹部の若返りの方針を断固、実行しなければならない」
この夏、党や行政機構の幹部の老齢化、硬直化の問題の深刻さを指摘して、中国の最高実力者、トウ小平氏が語った言葉である。
一日閉幕の五年ぶりの党大会と二日の新中央委員会第一回総会で、中国を主導する中国共産党の指導部が大幅に若返った。
八十三歳になるトウ氏自身、いわゆる保守派の大立者、陳雲、彭真両氏を含む革命第一世代の長老たちを道連れにする形で、党の最高指導機関である中央委員会から退いた。
新中央委で目立つのは、総書記に選出された趙紫陽氏(首相兼任)の側近グループや地方の第一線で改革・開放政策の指揮をとる幹部の進出であり、胡耀邦前総書記人脈の健在である。逆に保守派が退潮を見せた。
中央委の閉会中、その職権を行使するとされながら、メンバーの老齢化もあって、日常の政策決定を書記局に任せがちだった政治局やその核である同常務委員会は、今回の党規約改正で中央委とともに活性化が図られることになったが、その構成も常務委で改革派やや優位、政治局全体では圧倒的優位となった。格下げとなった書記局も同様である。
新指導部の若返りは、改革・開放の加速と重ね合わせの形をとりつつあると言えるかもしれない。若返りは保革の路線対立、権力闘争と密接にかかわりあってきた。
それにしても、譲歩と妥協、さらには警告をまじえながら、このような大手術をやってのけるまでにこぎつけたトウ小平氏のしたたかな政治手腕には驚くほかない。
八〇年の趙紫陽氏の首相就任、翌年の胡耀邦氏の党主席(当時)就任で、トウ氏は胡、趙両氏を柱とするポストトウ体制の構築をめざし、改革・開放の近代化路線を進めてきた。
それは、トウ小平以後をにらみ、円滑な権力継承の制度化による集団指導体制の強化、安定と政策の継続性をめざす大構想であり、若返りや政治体制改革もその一環だった。
しかし、胡氏の不手ぎわ、それにつけこんだ保守派の反撃があって、トウ・胡・趙体制は一月政変で胡氏の総書記辞任を余儀なくされて、一とんざした。
今回の党大会と新指導部の構成は、トウ氏を後見人とする趙紫陽氏ら改革・開放派の主導権奪回を意味し、ポストトウ体制再構築への一歩とみてよい。
もちろん、トウ氏は党中央軍事委員会主席のポストにとどまり、軍権を引き続き掌握した。軍権掌握の重要性は明らかである。しかも、同委第一副主席には趙氏が就任した。
ヒラ党員とはいえ、中国の現状では、最高政策決定の実権はなお、トウ氏の手にあり、究極の権威はトウ氏という人物と一体化している。依然、「トウ小平氏の中国」がそこにある。
問題は、トウ氏自身の高齢にある。一歩を踏み出した趙指導体制の確立が急がれる理由である。新指導部内の保守派の動向も決して無視できまい。来年春に予定される新首相選出もからんでくる。
ただ、曲折はあれ、社会主義初級段階論に立つ改革・開放の大きな流れに変化はあるまいし、それを期待したい。それが中国の安定への道でもあり、日中友好・協力の増進にもつながるとみたいからである。
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