1998/11/27 毎日新聞朝刊
[社説]日中首脳会談 未来に向けた協力強化を
日中関係は、やっと「戦後」に幕を引き、来世紀に向けて動き出した。中国の国家元首として初めて来日した江沢民国家主席と小渕恵三首相が26日、「平和と発展のための友好協力」関係を構築していくことで合意したからである。
最後になって署名するかどうかで呼吸が合わなかった。この小異をあげつらうこともできるが、未来志向に日中関係を転換しようという合意ができたことを重視したい。
日中戦争は、1945年に日本が中華民国を含む連合国に無条件降伏して終わり、51年のサンフランシスコ講和条約で終戦処理が行われた。
だが、72年に日本が中華民国から中華人民共和国へ外交関係を切り替えたため、終戦処理が一部仕切り直しとなり、中国国民に対する「責任」と「反省」を表明した「日中共同声明」が作られた。
4年後には「日中平和友好条約」にまとめられた。
国交を樹立した国は、その仕上げのセレモニーとして、元首級の人物が相互に儀礼訪問をする。この儀式を経て外交関係は完全に正常化したことになる。
もし日中間に過去のわだかまりがなければ、元首級往来は容易に実現していたろう。しかし天皇陛下の訪中は92年だった。
その答礼である中国国家主席の来日には国交正常化から26年もの歳月が必要だった。
その間、日中戦争への認識や反省をめぐり両国間には何度となく波風が立った。今回も、中国側には「日本は韓国の金大中(キムデジュン)大統領との会談で植民地支配を文書で謝罪したのに、江沢民主席との会談では口頭謝罪ですますのか」という不満が消えなかった。
江沢民主席の歓迎式では中国の国歌「義勇軍行進曲」が演奏された。中華民族よ、侵略に立ち上がれ、と呼びかける抗日歌である。
中国にとって「抗日」という言葉は、単なる歴史的事実ではない。抗日戦争を指導した中国共産党の統治の正統性にかかわる政治的意味合いを帯びている。だから、中国が日中戦争の認識に神経質になることは理解できるが、日本の歴史認識を中国に完全に一致させることも難しい。
しかし日中共同声明によって定められた日中関係の基礎が動揺する気配はない。
江沢民主席の来日によって日中関係は「平和と発展のための友好協力」を探る新段階に入ったと宣言された。「友好協力」関係を築く努力を重ねていけば、相互理解が深まり、歴史認識の溝も自然に埋まっていくと考えたい。
江沢民主席の来日では、「日中両国の21世紀に向けた協力強化に関する共同プレス発表」がまとめられた。
良きパートナーとして日中が2国間で何ができるのか、また国際的にどのような貢献ができるのか、具体的に行動指針が列挙されている。
中国の環境保護、国有企業改革、内陸貧困地帯の開発、青年交流など、これから日中でやるべきことはあまりにも多い。
「友好協力パートナーシップ」は、机の上で議論するだけでは生まれないだろう。後ろを向いて小異を非難し合うより、未来に向かって、まず動き出すことが先決ではないだろうか。
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