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解剖実習を終えて
東京都立八王子盲学校 坂井まさみ
 
 解剖実習をさせて頂けるというお話を初めて聞いたのは2年前でした。それまでは、私が勤務している盲学校のカリキュラムの一つとして、毎年見学実習をさせて頂いていました。解剖学は、「あんま・マッサージ・指圧・鍼灸」の免許をとる過程では、国家試験の科目でもあり、また、人体を施術するうえでも、なによりも大切な科目となっています。今回のお話を頂いた時には、見学実習をさせて頂くだけでもありがたい事だと思っていましたので、私達視覚障害者に実際にメスを持たせて頂き、勉強させて頂けるとは夢のようなお話でした。前回は、私は学校行事の関係で参加することができませんでしたが、今年こそはと思い、期待に胸をふくらませていました。
 この解剖実習に向けて、私には二つの大きな目的がありました。一つは、生徒に解剖学を指導するにあたって、裏付けとなる、この目で見、この手で触れた実際のことを知りたいと思っていたことです。全く剥皮されていない献体を解剖するのは初めての経験でした。皮下脂肪の色や付き方、筋や筋膜の状態、血管の状態、関節円板、腹膜など、「実際にはこんな風になっているはず」ということが「実際にはこうだ」ということに変わった点は大きな喜びでした。
 もう一つは片眼視力0.06、視野1/2という状態でどのぐらい実習に参加できるかということでした。細かい部分は、やはり難しいですが大まかな部分は、少し切れなくなったメスとはさみを分解したものと手で解剖していく事ができました。手術用の手袋の人差し指がよく破けました。脂肪の剥離の感触、筋膜の感触、血管と結合組織の違いなどを手で感じることができるようになりました。神経幹や細かい部分は先生方に触れさせていただきました。4日間という期間でしたが、続けられたのも本当に杏林大学の先生方のご配慮があったからだと思っています。テキストを拡大して頂いたり、詳しく説明して触れさせて頂いたり本当にありがとうございました。献体を希望して下さった方にも本当に感謝したいと思います。ありがとうございました。本や写真では得られない貴重なものをたくさん頂きました。この経験を「生きた教材」として生徒に伝えていきたいと思います。
 
日本健康医療専門学校 迫修一
 
 「解剖学見学実習」に臨む前は、初めての経験でもあり、実物のご遺体を実際に目にする怖さやきちんと見ることができるかという不安がありました。一方、教科書でしか見たことのない人体構造を実際に見てみたいという気持ちが入り混じる複雑な気持ちでした。事前のオリエンテーションで、日本歯科大学の先生から人体解剖学の歴史や献体の歴史についての話を伺ったり、「献体」のビデオを見せていただいたりして益々緊張が高まりました。特に献体をしていただいた方々やこれから献体をしていただく方々の気持ちを知ってからは、軽々しい気持ちで見学に臨んではいけないと強く思いました。
 「解剖学見学実習」を終えて改めて思うことは、あまりにも解剖学の知識の無さや曖昧さでした。見学の前にある程度勉強したつもりでいましたが、したつもりでいただけで実際にはたいした知識も無かったことを痛切に感じました。
 わずか3時間という短い時間ではありましたが、人の身体に関わる仕事をするには中途半端な気持ちではいけないこと、深く勉強しなければいけないことなどを痛切に感じました。今回の見学実習をこれからの勉強の原点としていきたいと思います。最後になりましたが献体なされて、見学させていただいた方々に感謝いたします。
 
札幌リハビリテーション専門学校教員 佐藤香諸里
 
 私は、市中病院で理学療法士として9年間リハビリテーション業務に従事し、その後は専門学校の教員をしながら、現在は札幌医科大学の職業人大学院に在席しています。大学院では、かねて興味のあった股関節(関節包)について顕微鏡的な仕事をしています。目に見えるマクロ的な形態だけから関節運動を考えることに慣れてきたので、顕微鏡レベルのイメージを頭の中に作りあげるのに苦労しています。
 理学療法士という仕事は聞きなれない方もいらっしゃると思いますが、リハビリテーション医療に従事する職種のひとつです。関節の動きが悪い方に対してその動きがよくなるようにしたり、うまく歩けなくなった方に歩き方の指導をする―といったものが仕事の内容になります。私達にとっては、関節がどのような構造をしていて、どのような筋肉が関節を動かしているのかということは、欠かすことのできない知識です。その土台となっているものが解剖学であり、解剖学実習です。
 現役の理学療法士として働き始めてからの解剖学実習は、学生の時の経験とは大きく違います。痛みのある患者さん、関節が動かない患者さんなど、個々の症例を思い浮かべながら観察を行うことにより、新たな知識・疑問そして発見が多々あります。幸い札幌医科大学では、北海道内の現職のコ・メディカルを対象に、毎年『夏季解剖セミナー』を実施しています。コ・メディカルといっても参加者の多くは理学療法士・作業療法士・言語聴覚士などのリハビリテーション医療従事者です。このセミナーでは、解剖をする部位は参加者自身が決定し、それぞれが自分の目的を持って解剖を進めていきます。医学部の実習で用いたご遺体の他、新しく3〜4体が出されます。関節や筋に限らず、脳出血の際に障害を受けやすい脳内の神経線維束の解剖をする者もたくさんいます。ホルマリン固定標本では解決できない問題提起に対しては、整形外科バイオメカニクス研究に用いた後の未固定凍結標本も提供してもらえます。
 7回目を迎える今年の夏季セミナーは、7月17日から5日間にわたって開催され、230名の現職コ・メディカルが全道より参加しました。それぞれが、治療の現場で抱えている問題を解決するべく、セミナーに参加するわけですが、多くの参加者から「教科書だけではここまで理解できなかった」、「患者さんが痛がる理由がよくわかった」、「今までとは違う治療を考えるきっかけとなった」といった声が聞かれています。職業人どうし、経験の浅い者も問題意識の深い者も、肩を並べて同じ実習室で解剖できるのも魅力です。呼吸器リハビリという日本ではなじみの薄い分野で、痰の出させ方の画期的な方法をChestという雑誌に掲載した人達(実は後輩)は、肺ばかり1日中ほじくっていましたが、関節馬鹿の私には質問するのも憚られました。ともあれ、私達にとっては何度体験しても、そのたびに新鮮さを持って学習できるもの、それが解剖学実習であると思います。
 私が理学療法士になる前、札幌医大保健医療学部の学生だったときの解剖学実習は、医学部の学生さんが既に解剖してあるご遺体を見学させていただく、見学実習という形でした。それはそれで勉強になるものでしたし、故人に対する畏敬の念を抱いた事は今もなお記憶に強く残っています。9年前から札幌医大では、理学療法学科・作業療法学科の学生も、医学部と同様にご遺体を自分の手で解剖していく、見学ではない解剖学実習が授業の中に組み込まれています。医学部の実習が行われない曜日に、医学部学生が用いるご遺体の脊柱と右側の四肢を10回に分けて解剖していきます。私たち大学院生が解剖のアシスタントをしながら進行し、最終回に乗安整而教授・吉尾雅春教授の口頭試問があります。
 こうした教育システムは、私達にとっては理想的なもののひとつで、このような環境を認めていただいた白菊会の会員の皆様、そのご家族の皆様には深く感謝しております。毎年、白菊会総会では私たちの保健医療学部長からコ・メディカルの解剖学実習について説明があり、会員とご家族のみなさんの間でも「コ・メディカル」という言葉が使われるようになりました。最近はリハビリ関係だけでなく、管理栄養士や薬剤師をめざす学生たちにも見学実習の機会があるとのことで、昨年の白菊会総会では「なぜ管理栄養士に解剖学が必要か」という講演がありました。それは哲学的で難解でしたが、「栄養管理と医学は本来は一体だった」というような話だったかと思います。それぞれ職業人として異なる立場で、解剖を捉えていくのでしょう。御献体くださった方々のご意志に報いるためにも、教員として未来の理学療法士・作業療法士に、解剖学を通じて人体のすばらしさを伝えたいと思っております。
 
神奈川県立病院付属看護専門学校 澤登奈緒
 
 解剖の見学を通して、改めて人体の不思議さを感じた。赤ちゃんは十ヶ月間だけ母親の胎内で成長してその後誕生するわけだが、私は、こんなにも複雑な構造をしている人間の身体を十ヶ月で造ってしまうということが不思議で仕方がなかった。
 どの人にも同じように心臓があり、肺がある。しかし一つとして同じ形の心臓はなかった。身体には様々な形や大きさの臓器、組織がある。その形や大きさも人によって様々であった。顔や体型と同じで、臓器にも個性があった。「個性」・・・「いのち」・・・。様々な形や大きさの臓器をまえに、私はいのちの重さを感じた。今までは動いていた身体が動かなくなるということ、いのちが亡くなるということ、これらはいったいどういうことなのか。また、生きるとはどういうことなのか。
 この世に誕生した者が必ず経験する「生」と「死」。今までにもたくさんの人が経験したであろう「生」と「死」。だが、それらが意味するものは、どんなに医学が進歩しようとも誰も知ることはできない。だって、自分が誕生する様子を覚えている人はいないし、自分の死を経験するのはたった一回きりなのだから。ただ私は、どんな人でも生きた証は必ず残る、と言いたい。私は献体をまえにした時、その方の人生や家族の気持ちなど色々なことが心に浮かんだ。「生命」はまわりに様々な影響を与えるということを忘れてはならない、と思った。
 今回の学習は、医療に携わる職を目ざす私達にとって大きな学びとなり、またとても貴重な体験となった。いままでの学習で蓄えた「知識の糸」が、今回の学習で少しずつまとまっていった。臓器の構造や位置関係を実際に見ることで、講義のときにイメージしていたものとが重なり、理解を深めることができた。私の中でこの学習は、この先もずっと役立つものになると思う。今回の学びを基盤に「知識の糸」が束になるよう、これからも学習をすすめていきたい。
 解剖の見学を終えたとき、私は学習の機会を与えてくださった白菊会の方々への感謝の気持ちでいっぱいだった。感謝の気持ちも込めて、これからもっと学習を深めていきたいと思う。有難うございました。







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