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婦人科医と手術解剖研究
癌研究会附属病院婦人科医師 加藤友康
 
 私の解剖学研究の目的は、子宮癌の手術方法を改訂することです。すでに何十年にわたって全国津々浦々で行われてきた確立した手術を、なぜ今さら再検討しなければならないのか、さらには「私はまちがった手術を受けたのか」といった疑問が、直ちにぶつけられます。最初に結論だけ申せば、従来の手術も(理論はともかく)結果としては優れていたと言えますので、どうかご安心ください。同一程度の癌に対しても、手術の手順は各大学・各医師そして時代によって多少異なります。ここでお話したいのはこのような手順でなく、もっと根本的な手術理論であります。手術理論は解剖学や生理学に基づいています。つまり、解剖学的理解に誤りがあれば、手術方法に改訂の余地があるわけです。
 子宮癌の手術では早期癌をのぞいて、子宮の周囲を広範囲に切除します。この手術術式は日本で発達し、1921年に京都大学の岡林先生が報告されました。この方法により子宮癌の治療成績は向上しました。しかしその一方で、尿が膀胱にたまってきたという感覚が鈍ったり(32%)、尿がなかなか出ないとか(56%)、失禁をしたり(51%)、また便秘がひどくなる(63%)といった術後障害が多くの人に残りました(%は私の勤める病院の術後4〜5年目のデータです)。女性骨盤の内臓には、子宮のほかに膀胱と直腸があります。さらに子宮の周囲には、骨盤の内臓に分布する神経が走っています。子宮を広範囲に切除することによって、これらの神経を損傷し、膀胱や直腸の動きが悪くなるわけです。手術で癌を取り除くことはできても、排尿や排便という日常生活の質が制限されることが問題でした。
 この障害を軽減すべく、1961年、神経を温存しつつ子宮を広範囲に切除する方法が東京大学から提案されました。排尿を司る神経(骨盤内臓神経)を温存する方法です。子宮を左右から支えている靱帯をほぼ半分にわけ、腹部側を切除し、臀部側を温存します。この臀部側半分の靱帯内に排尿を司る神経が含まれていると考えたわけです。この方法により、排尿機能障害は軽減されました。ただし、靱帯の臀部側半分を残すために癌切除の根治性が低下しますので、子宮を越えて広がっているような癌にはこの方法は適応ではありません。癌からなるべく離して切除するのが癌の手術の基本だからです。
 東京大学の提案は、その後長く全国の婦人科医に支持されてきました。しかし、石川県立中央病院の矢吹朗彦先生だけは、みなが信じる場所に排尿を司る神経(骨盤内臓神経)が走ることに疑いを持ったのです。私も遅まきながら同じ疑問を持ちました。札幌医大のご厚意で提供していただいた未固定凍結標本を用いて、幾度となく手術を再現してみました。その神経はやはりもっと深い所にあります。子宮を骨盤の左右から支えている結合組織(子宮基靭帯)をもっと広範囲に切除しても、神経を温存することが可能だという確信を得ました。私はその結果を受けて、神経を温存しながらもっと広い範囲を切除できるという提案を2002年に婦人科手術手技学会で、2004年には日本産婦人科学会総会シンポジウムで行いました。また、患者さんのご了解のもと、私の勤める病院でその手術経験を重ねてきました。まだ長期成績は出ませんが、子宮癌の手術治療成績はさらに向上し、同時に術後の障害に悩む方は少なくなると信じています。
 ホルマリン固定されたご遺体では、組織が硬く変化するため、手術術式に沿った解剖ができません。死後24時間までの新しいご遺体をマイナス20℃で凍結してから各部に切り分け、学外者にも手術解剖を検討させてくれる施設は、日本では札幌医大しかありません。こうした未固定凍結標本を用いた手術解剖は、アメリカ婦人科学会では専門医の単位認定にさえ用いられており、日本からの受講者も少なくありません。確かに、未固定凍結標本を用いた解剖には困難な点があります。死後24時間くらいまでに献体が大学に到着するよう、ご遺族に葬儀日程を切りつめていただかなくてはいけません。さらに、日本人の数%以上が持っている肝炎ウイルスによって、深刻な感染が起こる可能性があります(ホルマリン固定ならばウイルスは死滅します)。特に、ご遺族の理解が大切です。まだ病室で気も動転している最中にナースステーションに呼び出され、「すぐに大学に送ってくれ」と電話で言われたら、私でも困惑するか反発するでしょう。横たわる身内の者に少しでも長く付き添いたい心情は、「手術方法の再検討」や「手術演習」などとは何の関係もないに違いありません。機会あるごとに会員とそのご家族に繰り返し説明している札幌医大においても、年間50〜60体の献体の中で20体弱しかお受けいただけないのです。逆に、篤志献体以外のいわゆる行路病者などが多いアメリカのような国の方が、未固定凍結標本を用いた手術解剖をしやすいという皮肉な結果になってしまうのでしょう。
 このたびの婦人科手術手技に関する研究を支えていただいた20名余のご献体、そして無理な判断を強制されてなおそれにご理解いただいたご遺族のみなさん、みなさんのおかげでいい仕事ができましたことをご報告いたします。この結果は、必ず目に見える形で、日本の婦人科手術に生かされていきます。ありがとうございました。
 
栃木県県南高等看護専門学校 川村陽子
 
 献体――まさに、自身の体を捧げて下さった方への追悼の念で拝見した。総頸動脈の太さ、大動脈弓のしっかりとした様、筋の付方――方向の違うものが重なり合って、しかも筋と筋で反対に作用し合って運動が成り立っていること、肺が意外に大きかったこと、胃は意外に小さかったこと(私はいつも食べ過ぎ!?)小腸の長さ、ヒダの多さ、など驚いた事が多かった。人間の体はよく出来ているな、感心してしまった。
 だんだん見学しているうちに、この方はどんな人生を歩んでこられたのだろうと思った。
 ご本人、ご遺族の方々のお気持ちを考えると、何とも言えない気持ちになった。本来ならこの肉体は地中で安らかに眠るべきなのにこうして今、私達の目の前に曝されてしまっている。その事に私達は、感謝をして勉強させて頂いているという気持ちを忘れてはならないと思う。そういう方がいらして、そういう方々のご意向をしっかり受け止めた研究者がいたからこそ、医療はどんどん発達し、学問となって私達のような医療を志す者にも受け継がれていくのだなと思った。本当に沢山の命が、捧げられてきたのだろう。だから私達は、いい加減な勉強をしてはならないし、晴れて看護師となれたその後もいい加減な仕事をしてはならないのだ。
 自分が死んだ後も自分の体は是非、役に立ててほしいと思う。今日の見学で更にその気持ちは強くなった。「臓器提供意思表示カード」1998年に記入してずっと携帯しているが、やはりこのまま携帯していようと思う。せっかくの見学の機会は時間がとても短く感じられて、残念に思った。
 
新潟リハビリテーション専門学校 桑原佑実
 
 今回人体解剖をみて、とても貴重な時間を過ごさせていただきました。
 はじめは抵抗感もありましたが、自らの体を提供してくださった方々に感謝の心でいっぱいです。
 はじめのうちは、なかなかご遺体に触れることができなかったのですが、私たちにもっと勉強して体の仕組みを知り、今後に役立ててほしいという提供してくださった方々の気持に失礼に当たると思い、その気持に応えられるようにこの実習で何か一つでも勉強していこうと心の中で決めました。
 実際の解剖の場面で、教科書で勉強していたことがなかなか活かせず筋の名前、その働き、構造がまだあやふやなため教科書などで調べながらの実習となりましたが、実際触れない深部筋、腱などじかに触れることにより、名前は出てこなくてもその働きがどういうものなのか、全部ではないですが、勉強することができました。
 私が解剖学実習を行ったご遺体は、右股関節に人工骨頭が入っており、術後、骨頭の股関節の運動で行ってはならない肢位(屈曲、内転、内旋)を確認し、その部位でどの位の力だとはずれやすいのかなど勉強することができました。また、それだけでなく内臓器系、神経系も理解しながらこの名前が出てくるようにとのご指導の下で、全部を調べることはできませんでしたが、理解することができました。
 今回の実習で人の体の構造は奥が深く、一つ一つに意味があり、まだまだ勉強不足だと痛感しました。また、ただ勉強不足だと感じただけでは今後役に立たないので、分からなかった部位、構造など調べて今回の実習が実習だけで終わらないように自分なりに勉強したいと思います。
 この実習を行っているときに、この提供してくださった方々は、自分の体が解剖され、自らの体を勉強に使ってほしいとのその気持はすごいなと感じました。私ならできないと思いますが、きっと提供してくださった方々のリハビリでの取り組みに対してのPT、OTの姿勢や、また医療スタッフとの信頼関係などがこのような気持にさせたのだろうかなど考えさせられる時間にもなりました。私もこれから実習に行き、患者さんに接触する時間も増えるので、今回の貴重な時間で学んだことを無駄にしないように、私にとって実になる勉強をしていきたいと思います。
 
朋友柔道整復専門学校 近藤誠
 
 先ず献体してくださった方々とご遺族の皆様、解剖学見学実習の場をつくっていただいた日本歯科大学に感謝いたします。簡単に見学実習と言ってもどれだけの篤志、協力のもとに成り立っているのかということをオリエンテーションで知ることができました。最初、自分は日本歯科大学の先生方が人体をつかって講義をすることぐらいにしか考えていなかったし、それほど重い考えはなく普通の授業の延長ぐらいにしか思っていませんでした。しかし、その重みは全く違い、どれほど多くの人達が次の世代の医療に携わる者に、より良い学習の場や機会を与えてくださっているかという事、医療人に対してだけではなく、これから生きていく人々のためにという思いが込められているかということをオリエンテーションで知ることができました。そして、解剖学実習というものが確立するまでの歴史や先達の活動があり今の献体システムができたことも知りました。そういうことがあって初めて貴重で尊い見学ができることがわかりました。
 そして実習室で先生方は、他校の学生である私達に対して、とても親切に分りやすく講義をしてくれました。見学を終えて教科書を開いた時、今までと同じ教科書がとても尊く感じられました。それは、この教科書も多くの篤志家の方々のおかげがあって初めてできたものなのだと思えたからです。これからは今回の経験を一生忘れることなく、精進していくことを誓います。ありがとうございました。







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