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「死者」からのメッセージ
秋田大学医学部 湯浅稚子
 
 私たち医学生のために献体して下さった方々のご遺体を「死者」と呼ぶのは不適切かもしれません。けれど、この三ヶ月間で私が得たものは、生きた者からは決して得ることができない何かでした。実際にご遺体の冷たく固い皮膚に触れ、ずっしりと重い臓器を手に取り、硬直した手足をかかえてみると、何げなく生きているということがどれだけ奇跡的で、尊厳すべきことなのだろうとはっとさせられました。そして、どのご遺体の臓器ひとつをとっても、教科書通りのものはなく、ご遺体どうしを比べても、ひとつとして同じ形をした器官はないという当たり前の事実に初めて気付いたとき、私はひとりとして同じではない人間を扱う仕事を選択したのだと再認識しました。私は医師として、生涯数えきれないほど多くの患者さんと向き合うことになると思います。そしてたくさんの命と向き合う時、患者さんの命はたった一つであり、他の何者にも変え難いということを忘れてはいけないと思います。医師にとってみればあずかる何千もの命のうちの一つにすぎないかもしれない。それでも患者と、その患者を想う家族にとって、預ける命はたった一つなのです。だから例え何千もの命を救ったとしても、一つの命をおろそかにしてしまえば、それは一人として同じでない人間を扱う医師の役割を果たしていないのだと思います。今回の解剖学実習で得ることができた、命の重さから目をそらさずに向き合っていく姿勢を忘れたくありません。そして常に人の生死について考え悩み続ける医師になっていきたいと思います。
 解剖学実習が始まる前は、実習が始まってしまえば勉強が忙しくなっていろいろ悩んだり考えたりすることもなくなるだろうと思っていましたが、今思えば、以前にも増して、生きること、死ぬことについて考えさせられるようになりました。それは、一人のご遺体と、これだけ長い時間を共にすることは後にも先にもないだろうという気持ちがあるからかもしれません。このご遺体は決して言葉を発することはないけれど、言葉以上に多くの事を私に教えてくれました。それは卓上で得る以上の医学的知識はもちろんのことですが、たくさんの手術の跡や取り付けられていた医療器具から、果敢に生きた生前の様子まで教えられたように思います。私に多くを教えてくれるご遺体を、私はどうしても死体という枠に入れることはできません。死してなお私たちにたくさんのメッセージを伝えてくれるという所に、単なる死体と死者との違いがあるのだと思います。
 死ぬということは、心臓が止まって息をしなくなるということだけに限定できるでしょうか。死ぬということを本人は決して自覚できないのだから、その人が死んだということはその人の周囲の人間や家族がその人の死を受け入れられたかどうかにかかると思います。生前のその人との記憶を思い出として受け入れ、ああもうあの人は自分の前に二度と現れることはないんだと周囲が納得した時、その人は本当に死ぬのかもしれません。献体して下さった方のご遺族にとって、長い間お骨を手にすることができず、死を受け入れることが難しかっただろうと思います。それでも私たちの実習が終わるまで、思い出をたよりに待っていて下さったと思うと、感謝の気持ちでいっぱいになります。今回の解剖学実習でご遺体から伝えられたたくさんのメッセージは、これから医師になる上でたくさん出会うであろう困難に対処する上で必ず役立つだろうと思います。
 
滋賀医科大学 吉永則良・中川美生・仲宗根ありさ
 
 まずはじめに、私たち医学生のために尊い御遺体を御献体下さいました故人とその御遺志に御理解と御協力を賜りました御遺族の皆様に厚く御礼申し上げます。
 昨年十月より教養課程から専門課程へと進み、十一月下旬より解剖実習が始まりました。実習初日、ずっしりとした重みを感じた御遺体と向き合ったとき、私たち医学部生のためにと御献体くださったご厚情に深く感謝し、黙祷いたしましたことが思い出されます。講義や教科書で学びましたことを元に、実習が進んでいきましたが、平面的な知識が実際の人体と結びつくまでには、戸惑うことも多く時間がかかりました。しかしその戸惑いも次第になくなり、複雑な神経や血管の走行などを追い観察していくうちに、人体の構造の巧みさ、奥深さを感じることが多くなりました。看護師など医療に携わる職業を目指す学生の方々が見学に来られ、そのような感想を話し合う機会もありました。ご遺体から学んだことは、私達医学生にとりまして、どんなに重要であるかは筆舌に尽くしがたく、何者にもかえることのできない貴重な財産であり、これは御献体くださいました故人並びにご理解くださった御遺族の皆様から頂きましたものです。そのご厚意に少しでも報いることができるように、勉学に励む所存でございます。
 最後に、このように貴重な機会をお与えくださった故人とご尽力いただきました御遺族の皆様に深く感謝いたしますと共に、故人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
 
九州大学医学部 代居良太
 
 解剖実習が始まる2ヶ月ほど前、私は同居していた祖父を亡くした。それ以来、私がご遺体に触れたのは2度目だったのだが、剖出しているときも祖父と目の前のご遺体がだぶって、稚拙な剖出をしてしまうといつも「下手で申し訳ありません」と心の中で謝っていた。「心から愛し慕っていた家族を失った矢先に、今自分が行っているようなことをご遺体に施すことをご遺族はご存知なのだろうか」、と思った。もし祖父が同じ状況にいたら、私は献体することを同意しただろうか。
 献体は『尊い贈り物』であるという話を聞いたことがある。実習を通して、私はそのことを痛切に感じた。確かに命燃え尽きた体を解剖することによって、物理的に失われるものはない。むしろ、まっすぐ茶毘に伏されるよりも人の為になってからの方が良いと言える。人の体を学ぶには、実際に人の体を見てみないことには分からない。図説を眺めることと、自らの手で本物の体に触れて構造を眺めていくことの間にこれほどのギャップがあったのかとつくづく感じさせられた。私たちにとって、献体されたご遺体はどんなに高い解剖学書にも代えがたいほどの価値を持っているよう思う。
 しかし、私たち医学生にその貴重な機会を与えるために、ご遺族は身を裂かれるような思いをしただろうと、祖父を失った直後の私たち家族の思いをご遺族の気持ちに重ねながら感じている。医学の発展のためとはいえ、それまで病に侵されて辛い思いをしてきたご遺体を、なるべくならそのまま穏やかに、天に見送ってやりたいというのがご遺族の気持ちであるに違いない。それでも私たちに『尊い贈り物』を与えて下さったご本人とご遺族には、感謝の気持ちでいっぱいだ。
 ここで学んだことは、自分がこれからプロとして生きていくうえで一生必要になることだ。そのことは実習前から十分に理解していたので、人一倍勉強したし、実際に人より多くのことを吸収できたと自負している。あとは、この実習で学んだことによって、苦しむ人を救うことが出来れば、実習が意味あるものになるだろうしご本人とご遺族のご希望に添うものになると思う。その日を目指してこれからも精進していこうと思う。
 
東京医科歯科大学歯学部 渡辺知恵
 
 夏休みが明ければいよいよ解剖学実習が始まる。新学期が始まる前から私の心は不安でいっぱいでした。御遺体を目の前にして平気でいられるのか、人の体にメスをいれることができるのかと。
 実習初日、御遺体を前に、不安、緊張、ためらい、さまざまな感情が入り乱れる中、解剖学実習をやり遂げられないような自分では、歯医者になる資格はないという想いのもと、メスを入れることができました。メスを入れた瞬間、自分の中で、何かが変わった気がしました。
 その後、実習がどんどん進んでいく中、日々常に、驚きの連続でした。表面から見ると一つのつながった物体にしか見えない人の体が、中をのぞけばどんなに複雑でかつ精巧に作られていることか。実習が始まる前に、解剖学の理論的なことは一通り、アトラスなどを見ながら約半年間かけてやってきましたが、平面的に描かれたアトラスと、立体的な実物とで、どれだけ違うことか。人の体は、本で勉強しただけで理解できるほど簡単なものではありませんでした。実際に見ること、触れることがいかに大切なことであるのかを思い知りました。
 目まぐるしかった実習の日々もそろそろ終わろうとしています。私は今、この三ヵ月間、精一杯学ぶことができたのか自問しています。残りの実習、悔いのないよう、そして、御献体してくださった方の心に応えられるように、がんばっていきたいです。
 最後になりましたが、御献体いただいた方、御遺族の方には、心から感謝しています。ありがとうございました。
 
聖マリアンナ医科大学 渡邉真波
 
 解剖学実習が始まる二週間前、祖父が倒れた。二日間が山だと医師に告げられ、私は川崎から祖父のいる静岡の病院へと向かった。私の中には元気な祖父しかいなかった。大きな声で話をし、テレビを見て笑い、たくさんのおかずを前にご飯を食べている祖父の姿しか思い浮かばなかった。それなのに、目の前の祖父はいくつものコードを取り付けられ、そのコードは重々しい医療機器へと繋がれている。話しかけても反応せず、痙攣を繰り返しながら必死にもがいている。身近な人間のこのような姿を目にするのは初めてだった・・・。
 十月に入り、解剖学実習が始まった。実習室では全てのことが教科書では知り得なかったことだった。一日一日と確実に『慣れていく自分』がいた。淡々と作業をしている自分がいた。しかし、実習開始前後に行う黙祷の時には、目の前の御遺体と自分の祖父を照らし合わせてしまう自分もいた。もし、祖父が献体したいと言ったら、私は家族の一員として祖父の考えに共感できただろうか。もがきながらも必死になって生きている祖父が、死んだ後にまでメスで体を傷つけられるのを私は耐えられるのだろうか。私は日々このような感情を抱きながら御遺体に向き合っていた。
 解剖学実習が終わり、一ヵ月がたった。あの二ヵ月間は本当に早かった。毎日が新しい発見や感動で、忙しくもあったがとても充実していた。解剖学的な知識だけではなく、将来医師になる人間、多くの人、つまり患者さんやその御家族と接するようになる人間としての責任をも学んだ。現在も祖父の意識は戻らないが必死に生きている。生きたいという思いが伝わってくる。その思いを私はもっと受け止めたい。
 最後になりましたが、私たち学生のために御遺体を献体して下さった御本人、また御家族の方々に対し敬意を表すとともに、感謝いたします。今後もさらなる努力をし、人の役に立てる立派な医師になれるようがんばります。本当にありがとうございました。







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