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解剖学実習感想
明海大学歯学部 福井華子
 
 医学部、歯学部に入学すると解剖実習がある、と聞いていました。私達ほとんどの者は「解剖」の授業を特別なものと捉えていると思います。大学に入るまで私達は人の体を触って、解剖して、見たりする機会などはもちろんありませんでした。特に私は本の人体の写真ですら怖くて直視できないような状態でした。私は解剖実習の日程が近づき日程表が配られる頃になると、出来るのかな、どんな感じかな、とあれこれ考えていました。そしてとうとうそれが現実になる日がやってきました。私達が解剖をさせて頂くご遺体の方は、一体いつ、献体なさる事を決心されたのか、と考えました。私達が大学に入学するよりずっと前、もしかしたら私達がこの大学への受験勉強をしている時、あるいはまだ高校で何も考えずに授業を聞いている時、なのかも知れません。そんな私達の想像に及ばない尊い意志と私達との出会いの日が来たのだ、と考え胸が高鳴りました。
 実習初日、着替え慣れない帽子、マスクと手袋が気になる私達の前に想像していたよりずっと落ち着いた表情のご遺体が運ばれて来ました。私はただただ圧倒されてじっと見つめていました。
 人体についてほとんど無知に近かった私が、この解剖実習を通じてご遺体を見つめながら神経の隅々まで勉強させて頂きました。臓器の配置や形、神経や血管の微細な構造などは人体解剖の実習が私達の必須の授業としてあるだけのものはあると思いました。それは亡くなっている体であるという事を忘れるほど美しいものでした。とりわけ心臓の形を見た時はこれ以上ない深い感銘を受け、心臓の形と言えば私は解剖したご遺体の心臓が真っ先に浮かんできます。
 私は篤志献体の関係の方に2回程お目に掛かる機会がありました。1回目は大学の合同慰霊祭のお手伝いでご遺族の方に、2回目は大学祭と同日に行われた明海大学白菊会総会で献体を登録された方々の道案内でした。私は献体を登録されている方々の心の深さ、私達に対するまなざしの優しさに胸が一杯になり涙がこぼれる程でした。若さゆえの無知、と言ったら甘えに聞こえますが、いかにも若者らしい学園祭も「買い物券を持っているからね」と楽しんで見せて下さる様子に頭が下がりました。この総会の道案内の時はちょうど私達は解剖実習の真っ最中でした。私達の両親かあるいは祖父母くらいの年齢のご遺体と向き合って1ヶ月、もうこの頃にはご遺体の所へまっすぐ向かって解剖を始められるようになっていました。おかしな話ですが自分が解剖させて頂いているご遺体にはどこか特別な気持ちがあって、どうして献体なんかしようと思ったのですか?とか私達の為にどうしてそんなに優しくなれるのですか?とご遺体に向かって時々尋ねてしまいました。答えは分かりません。献体は無償で提供されるものだと先生から聞いていました。私はこのお手伝いを通してまた改めて献体をされた方々に対し深く尊敬と感謝の気持ちを抱きました。
 解剖実習最後の日、私達は解剖をさせて頂いたご遺体を棺に納めました。旅支度だけは他の誰よりもしっかりしてあげなくては、と一生懸命に手の指に紐を通しては手の甲に布を当て、足袋も履かせて、浴衣も着せて、旅のお金の入った袋を胸に掛けてあげた時、ご遺体のお体が一仕事終えてようやく旅立っていく姿が目に浮かんで胸が一杯になりました。
 そんな親から愛情をもらうように篤志献体の方々に頂いた愛情、優しさは、私達医(歯)学を志すものにとって一生忘れることの出来ない心の拠り所になることでしょう。そして私達はそれぞれの思いを胸にこれから医学の道を邁進して行かねばならないと思います。篤志献体の関係の皆様に深く感謝しています。ありがとうございました。
 
大阪医科大学 二村元
 
 大学に入る頃は三回生、少なくとも二回生の後半に解剖学実習をすると思っていたので、入学してほぼ一年たらずで実習が行われると聞いた時は正直驚いたし、またきちんとした心の準備もないまま最初の実習の日をむかえたというのが実際のところのような気がする。
 そしてご遺体搬入のため最初にご遺体を班員達と一階へ取りに行く時はとても緊張した。白い衣でおおわれビニールシートで包まれたご遺体を搬送台に乗せる時初めてそのご遺体に触れたのだが、ずっしりと思った以上に重みがあったということが印象に残っている。
 それから最初の背部の皮膚剥離から最後の耳の解剖まで約二ヶ月強の間解剖学実習を行ってきたのだが、一番印象深かったことは胸部・腹部を開き臓器を見た時のような気がする。動脈弓が想像以上に太かったことや、とても複雑にはりめぐらされた血管、また思った以上に臓器の周りには膜がたくさんあり非常に上手く臓器を保護していることなどにとても驚いた。また臓器を眺めているとただの筋肉の塊りのように思えてくるのに、自分自身や生きている人すべての体の中では、その塊りがそれぞれの機能を正確にはたし、健康な体を維持していると思うと命というものがとても不思議なものに思えてきたし、また人間の体のものすごい精巧さに感心もした。
 やはり二回生の早い時期に、おそらく一生に一度の解剖学実習という医学生特有の体験ができたことで、将来自分が医師という職業につくということを改めて強く認識できたし、人間の体の仕組みに対しより興味を持つことができよかったと思う。記憶することの量は膨大で正直はじめの頃の知識はぬけてきているが、この先医学を学んでいく中で再度確認して身につけていくことが大切になってくると思う。
 
北海道大学医学部 帆士縫
 
 10月から始まった解剖学実習が、先日の納棺を持って終了しました。終わってみると、本当にあっという間の4ヶ月でした。実習が始まって1ヶ月ぐらいは、慣れないホルマリンの匂いと、作業量の多さに肉体的にも精神的にもヘトヘトに疲れ切ってしまい、家にたどり着いた瞬間に寝てしまっていました。実習が始まる前は、自分が実際に人の体を切る、などということは想像もできず、ご遺体を目の前にしたら倒れてしまうのではないかと心配をしていました。ところが、いざ実習が始まってみると、覚えなければならないこと、やらなければならない作業が膨大にあり、それに集中せざるを得ず、自分がご遺体を扱っているのだ、ということを忘れてしまうほどでした。しかし、ふと我に返って周りを見渡すと、1つの部屋にずらりとご遺体が並んでいて、その周りではワイワイ作業をしている学生がいる、という光景が広がっていて、これが現実のことだと確信が持てなくなるような瞬間がありました。
 解剖によって得られた知識は、紙の上の勉強では得られないものが多く、医師になる上では、やはり解剖学実習は必要不可欠なものだと思います。ただ、単に試験に受かって医学部に入って来たに過ぎないのに、こんなことをする資格が自分にあるのだろうか、という疑問は実習中も常に頭から離れませんでした。自分自身が母親を亡くしているだけに、献体をして下さる方、特にその家族の方々の気持ちが痛いほど分かります。家族が亡くなったことだけでも辛いのに、約2年間自分の手元に戻ってこない、ましてや見知らぬ学生に体を切られる、などと想像しただけでもおかしくなりそうです。もし母が白菊会に入っていたとしても、私が献体に賛成できていたという確信は持てません。それだけ大変な覚悟のいる献体をする決意をして下さった方々は、私たちに、「立派な医師となって社会に自分達の行為を還元してほしい」と願っているのだと思います。その期待を裏切らないよう、精一杯勉強を続けていきたいと思っています。
 
東京慈恵会医科大学 星野優
 
 数ヶ月にわたって続けてきた解剖学実習を振り返ってみると、いろいろなことが頭に浮かんできます。実習初日の献体の方との出会い。その日から始まった数ヶ月にわたる実習。そして納棺の日。長いようで短かったように思えるのは、きっと実習が充実したものであったからであろうと思います。私は訳あって二度目の解剖学実習をさせていただく機会があり、初めて行った昨年よりもさらに進んだ学習ができたのではないかと思っています。
 
 芝の増上寺で行われた解剖慰霊祭には、遺族の方々がたくさんいらっしゃっていました。その様子は深く印象に残っています。慰霊祭の前からすでに解剖学実習は始まっていて、全体的に解剖学実習に慣れてきていたころです。いい意味も悪い意味も含めて。そんな中、実際に遺族の方々の姿を目にすることで、自分を含め、クラス全体の空気が再び緊張感を取り戻したようにも思えました。
 
 実際の実習中、先生がたが常々注意されていたことは、「献体の方に失礼が無いよう、隅から隅まで目によく焼き付けるようにして実習を行うこと」でした。この先、実際の人間の中を、このように隅々まで見ることのできる機会はそうそう無いということからその言葉がきているのだということは、十分に伝わってきました。その忠言を守るべく、自分としては精一杯実習させていただいたつもりではあります。ただ、やはり納棺の日には、実際に棺を前にして自省の気持ちで一杯でした。長い実習の期間中、献体の方の個人名等は一切教えてもらえません。それがついに納棺の日に伝えられることで、「自分は献体の方に勉強させてもらったのだ」という気持ちが再び強く湧いてくるのがわかりました。
 
 棺に御遺体を納める間、「自分は献体の方に失礼が無いくらいたくさん学ぶことができただろうか」「もっともっとよく学ぶことができたのではないだろうか」という思いで一杯だったのをとてもよく覚えています。しかし、数ヶ月にわたる実習を思い返し、頑張ってきたのだなと思うと、献体の方に多少なりとも満足していただけたのではないだろうかとも思えました。
 
 慰霊祭だけではなく、解剖学実習が始まる前に献体の方々の墓参に数人の同期と行ったこともよく覚えています。将来、医師という職業に就きたいという私達の学習のために献体してくださった方々のご恩は決して忘れません。
 
 この長いようで短かった、充実した解剖学実習により、昨年と比べて少し成長できたようにも思えます。この実習で学んだこと、献体の方々の気持ち、ご遺族の方々の気持ちを胸に、これからも医師になること、そしてもっと先の医療を目指して頑張っていきたいと思います。
 
 献体の方々や、ご遺族の方々へは文章では言い表せないほどの感謝の気持ちで一杯です。本当にありがとうございました。







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