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解剖実習を終えて
近畿大学医学部 西出峻治
 
 何よりもまず、我々のために身をかしていただいた御遺体に心から感謝したい。
 解剖初日、御遺体と対面した時、御遺体も過去においては我々と同じように笑い、喜び、怒り、哀れむ人生を送られてきた事を思うと体の内に熱いものが流れた。黙祷の後、初めて人体の皮膚にメスを入れた。緊張のあまり手袋の中の手はどんどん熱くなったがそれはまるで御遺体の「十分勉強しろ」という熱が伝わってくるかのようだった。
 皮膚を剥ぎ、脂肪を取り、筋を剥ぐとついに内臓が表れた。この時、あたかも小宇宙に迷いこんだかのような感動・驚きを感じた。「心臓」一つをとっても、今まで教科書で文字でしかみたことがなかったものが今、目の前にあった。手にとってみれば、教科書には書ききれない、伝わらない感動が走った。細部に目を移すと、心臓の電気的刺激を伝えるメカニズムの、洞房結節、房室結節、プルキンエ線維を剖出した。
 解剖が進み、喉頭では発生のメカニズムに、眼球では眼が見えるということの解剖学的理由、耳では音を聴くメカニズムに驚いた。
 解剖によって医学に対する思いは深まり、医学生として一回り大きくなった。
 最後に、私にこのような経験を可能にしてくれたすべての環境に感謝して、感想文の終わりにしたい。
 
山口大学医学部 西原秀昭
 
 「ご遺体は最初の患者であり、師であり、同時に真の教科書である」。三ヶ月弱に及ぶ実習は、この言葉と共にありました。私はこの言葉を聞くまで、ご遺体が患者さんであるという意識がありませんでした。師であるという意識のみが先立って、与えられた数多くの課題を消化しなければ、という一種の焦りを感じながら実習に臨んでいた。しかし、「患者さん」という言葉を聞いて以来は、責任感が出てきたように思います。単に決められた作業を行うだけでなく、出てきた疑問をその場で解決すべきだ。患者さんのことをよりよく知る必要がある、という思いの基に実習を進めることができました。この思いは、将来の臨床や研究においても決して忘れてはならないと思います。「真の教科書である」という言葉についても真にその通りだと思います。ご遺体の教えて下さる情報は非常に多い。解剖学書で臓器、筋肉、神経等の位置や形態を頭に入れていても、実際に周囲との関係(脂肪や結合組織等)のなかにある状態は、実物を見て驚くことがしばしばでした。また、個人差ということに関しても、本では学べない大きな点だったと思いました。人体のどの組織を見ても、隣のご遺体と全く同じということはありませんでした。
 ご遺体から学んだもう一つの大きな事として、精神面の成長があります。ご遺体の個人差については先に述べましたがそれ自体、個人の生き方の違い、歴史の違いを物語っていると思います。また、山口大学篤志献体者会報を読ませていただき、様々な思いの下に献体されている事を再確認しました。このように考え方、生き方の違う人達が、医学の発展という共通の目的のために献体して下さっているのだ。私達医学生に課せられた使命の大きさを常に思い、勉強に励んでいかなければならない。肉眼解剖学実習では、このように、知識的にも精神的にも大きく成長することができたと思います。この様な機会を与えていただき本当に有難うございました。
 
新潟大学歯学部 丹原惇
 
 解剖実習を終えた今、自分が満足できる勉強ができたかと問うと、その答えはおそらく「ノー」だろう。それは実際に自分が予習を怠ったとか、実習中真面目に取り組まなかったとかそういうわけではない。限られた時間の中で予習もしたし、実習中も真面目に取り組んだつもりだ。ただ、解剖実習はどれだけ予習して、どれだけ熱心に自習しても決して満足できる結果を残せる物ではないと思う。それは学生として学ぶことに対して満足してはいけないという、言い換えれば自分の勉強への向上心があるからこそであると思う。この解剖実習でそれを再認識できたことは非常に貴重だと思うし、これは解剖に限らず学習に対する態度として一生の宝となると思った。
 もう一つ、この解剖実習をしている中でのターニングポイントとなった出来事があった。それが、白菊会の集いへの参加である。ちょうど解剖実習をしている最中に献体をされる方とふれ合う機会があった。実際に献体される方々のお話を聞いてみると、気さくな方が多くとても意外な感じがした。そういった中にも、どこか言葉の至る所から、「私をしっかり解剖して下さい」という思いを強く感じ取れたのを今でも覚えている。ある会員の方は、耳が不自由だそうで、「私の耳の部分をしっかり解剖して下さい」とはっきりと私達の方を向いておっしゃっていた。この方の言葉を聞いた時、自分の中で献体に対する考え方や、そのご遺体を解剖させていただく学生としての考え方が変わった。そして、それまで実習を行う中で慣れていくに従ってだんだんと初心をなくしていく自分を情けなく思った。これ以降、私はこの白菊会の集いで聞いたお話を思い出して予習や実習に取り組むようにした。
 私は解剖実習を通して、自分で勉強する大切さと学習の向上心、そして何により、人の優しさというものを感じることができた。そして、その優しさの最高の形として献体というものがあるのだ。その優しさというものは、暖かいものであると同時に、我々に対する期待でもあることを認識しなくてはならない。献体という自分自身を医療や教育の役に立てようという崇高な志をしっかりと受け取り、そのご遺志に答えられるように努力することが我々、医療人を目指す者の使命であるのだ。それは、解剖実習が終わっても、これから先、歯学を学び、そして歯科医師となっても、そういった方々の恩恵を忘れず、努力しなければならない。
 
宮崎大学医学部 野溝岳
 
 あなたのお名前を知ったのは、あなたとお別れしなくてはならない日より二週間前のことでした。
 私はあなたに多くのことを教えていただき、あなたのことをとてもたくさん知っていると思っていたのに、その時まであなたの名前を知りませんでした。あなたのお名前を知った時、私たちが解剖しているご遺体に、ふっと命が宿ったような気がしました。
 生きていらっしゃればきっと多くのお孫さんや、もしかしたら曾孫の世代にまで囲まれていたことでしょう。そしてみんなに、おばあちゃん、と呼ばれていたのでしょう。そんな幸福な日常を、死は無常にも奪っていくものだということを強く感じました。
 それでもあなたは多くのことを私たちに教えてくださいました。そして、あなたの体がとても健康なものであったことを知りました。どの血管もきれいでした。どの内臓もきれいでした。
 あなたが九十年以上も体を大事にして来られたことが、ほんとうによくわかりました。そしてその体を、最後に私たちに見せてくださったということに、私は深く感謝します。
 あなたとのお別れの日はとても暑い夏の一日でした。三ヶ月間、多くの時間をともに過ごしてきて、そしてついにお別れしなければならないことに、寂しさを感じました。
 そしてなにか私が見落としている大事なことがあったのではないか、という不安も感じました。それでも私が知ることの出来た限りでは、あなたは痛い思いをせずに、眠るように亡くなったのだと思っています。そうあって欲しいと願っています。
 できることならば生きているあなたに心からのお礼を言いたい。
 そしてあなたが、とても健康な体であることを教えてあげたい。
 そして、おばあちゃん長生きしてね、と言いたい。
 でも、今私に言えるのは、おばあちゃん安らかに眠ってください。そして私は一生あなたのことを忘れません、ということだけだ。心からの感謝を込めて、安らかに眠ってください、と。
 ほんとうにありがとう。
 
明海大学歯学部 荻原孝
 
 2年生となり、ついに解剖学を習うことになりました。医学に興味を持ち、人を助ける仕事がしたいという気持ちで歯学部に入学した私にとって、この学問は楽しみにしていたものの一つでした。講義や骨学実習など、解剖学の授業はやることがとても多く、覚えることもたくさんありましたが、部位の名称を知らなければ解剖実習を行っても理解することが出来ないし、将来やっていけないという気持ちが強く、1日1日出来るだけ勉強しました。
 そして10月となり、ついに人体解剖実習を行うことになりました。今まで勉強してきた私は実際に触れることが出来るのを楽しみにしていた反面、こんな私のような学生が行ってよいのかという気持ちもありました。実習室に入り、献体して下さった方の前に立ち、その方の顔を見て私は厳格なおじいさんだったのだろうな、こんな若い私が実習させて頂いていいのだろうか、と思いました。しかし、今までこの実習でしっかりと理解するために勉強してきたのだし、私たちのために献体して下さったのだ、と思い一生懸命学ぼうと心に決めて黙祷し、実習を始めました。
 解剖実習はおよそ2ヶ月間、1日中実習という日もありました。終わった後はとても疲れてしまいましたが、それでも実習中手を抜くことは班員全員しませんでした。それは皆、献体して下さった方への感謝の気持ちがあり、また正常な人体とはどのようになっているのかという興味もあったからだと思います。始める時には献体して下さった方に感謝の気持ちを込めて黙祷し、実習中課題になっている所だけではなく、課題になっていなかった所も自分たちが気になっていた所は観察しました。
 実習最初の背中の皮剥ぎから、最後の脳実習まで一つ一つがどれも初めて触れることであり、感動の気持ちでいっぱいでした。特に記憶に残っていることは、頭蓋骨を切断し脳を摘出し、眼窩上壁を除去して上眼瞼挙筋や上直筋などを切断した後に見ることの出来る上斜筋の滑車の剖出です。勿論授業で滑車があることは習っていましたが、実際滑車を剖出し、周りの筋を動かすことで眼球が動く様子を見てこんなにも人体は複雑で、またとても機能的につくられているのかと驚きました。
 解剖実習をすることができて本当に良かったです。今まで学習してきたことを整理し、自分のものにすることができました。また、私たちのような特別許された者しか人体解剖を行うことが出来ないということをしっかりと考え、将来人のために尽くそうという気持ちが強くなりました。実習で色々なものを得ることが出来たのは献体して下さった方のお陰です。本当に感謝しています。病理学など今度は正常な人体ではなく異常について学び、この解剖学で学んだ正常とを比較しながら理解して身につけていきたいと思います。将来たくさんの人々を助けることができるようにこの解剖実習を忘れずに勉強していきたいと思います。







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