日本財団 図書館


解剖学実習を終えて・・・。
獨協医科大学 永田のぞみ
 
 解剖学実習が始まる半年前に、私は父を亡くした。そして、実習中の夏休みには祖父を亡くした。相次ぐ身内の「死」という、無常で不条理な状況を短期間のあいだに二度も目の当たりにした。それは、決して「辛い、悲しい」と一言で言い表すことのできるものではない。私の心にぽっかりと大きな穴が空いてしまったのも事実である。それを機に、私の生物の「死」に対する思いや考えは、少しずつ変わっていった。
 人間が「死」に至るまでには、長い長い過程がある。あと1時間しか命がもたないと告げられた患者であっても、遺族にとって残された1時間、1分、1秒は非常に長い時間に感じられるものだ。できる限り一緒にいたい、次の瞬間に目を覚ますかもしれないと、死の宣告をされてからも奇跡を信じ続けるものだ。私は父の死を今でも受け入れることはできない。とても子供っぽいのかもしれないが、どこか長旅にでも行ってしまったようにしか思えないのだ。というより、そうやって自分の気持ちを落ち着かせているだけかもしれない。
 私には私と同じ思いであってなお、献体して下さった遺族の方々の気持ちと、私がこのご遺体を医学生として解剖しなければならないという心の葛藤が、実習中ずっと交錯していた。本当であれば、医師になるものとして、そのような気持ちは一切取り除き、医学生として人体の構造・機能の理解のために努め、没頭しなければならなかったのだが。しかし、そのような精神面を除いては、解剖学実習は人体を理解する上で、重要かつ必要不可欠なものであると痛感した。講義で『文字』や『言葉』で見る臓器は、実際にご遺体で自らの目で確認する臓器によって、ようやく「理解した」と言えるものであった。そして何よりも、一つ一つの臓器だけでは成り立たないという、臓器同士の関連性や体液の流れが、臓器を辿って行くことにより明確に理解できた。
 正直のところ、週二回の実習は精神的にも、肉体的にも、本当に辛いものであった。しかし、それ以上に得られたものは非常に大きかった。私はこの実習で行ったことを決して忘れることなく、今後の勉学に役立てていきたい。そして、何よりも献体して下さったご遺体には深く感謝の気持ちをお送りしたい。「ありがとうございました。安らかにお眠り下さい」と。
 
鹿児島大学医学部 永留祐佳
 
 この肉眼解剖実習を終えて、いろいろと思い出すと、実習初日の前日は緊張してあまり眠ることができませんでした。私は体力的・精神的にこの実習を乗り切れるのだろうか、またご遺体に対して失礼のないように実習できるのかという不安に襲われていました。しかし実習が始まると、体力的・精神的に大丈夫なのかと言っている余裕など全くありませんでした。一日一日予習と復習をしなければ、ご遺体に対して敬意を表すような実習が出来ないということを感じた最初のころは勉強し終わると寝てしまうという繰り返しでした。この繰り返しの中で、神経・血管・筋肉を剖出という作業がうまく進まず、何度も泣きそうになりました。なぜなら、今回が最初で最後の解剖になるだろうと考えていたのと、剖出できないことで班員に迷惑を掛けてしまうこと、ご遺体に対しての罪悪感でとても苦しかったこと、少しずつでも剖出できる内容を多くしようと勉強する中で膨大な解剖内容量に自分の限界を感じてしまい悔しかったことなどがあったからです。苦しんだ解剖を終えた今は、前までの自分とは勉強に対しての考え方が変わったと感じています。前は誰かに認めてもらうため、人に負けたくないという気持ちが大きかったと思います。しかし、今は私の怠惰な気持ちによる勉強不足で多くの人を苦しめてしまう可能性が多いことを実感し、将来誰かのために少しでも役に立てばという気持ちで勉強するようになりました。確かに勉強がいやなときもありますが、明日すればいいという自分の甘えは全くなくなりました。
 解剖実習が進むにつれて、最初に比べて毎日の剖出課題をほぼ達成することができるようになり、解剖への不安・苛立ちなども減り、医学生としての自分の存在を感じる瞬間も多くなりました。その中で自分にはまだ知識がないだけでなく、自分がきついと感じる時に他人への思いやりが不足している事、人の言葉に対して過剰に反応し、人の意見を素直に認められないなど医療現場で重要な人格形成が未発達だと実感しました。この解剖で自分のあらゆる部分の不足を自覚しました。また自分にとってこの解剖実習は自分との戦いであったとともに、医学生としてこれからの学生生活をどのようにすごしていくべきかを考えさせられる機会になりました。最後になりましたが、この機会を与えていただいた献体された方・ご遺族の方・先生方に本当に感謝しています。ありがとうございました。
 
山形大学医学部 中野英之
 
 解剖学実習も納棺を残すのみとなり、三ヶ月にわたった実習も終わろうとしています。振り返ってみると長いようで実にあっという間の三ヶ月でした。今はひとつの大きな実習が終わったのだという感慨にも似た気持ちが胸をよぎります。
 四月の終わりに初めて解剖着に袖を通し、使ったことのないメスやピンセットを持って実習室に入った瞬間のことは今もよく覚えています。それぞれの班に整然とご遺体が並べられている光景に、私は身震いしました。教養教育の小白川で一年間を過ごし、医学部に入学したのだという実感が鈍いものになっていた自分にとって、それはまた、自分がまぎれもなく医学の道に足を踏み入れたことを強く感じる瞬間でもありました。
 黙祷をささげながらも、私は不安と緊張でいっぱいでした。包んでいる布を広げ、ご遺体と対面してその思いはより強いものになりました。医学生としての自覚・知識が十分なのかどうか、人の体にメスを入れる資格があるのかどうかと自問自答を繰り返しました。しかし、解剖が進むにつれて献体してくださったこの方の遺志に応えるためにも、精一杯学び取ろうという気概で実習に臨みました。ひとつひとつの部位を観察していく度に、人体の構造は迫力をもって私に語りかけてきてくれました。私がこの解剖実習で得たものは人体の構造の基本、すなわち今後の医学部の勉強におけるまさに基礎となるものです。しかし、ご遺体から投げかけてくるひとつひとつの言葉に、私がすべて応えることができたかというとそうではなかったような気がします。事前にもっと勉強することで、何倍もの知識を得ることができただろうと思うと、後悔の念に耐えません。私がこれから、ご献体をしてくださった方やその家族の方々に対してできることは、医師になるものとしてただ日々勉強に励むことだと思っています。そのためにも私はこの実習で得たことや感謝の気持ちを忘れずに持ち続けていきたいと思っています。
 
日本歯科大学 中平絵美
 
 私は、日本歯科大学に入学してから約1年半が過ぎました。そして、いよいよ専門科目の授業が増えてきました。いろいろな科目の実習をこなしていくにつれ、「私は歯科大学の学生なのだ」という自覚が芽生えてきました。その中でも解剖学実習は私の心の中では特別な存在でした。「歯学部なのに解剖学実習?」という気持ちが以前からあり、興味本位で解剖学実習が始まるのを待っていたものです。しかし、解剖学実習がいざ始まってみると、興味は衝撃に変わりました。整然と並んでいる実習台の上におられるご遺体を見た私は不思議な感覚にとらわれました。目に入ってくる映像は、現実離れしすぎていて映画の1コマのようでした。席に座り、先生の説明を聞いた後、ご遺体に初めてメスを入れてからの4ヶ月間は時間の経つのが早く、毎週の実習の時間は驚きと発見の連続でした。実習が進むにつれ、「歯学部なのに解剖学実習?」という疑問が解けてきました。それは、口腔内のことも全身との関係として考えなければならない、ということです。
 歯科医師になった時、今回の解剖学実習は私にとって大きな財産になると思います。解剖学実習で感じたこと、学んだ知識を忘れることなく今後の他科目の授業につなげていきたいと思います。
 このような実習をさせていただいたご遺体の方とご遺族の皆様、どうもありがとうございました。
 
東京慈恵会医科大学 成瀬瞳
 
 納棺させていただいた瞬間、正直これでよかったのかな、と疑問を抱いてしまった。自分はこの実習期間で、ご遺体や遺族の方々に胸を張って充分に学ばせていただきました、と言えるだろうか。
 解剖が始まる前に、先輩から話を聞いたり、指針の写真を見たりしてはいるものの、実際に自分の手で、目で確かめるまでは何も見当がつかず、何も知らないのと同然だった。そんなゼロの状態からの実習だったので、作業に追われて、あまりの情報量の多さに呆然とする日々が続いた。
 或る日、一人の先生に「この下には血管が通っているな、と目でも覚えておけば、将来手術をする時に、名前がわからなくてもここは確か血管が下に通っているはずだから、と思い出すことが出来る。もし、名前だけで覚えていると、名前が出てこなかったら見過ごされてしまうんだよ」と言われて、はっとした。確かに、教科書の図と実際を比べて名称を確認することは大切だ。しかし、それはある程度やればいいのだ。大切なのは名前を頭に詰め込むのではなくて、それぞれの場所の図がすぐに頭の中で描けるように目で覚えておくことだ。
 その日から、ただただ呆然とする日々は終わった。なるべく頭に描けるように繰り返し観察するようになった。実習が終わった今、全部出来るわけではないが、一通り見たのだという自信は持つことが出来た。
 だから、試験でいい点数を取れる自信はさらさら無いが、一生懸命学ばせていただきました、とは言える気がする。これから、徐々に学年が上になるにつれて臨床に重点を置いて学んでいくが、この実習で学んだことは経験として生かしていきたいと思う。
 この実習のためにご遺体を提供してくださった方々、遺族の方々にこの場を借りてお礼申し上げます。本当に有難うございました。







日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION