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桜色の口紅
愛知学院大学歯学部 徳永有一郎
 
 歯学部に入学することを決めたころから、2年生になったときに「人体の構造」実習があることを知っていました。当時、私は体の仕組みを学ぶためなのだろうな、とただ漠然と考えていたことを覚えています。それから2年たち、私は実際に実習室に入り、メスを持ってご遺体の前に立つことになったのです。広く、明るい実習室に整然と並べられたストレッチャーの上に、ビニールと緑の布に包まれたご遺体がひっそりと寝かされていました。先生の合図のもと、学生全員で黙祷をささげ、私たちはビニールと布を静かに取り除きました。緑の布から白い肌の、年をとった女性のご遺体が現れたのを見て、私の心臓が一瞬とまったような気がしたのを覚えています。そのときに感じたのは、確かに不気味さや不安もありましたが、死という漠然としたものが、突然目の前に現れた純粋な驚きではなかったのだろうかと思います。実習が進むにつれ、最初のときのような衝撃的な驚きはなくなっていきましたが、それでも時折、それに近い衝撃は私の心を打つことがありました。タバコを吸っておられたのか、うっすらと黒ずんだ肺や、身の回りに気を使っていられたのかキチンと切りそろえられた爪を見たときは、いま目の前に横たわっているご遺体の方の生きている様が目に映るようでした。顔の皮切のときにふと、目に映ったご遺体の唇。落ちかけているものの、確かにそこに塗られている桜色の口紅を見たときは、故人や遺族の方々がどのような思いで、私たちに体を預ける決心をなさったのだろうかと強く心を打たれました。献体をするということは自らに残された最後の力を、未来の医療に捧げることなのだ、と私は思います。しかし、自分では決して見ることができない「未来の医療」に自らの体を捧げることは、誰にでもできることではありません。それは、未来に対する医療の発展を信じること、つまり、私たちに対する信頼そのものであるのだと私は思いました。故人の方や、遺族の方々は私たちを信頼し、人体の構造を学ぶチャンスを与えて下さいました。私はそれに応えられるよう、精一杯勉強させていただきました。このような経験は誰もができるわけではありません。私は、この実習から、知識はもちろん、自信と死に対する尊厳さ、そして信頼ということがいかに難しく、そしていかに大切なものかを学びました。
 勉強させていただいた故人の方々のご冥福をお祈り致しますと共に、ご遺族、ご親族の方々にも心からお礼申し上げます。ありがとうございました。
 
久留米大学医学部 豊岡真乗
 
 医学部に入って二年目、一年生の時とは異なり受ける講義も基礎医学を中心としたものとなった。前期で学んだ知識をより確実にすること、そして実際に人体を目でみながら前期の講義では得られないような立体構築を勉強することが解剖実習の目的であると思うが、私にはもう一つ関心があった。それはどのような気持ちで実習に臨むことができるのか、ということである。
 現在の医療は技術の発展と共に専門化し、患者一人一人を一人の人間としてみていないということがよく囁かれるが、自分はどうなのかということをこの解剖実習で知りたかったのだ。実習をするまでは当然のことであるが献体された方々の篤志を素晴らしいものであり、自分も献体をしようと考えていた。だからこそ、実習をして自分の気持ちを確かめたかったのである。
 解剖実習の一日目、シートをあげて、ご遺体をみた時には、身が引き締まる思いで一杯となり、心の中でこの方の篤志にこたえるような真摯な気持ちで解剖実習をさせて頂こうと誓った。しかし、この後、自分のそういった気持ちがぼやけているのが分かった。というのはご遺体の皮剥や脂肪を取り、外見的に生身の方と異なっていくに従い、自分が実習をさせて頂いているのだという感謝の気持ちをどこに向けてよいのか分からなくなったのである。実習が進むにつれて、その感覚は大きくなった。筋肉や臓器などの個々の部位に関しては実習前に勉強して実習に臨んではいるが、視野に入っているのはその部位だけで、ご遺体を一人の人間としてみれなくなっていた。実習をしている間にそのことについて感じてはいたが、日々の実習とその勉強に追われて考えないでいたように思う。
 しかし、そのことについてもう一度考えさせられたのが最後の納棺の時である。献花をしてご遺体を棺に移す時に、私は一人の人間の篤い志によって解剖をさせて頂くことができたのだということを実感した。確かに最後気付くようでは遅かったのかもしれない。しかし、絶対自分は医療従事者として患者さん一人一人に対して全人的に治療ができるのだという自信は単なる自惚れであったということが分かったことはこの解剖実習の中で一番大切なことだったように思える。このようなことを考えると医師となり専門的にある部分を治療する時に患者に対して一人の人間として接し、治療にあたることがどれだけ難しいことかが分かった。私は、あるいは多くの人にいえることかもしれないが、形として何か人間と感じさせるものをみなければ人間と感じることができない未熟者であるということ、このことをしっかりと胸に刻んで、これからも医療、医学の勉強をしていきたいと思う。
 以上のように解剖実習は私自身が医師となるにあたっての戒めとなったが、精神的なことは別に先にも述べた目的が達成されたことも重要なことである。二年の前期には人体の構築を学びはしたものの立体的な配置は教科書などだけではわかりづらく、この解剖実習によって立体的な配置が分かったため、その意義も理解できるようになったことは今後の勉強の理解のためにも不可欠なものであった。この理解は解剖実習でのみ得られるものであり、重ねて献体された方の篤志に感謝するばかりである。
 私はこの解剖実習で精神的に、また当然医学的知識についても得るものが多く、また一つ成長させて頂いたことに感謝したい。
 
大阪市立大学医学部 豊岡奈央
 
 3ヶ月間という長い実習が終わりました。実習期間中は無我夢中だったけれども、今振り返ってみると、この実習でとてもたくさんのことを学んだと思います。
 実習が始まる前までは、教科書で読んだ程度の知識しかなかった人体というものが、今では内部まで三次元で理解できるようになりました。「解剖学とは名前をつけていく学問である」と聞いたことがあります。そのとおり、ひとつひとつの体の部位を理解し、名前を覚えていくことで、今、私は頭の中でヒトの体というものを全部思い浮かべることができるようになりました。ヒトの体は複雑だけれども、無駄なく機能的に一番ふさわしい構造をしている。頑丈にして繊細。はじめは小さい受精卵から始まって、気の遠くなるようなステップを経ることでそんなすごいものを作り出す。まさに小宇宙と呼ぶにふさわしい生命の奥深さを改めて感じました。
 私はそれまで死というものにほとんど直面したことがありませんでした。そんな私にとって、解剖の初日はかなりショッキングで、死に対する恐れの気持ちから、体に力が入らずピンセットを持つ手が震えていました。特に、あの冷たい手に触れたときは、「血が巡り、温かかったはずの体が、こんなにも硬く冷たくなるものなのか」と心の奥から悲しみが湧いて来ました。このとき感じた死に対するイメージは、この先もずっと忘れることはないと思います。しかし、実習を始めると、ご遺体の特徴というものが見えてきました。ヒトの体は同じ構造物を持つという普遍性があるけれども、また、その中にそれぞれの個性というものがあるのだと知り、その方が生きてこられた80数年の体の歴史を、今私は見せていただいてるんだと感じました。私の中でそれまで『ヒト』であったご遺体が、一人の『人』になりました。私たちのために献体してくださるという、その方の生前の尊いご意思をしっかりと受け止め、それに応えようと思ったからこそ、しんどいときもがんばることができたのだと思います。「ひとは出会いによって成長する」。話をしたわけでもないけれど、3ヶ月間毎日向き合ったこの方との出会いは、私の人生の中でとても大きなものの一つであると思います。
 
川崎医科大学 鳥越史子
 
 解剖実習は実習が始まるまで、一体どんなことをするのか想像できませんでした。今もどんな実習かと聞かれてもうまく説明することはできません。それはなぜかというと、個人個人実習に対して感じた思いは違うと思います。答えが、一つという実習ではないし、結果を正確に数値や文字で表現できる実習ではないからです。でも一つ言えることがあります。それは今の私は四月の時の私とは違うということです。今なら人の体の構造が目をつぶれば頭の中に浮びます。筋肉や血管、神経、どうやって人の体が動くのか、生きていくためにはどのような働きをもっているのかなどがわかります。最初は本当にあいまいな知識でした。不安と、どうすればいいのかわからないという気持ちでいっぱいでした。ご遺体を初めて目の前にした時は本当に、不安だらけで、どう向き合っていけばいいのかわからなかったです。でも解剖の先生が言いました。「ご遺体は先生です。全てをさらけ出してくれます。教科書に載っていないことまで全てを教えてくれる」。それを聞いた時、自分なりにこの実習でしなければならないことがわかりました。ここまで私たちにしてくれる人がいるだろうか、自分の家族でもない他人のために。だからこそ毎時間頑張ろうと思いました。何も語らないで、じっと私たちがすることを見守って、耐えながら全てを教えてくれた先生、おばあちゃん。おばあちゃんと呼んでいいのかもわからないけど。ありがとうございます。まだ医学を学び始めたばかりのこの私に解剖学だけではなくいろんな事を教えてもらいました。何度もくじけたこともありました。教科書を読んでもわからないことがたくさんあったけど、目の前に答えがある。自律神経の副交感神経、交感神経など、言葉だけではわからないことが、今はわかるんです。自分の目で見たから、確かめたから、それから、体の中にも個性があるということもわかりました。見た目に個性があるように神経の走行など様々です。だから全ての人に同じような、処置、手術、判断をしてはいけないということもわかりました。
 こんなにたくさんのことを、この実習で学びました。今の私があるのも多くの人に支えられ、導かれている気がします。解剖実習をすることができたのも、献体してくださった方、ならびにそのご家族の方がいたからだと思います。今回学んだ全てのことはずっと忘れません。本当に、充実した時間をありがとうございます。これからも頑張ります。今までと同じように見守っていて下さい。
 
関西医科大学 中田芽久美
 
 私達は、何故医師を志し、今ここにいるのか。
 これまで多くのことを学んできたが、何か漠然とした物足りなさを感じていた。習った知識がいつ、どこで、どんな風に繋がっていくのかを、今ひとつつかめないままに時が過ぎていた。
 今年の九月二日、私達は初めて解剖実習に臨んだ。緊張した空気の中で実習は始まり、予習・実習・復習と忙しい日々が続いた。
 作業や知識の習得という点では、苦戦しながらも順調に進んでいたが、それと同時に多くのことを考えさせられた。ご遺体を目の前にし、思いを語りかけ、毎日感謝しながら、毎日反省をし、「生きるということ、死ぬということとは何なのか」、そして「その生と死を見つめる職業である医師とはどうあるべきか」と思いをめぐらせた。そうするうちに、移ろう日々の中で知らないうちに埋もれてしまっていた、私達の初心にたどりついた。どうしてこんなにも、医師になりたいと思ったのか。
 答えは人それぞれだろう。だが、ご遺体と出会い、実習をさせていただいたからこそ、ここまで考え、成長することができたというのが皆の一致した意見である。
 故に、この機会を与えて下さったご本人、ご家族、並びに全ての実習に協力して下さった方々に心より感謝し、またその恩に恥じない様、私達はこれからを歩んでいきたいと思う。







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