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2004年度解剖実習を終えて
東海大学医学部 田村祐子
 
 私の解剖実習は、学士入学の合格通知、約2週間後、我が家に『クレメント人体アトラス』が送られてきた時から始まりました。それまで、人体というものにかすかな興味を抱いてはいたものの、アトラスの中にある様な複雑であり、未知の構造がヒトをヒトたらしめているのだという事を再認識した瞬間でした。そして、それは同時に私を『一般の人間』から『医師(医業を担う者)としての自分』へとシフトさせ、大きな責任を担っているのだ、と戒めるきっかけともなりました。
 そして4月。入学し、生まれて初めて解剖実習室へ足を踏み入れた瞬間を私は今でも忘れられません。予想外に明るい教室。班のメンバーと共に私が学ばせていただく貴重な御遺体が並べられた時。それまで、遺体すら直視した事のなかった私の前にあるもの。これ(この御遺体)がなければ、私は医師として、人間の痛みを和らげたいという夢を達成させることはできない。そう頭では分かっていても、とても、恐怖で、しばらく凝視することも触れる事も出来ませんでした。けれども、班のメンバーの冷静さ、そして、鳥越先生のお言葉を聞き、逆に、『よし、ビビッている場合ではない!!それよりも、せっかく捧げていただいたのだから、毛の一本もムダにすることなく、学ばせていただこう!』と決心しました。
 そして表層からの解剖が始まりました。予習し、頭に入れてきた事実(=知識)と、今、目の前にある実物(=現実)。正直に言えば、私が予習の段階で考え、イメージしてきたものと、本物とのギャップの大きさに愕然とする毎日であり、いかに、実習が大切かをそこで初めて悟りました。そして同時に、私にその様な貴重な情報を提供して頂いている御遺体、ご家族のことを思い、感謝の気持ちでいっぱいになりました。いくら教科書やテキストとして頭に入れていたとしても、実際、本物を知らないという事程、不毛なものはないと思いました。しかし、同時にいくら素晴らしい御遺体を捧げていただいたとしても、自分に知識がなければ、何も見えてこないと言う事も分かりました。鳥越先生がおっしゃっていた『知識に息吹を、そして躍動を』という意味を理解しました。
 思い返せば、あっという間に過ぎてしまった実習でしたが、これを『終わり』とせず、ここで得ることが出来た知識をさらに躍動させていきたいと思います。
 
東京医科大学 堤範音
 
 「ニコッ」。私は初めて御遺体を目の当たりにした時、その御遺体が私たちに向かってほほえんでいるように思えた。その表情はとてもおだやかだった。そして、その表情は「私の身体を使ってしっかりと医学を勉強して、いいお医者さんになってね」と言っているように感じられた。いよいよその身体にメスを入れるときがきた。私はゆっくりと深呼吸をして静かにメスを動かした。私の心には迷いはなかった。私は「私たち医学生のために提供してくださった身体を無駄にしないようにがんばって勉強しよう!」と、心に決め一心不乱に解剖実習に取り組んだ。毎回実習開始時に行われる黙祷の時には、心の中で感謝の言葉を述べていた。また、実習終了後には感謝の気持ちを込めて身体のまわりをきれいにしてあげた。実習を進めていくにつれて、人体の神秘に何度も驚かされた。そして、それと同時に、私の中に人体に対して自然と畏敬の念がこみ上げて来た。それまで命の大事さということを口にしていた自分が急に恥ずかしくなった。人の命というのはこんなにも神秘的で、すばらしいものなんだということをこの実習を通して私は学んだ。そして、あっという間に三ヶ月が過ぎ納棺の日がやってきた。それまで自分たちがお世話になってきた分、一生懸命きれいにしてあげた。そうすることがこの方に対して一番の感謝の気持ちを伝える方法だと思ったからだ。そして、自分が解剖をした御遺体を見て私は、この方は生前どういう方だったんだろうと考えた。多分解剖実習が始まった直後だったらわからなかったかもしれない。しかし、なぜか私の頭の中にはこの方の生前の姿が浮かんできたような気がした。それは三ヶ月間この方と向き合ってきたからかもしれない。そのとき私の目には涙が浮かんだ。そして私はつぶやいた。「ありがとうございました、そしてお疲れ様でした」。最後に献体をしてくださった方、並びに御遺族の方に感謝の気持ちを申し上げます。「本当にありがとうございました!」。
 
琉球大学医学部 寺岡晃
 
 今回解剖学で医学の基礎である人体について詳細に学べたことは、医学部に入学してから学んだことの中で一番重要であったと感じました。それは医学というものが人間の体についての学問であるので、その原点である人体について学ぶことが重要なのは当然ですが、机上で学ぶことでなく、自分の目で確認し、実際に触れ解剖で学んで行く事は想像していた以上のものでした。
 授業や本で得た知識を実際に目で見ることで、知識の固定を行なったという重要な役目を果たしただけではなく、人体の構造の詳細を新たに知った事、医学を学ぶ情熱を更に与えてくれた事は、他には得る事のできない事でした。また臨床の授業を並行して学んでいると、解剖学的な知識の重要性を実感し、今回学べたことは非常に大きいことだと認識しました。今回の解剖実習での理解が臨床での理解に非常に役にたったことを考えると、将来自分が行なう医療の根本の大きな割合を今回の解剖実習が占めると感じました。残念ながら二学年をまたぐ自分は他の班員とは回数的には少なかったですが、その中でも一生懸命学べたと思います。班員と夜の一二時まで残って解剖を行なっていたのが一番印象的であるが、解剖実習の時間があっという間に過ぎてしまったことにはいつも驚きました。僕が遅れた分班員がフォローしてくれたことには心から感謝しています。人体は医学の基礎であり、自分自身も持つ物が、「宇宙や深海と同様に遠く未知のものである」という言葉が実際に解剖を行なって理解できた。人による差異の大きさを知ったことは、将来臨床の時に必ずや役に立つと思う。
 死はすべての人間にとって不可避なものであり、それぞれの人生を反映した極めて個人的なものであると思うが、それを越え医学解剖に同意し、次の医療の進歩の礎となって下さったことは、医学の進歩のためのバトンを渡していただいたと思います。そのバトンを僕たちはしっかり受け取ったので、是非とも自分たちが更に医学の進歩に貢献し、その責を務めたいと思います。
 崇高な意志で御献体下さった方にもう一度心から感謝をし、学んだことをもとに勉学に励み、知識・倫理観・使命感・技術・思いやりをもった医師になるために更なる精進をしたいと思います。
 
高知大学医学部 寺田実奈・常田阿起子・得能令子・富安玲子
 
 解剖学実習を終えての感想を書かせていただくにあたり、御献体とその御遺族に対し深く尊敬の念と感謝の意を伝えたいと思います。
 人体の構造を学ぶ解剖学は、すべての医学の基礎となる学問であり、将来医師となろうとしている私達にとって充分に理解しなければならない必須の分野であります。そしてそれを実際に手に取って実感として学ぶことのできる解剖学実習は、非常に有意義で、また同時に人の生と死、その尊さについて深く考える機会をも与えてくれる貴重な体験でした。献体していただいた方や御遺族の温かい意志、御理解のおかげで、そのようなかけがえのない機会を持たせていただいたことに、班員一同心から感謝しています。
 思い起こせば、解剖学実習の初日では、初めてメスで人体に手を加えることへの抵抗感や恐怖感、また人一人の尊い御献体によって学ばせていただくことへの不安感や重圧感などを感じ、とても緊張していたのを覚えています。しかし、献体された方の御意志やその御遺族の方達の気持ちを考え、自分がすべきことは、その気持ちをしっかり受け止め、この貴重な機会を無駄にしないよう一生懸命、真剣に取り組んでいくことだと感じ、実習を始める前は、一回一回の実習が円滑に進むよう、必ず図譜、教科書等で予習を行うなど、積極的に実習に励みました。実際の体の構造は図譜を見て想像していたものとははるかに異なり、とても巧妙で複雑で驚嘆と感動の連続でした。また、一人一人御体ごとにその構造もまるで異なって見える程に一様ではないのだということを強く感じました。当たり前のことですが、人は皆、顔も性格も誰一人として同じでないように、体の仕組みも皆個々に特徴的で、私達は将来患者さんと向き合う時も、そのことを決して忘れてはいけないと思いました。ある人に合ったお薬や治療方法、接し方が他の患者さんにも必ずしも当てはまるとは限らず、その患者さんの体に合った薬を量にも十分注意しながら処方するなど、各個人の特徴に私達は柔軟に対応しなければならないと思いました。
 このように、解剖学実習を通じて、私達は人体の構造のみならず、教科書等からでは知り得ない人体の精密さや、各個人における多様性についても実感をもって学ぶことができました。今、私達は疾患や薬などの、実際に臨床の場で働くために必要な知識を学んでいますが、解剖学実習で得た知識が、その理解の大きな助けとなっています。また、私達は、この解剖学実習から将来医師となる者としての自覚や責任感、そして命の重さ、人への思いやりを学びました。それらのことが今日の私達の生き方にまで大きく影響し、これからも生涯大きな支えとなっていくことでしょう。この実習を通して学ばせていただいたかけがえのない多くのことを生涯忘れず十分に生かし、皆様の御厚意に恥じることのない、立派な医師となり、より多くの患者さんを幸せにできるよう、私達にできることを日々考え尽力していきたいと思います。
 献体してくださった方々、ご遺族の方々、爽風会の皆様、本当にありがとうございました。
 
久留米大学医学部 徳重ともみ
 
 解剖実習初日、私はとても複雑な気持ちでした。本格的な医学部らしい実習に対する期待と、不器用な私は失敗してしまわないだろうかという不安、そして献体をしてくださった方やその家族に対して失礼のないように、しっかりと学ぼうという決意を胸に抱きながら、実習にとりかかりました。人間の体にメスを入れる。本来ならば決して許される行為ではありません。人体の構造を知るという目的のもとで、私たちに許された行為であり、この解剖実習はまさに人体の不思議を私たちに見せてくれました。血管や神経の分布や走行、筋肉や骨、さまざまな機能をもつ臓器、一度は教科書の文章や図で目にし学習しているのですが、「本当にこういう構造をしているんだ」と感心したり、「教科書通りというわけではないのだな」と破格を含め、個々の御遺体の違いを実感したりすることができました。特に、脳実習では人体の不思議を痛感しました。たった1400g程度の脳が、全てを支配し、記憶や感情を司っているなんて信じられませんでした。御遺体は私たちに人体の構造だけでなく、生命の重み、生や死の概念を考えさせ教えてくれるすばらしい教科書でした。物言わぬ御遺体は私たちに知ろうとする好奇心と学ぶ意欲がなければ、何も教えてはくれません。しかし逆に私たちが知りたいと思ったことは全て見せ、教えてくれます。今回の解剖実習における自分の不勉強さは反省し尽くせませんが、実習を終え少しではありますが成長できたような気がします。もちろん私たちの医学の勉強はまだ始まったばかりで、医学の勉強は終わることがありませんが、この解剖実習で得た知識、経験はこれからの私たちにとって大事な財産となると思います。また、決して逃れることのできない死について考える機会もありました。人間の死があってこそ医学は発達してきた、というのはただのいいわけや慰めではないだろうかと思っていました。確かに献体して下さる篤志家のおかげで解剖が行えたのですが、御遺体だけが貢献しているような気がしていました。しかしそれは全くの誤解でした。死に対する恐怖、死から逃れようとする意志、亡くなった後医学のためならと献体してくださる勇気と優しさ、これら死をとりまくすべてのものが、医学を発達させていることに気づくことができました。そして、献体して下さった本人はもとより御家族の善意には頭が下がる思いでいっぱいです。その善意に報いることができるよう日々努力していきたいと思います。







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