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解剖実習を終えて
北里大学医学部 鈴木満由
 
 私はこの三カ月間、医学の更なる発展を望んで献体して下さった方々のもとで非常に貴重な体験をさせて戴いた。私が御遺体を通して学ばせて戴いた事は人体の仕組みと機能にとどまらず、非常に多岐にわたるものであった。その一つに医師を志す者のあるべき姿がある。それは、勉学に励み、他の意見に耳を傾け、その中で共に考え、協力し、時に強固に時に柔軟に、また、集中力と体力を備え、そして何より、感謝の気持ちを忘れずにいることであり、他にも言い尽くせないほど多くのことを学ばせて戴いた。そのどれをとっても、医大生と歯大生にのみ許された解剖実習を通してである。したがって、まったくの善意で献体して下さった方々とそのご家族には、心より感謝しています。
 今年九月、約一カ月間の夏休みが明けた最初の解剖の授業は上肢の骨学実習であった。初めて人骨を目にした私は、若干引け腰になりながらも、その精密な作りと役割に大きな驚きを覚えた。想像していたよりも彎曲し、かつ、前に出ている鎖骨。手の大きさから考えるよりも小さい肩甲骨と、それと精密に関節する肩鎖・肩関節など、まさに百聞は一見にしかずとはこの事だと思った。翌日から始まる実習には、不安と緊張があったが、それにも勝って期待感と使命感があり、医師を志すものとして大きな一歩を踏み出そうとしているのだから精一杯頑張ろうと思った。
 そして翌日。実習が始まる前に、献体して下さった方々とその御遺族から戴いた手紙を先生が読んで下さった。そこには、献体するに至った経緯や御遺族の思い、そして我々学生へのメッセージが書かれてあった。私は、その心からの思いに深い感銘を受け、そのお気持ちに少しでも答えられるよう、そして失礼の無いよう、真摯な態度で解剖させて戴く事を誓った。
 そして三ヵ月間の解剖実習が始まった。週五日、一日約四時間、長ければ六時間半にも及ぶ実習は、不慣れなうちは体力的にも精神的にも大変であった。疲労のあまり手が動かなくなった事もあったがそんな時、初日の手紙、目の前の御遺体、頑張る友達が私を奮い立たせてくれた。
 私が最初に解剖の困難さを感じたのは、腋窩部分であった。腋窩動脈からの多くの枝と腕神経叢は、太い本幹と複雑に走る枝が混在する為、それらを解剖することは不可能に近いのではないかとさえ思った。
 しかし、先生の解剖する様子を見ていると、迅速かつ的確に目的のものを剖出なさっていく。私が苦労して時間をかけても剖出できなかったのに、あんなにも短時間でできるなんて・・・。私は狐につままれたような感じであった。そして私は次のことに気づいた。
 ある場所に存在するであろう動脈や神経の枝は、本幹から探していくべきであり、また、図譜で得られる平面的な見方と実際の立体的な見方を区別し整理すること。その為には時間をかけてより多くの図を見て学ばなければならない事。これらは考えてみれば当たり前のことであるが、極度の緊張感の中で、少し立ち止まって考えることができなかったのである。こうして落ち着いて作業を行なうことの大切さを知り、かつ、勉強への探求心が生まれていった。そしてまた、探求心が強まる中で、予習した事柄を自分の目で確かめられる事は、理解を深める上で非常に助けとなったのである。
 私が日々の実習の中で御遺体から非常に沢山の貴重なことを学ばせて戴けたことに対しては、言葉では言い尽くせないほどの感謝の思いでいっぱいである。このような機会を与えて下さった白菊会の方々とそのご家族、そして諸先生方に対し、深く心よりお礼を申し上げたいと思う。
 本当にありがとうございました。
 
千葉大学医学部
Sufi Norhany binti Mohd Sufian
(スフィ ノルハニ ビンティ モハマド スフィアン)
 
 解剖学実習への感想文を読んで頂ける前に、ちょっと言わせて頂きたいことがあります。私の名前を見れば、私はほかの医学生と違って日本人ではないとすぐ皆さんがわかるでしょう。日本に来てもう二年間もたちましたが、私はまだまだ日本語が下手だと気がします。この感想文はお年寄りや白菊会会員の方々に読んで頂けるということがわかったら、丁寧に書かないといけないと私は思いました。一応、よく考えた上でこの感想文を書こうと決めましたが、もし、私の言葉使いに失礼なことや変なことがあったら、本当に申し訳ございません。
 日本では、医学生の勉強のために献体する方々がいらっしゃるということを初めて知ったら、私は感心せずにいられませんでした。まだ発展が途中の私の愛国は、献体という言葉を聞いた人がたぶんほとんどいないと思います。向こうでは、解剖学実習に使われるのがほとんど身柄がわからないそうです。
 初めておばあさんに会った時が、一生忘れられないと思います。実習の直前と直後にいつものように、黙祷をみんなでしましたが、私にはこの黙祷する時間は本当に大切な時間でした。この時間を使用し医学生の私たちの未来のために体のみならず心も望みも提供してくださった遺体の方々があの世で幸せでいられるようにいつも心からお祈りしました。
 日本語がまだ下手なせいか、私は解剖学の勉強についていけないときがよくありました。ある時、解剖学の実習をやりながら「もうだめだ」と、私は諦めかけたときに、「あなたは日本人の学生よりいろいろ苦労していますが、その苦労は一見不幸と見えた幸運ですよ。その幸運をきっかけにして諦めずにがんばってください」という声が突然聞こえてきました。私は、すぐおばあさんの顔を見てなんとなくその声がおばあさんから出たという感じがして涙を流せずにいられませんでした。
 私は、なんとかして解剖学に受かることができました。これはいつも熱心でやさしく教えたりしてくださった先生たちのおかげだけではなくて、やはり「実際の先生」の「おばあさん」たちとおじいさんたちからの応援が一番大きかったからだと気がしました。
 実は、私が医者を目指したのは、医者になって欲しがってた母の願いを果たそうとしたからですが、この実習をやっているうちに、医学に対して興味がどんどん深くなってきて勉強も少しずつ楽になってきました。本当に「みなさん」に心からThank you very much for everything(すべてに本当にありがとうございました)を申し上げます。
 おばあさんの声はいつまでも私の心に残ります。留学生だからといって、私は日本人の学生に負けずに頑張っていきたいと思います。
 
琉球大学医学部 瀬嵩万貴
 
 亡くなった祖母だと思って解剖しよう。それが解剖実習をするにあたり、私が最初に思ったことでした。私にはとても大切な祖母がいて、医者になろうと決心した最後のひと押しも彼女が癌と最後まで闘う姿を見てのことでした。きっと私たちが解剖するこの方にも大切に思う家族がいて、その家族もまた同じような気持ちでいたのだろうと思うと、単にカリキュラムのひとつとしてこのような実習を行うなど到底できませんでした。もしこの方が私の祖母だったとしたら、私はどのようにこの御遺体と向き合っているだろう?いくら医者になるためのステップだったとしても身内であったらメスを入れるなど何の考えもなしには絶対にできない。そう思ったとき、私はお体を提供してくださった方とそのご家族の気持ちにできるだけ近づくためには、自分自身の大切な祖母と置き換えて考えることが私にできる最大の考慮だと考えるようになりました。
 実習は、教科書のように文字や図といったような色・立体感などの想像が付きにくいものとは違い、実際に触って手にとって感じることができるという点でとても意義のあるものだったと思います。実習書通りの構造を発見でき喜んだり、いわゆる正常といわれる構造を持たない場合には個人差というものを考えさせられたり、人体の構造の複雑さを身をもって感じました。外観からはその構造や機能の複雑さを想像できないという点で、患者さんの診察には常に細心の注意を払わないといけないのだということも学ぶことができました。
 約四ヶ月かけて解剖を行ったわけですが、その間に私は将来どのような医者になりたいのか、またどうあるべきか深く考えさせられました。今回私が解剖させていただいた御遺体は九〇歳を越えていらっしゃいました。実習している途中に、この方は戦争も経験したんだ、大腿部の手術もしたんだ、最後は寝たきりだったんだろうなどと想像していくうちに、人それぞれ歩んできた道は違うのだから、医者はその方の人生とも向き合うだけの器量がなければいけないのではないだろうかと思うようになりました。患者さんが抱えている全てを理解することは無理かもしれませんが、理解しようと努力することは本人の意思次第でいくらでもできると思います。そのような努力を忘れず博愛の精神を持った医者になれるように努力していきたいと思います。
 このように充実した実習を行うことができたのも、私たち医学生のために大切なお体を提供してくださった方やご理解のあるご家族があってのことだと思っています。これらの多くの方々の温かいお気持ちにそぐわないことがないように、これからも一日一日励んでいきたいと思います。
 
「あ、あのときの!」
岩手医科大学 曽我菜海
 
 医学部だからこそ経験することができることの一つ、人体解剖学実習が前期で終了しました。のんびりと過ごした教養部の生活とは一転、週に三回の解剖学実習は、午前中の講義とあわせ、すっかり体にしみこんだ生活のリズムとなり、実習室へ向かう坂道の傾斜は、実習書の重みと共にこれからご遺体と向き合う気持ちを整える習慣としてリズムを刻むようになりました。
 先輩方からは、二年生はとにかく大変だと聞かされていました。それは黙然としていて、どの様に大変なのかほとんどわからず、どんな試練が待ち受けているのか、ただ緊張して実習を始めた事を思い出します。実習班も、一年間同じクラスであったものの、ほとんど話すこともなかった他の三人と一緒に上手く実習を進めていけるか不安でした。しかし、解剖学実習はそのような不安を抱える暇も与えずに進んでいくのが実際でした。毎回目の前に現れるヒトの体の新しい光景に対応していくために、私たちは与えられた毎日の時間の大きな部分を勉強へ使わざるを得ませんでした。午後から地下の実習室に入り、夏が来ても去っても、日の長さの変化に気付くことなく、休日には運動しても、すぐに疲労。友達の誕生日を忘れ、自分の時間が欲しい。それは、大学受験から解き放たれて、楽しく一年間過ごしてしまった私にとって、辛いことでした。そして、医師になるということへの責任を強く感じることでした。
 学外の友人は、人体解剖学実習を特別なものと感じているようでした。多くの人は生理的な拒絶や、霊的な恐怖を。私はむしろそれを、実習がある程度進んでから感じ始めました。私は正直、実習に全力を注ぐことができないことが何度かありました。少し気を抜けば、どんどん実習に置いていかれ、ただ手を動かす時間が過ぎ、見るべきものを見逃したこともありました。また、見ようとしてもそのときには見えていないものもありました。そうして自分の技術や知識への不安や医学生としての熱意への疑問を覚えるたび、医師として当たり前ととらえていた、ヒトの体を見るということが、どれだけの責任を伴うことなのか、ひしひしと感じたのでした。私たちが半年間向き合ったのは、生きている患者さんではありません。すでに生命のないご遺体から、生命ある体をあずかることの責任を学んでいることは、不思議な感覚でした。
 また、たとえ全力を注いでいないときでも、日常生活が実習から逃れられるわけではありませんでした。頭が働かないときにむしろ、手や目で受け取った感覚が強いものです。ふとした瞬間に突然、解剖中の手の感触が浮かんでくることがありました。そして後に、知識を整理しているときに、「あ、あのときの!」と解剖をしていたご遺体が思い浮かぶのです。きっと図譜を丸覚えしたのとは違う記憶が刻まれているのだと強く感じています。これは、実際に患者さんを診るようになってからも、強く感じるのではないかと思います。私達が解剖をしている時に、臨床実習中の先輩がやってきて、ご遺体を見ながら勉強をしていきました。いつでもきれいな図譜を開くことはできるはずです。それでも、ご遺体で見るということに、大きな説得力があるのかと思います。
 順調にいけば、もう解剖学実習を行うことはありません。しかし、この半年に学んだものは、私が一生涯にわたって医師として学ぶ姿勢の基盤となって、新しい知識や思考を与えてくれると思います。







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