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解剖学実習を終えて
日本医科大学 河原崎由里子
 
 解剖学実習が始まったのは九月のことだった。まだ二年生になったばかりで、実習と言えば週一度の組織学実習、それも座って顕微鏡観察を行う実習だけで、今考えればまだ「医学部らしい生活」を知らなかった。しかし、解剖実習初日に教授から、「これからは解剖を中心に生活すること、体調管理も生活の時間配分も実習中心にすること」と言う指示を受け、大変なことが始まるぞ、と改めて感じたのを覚えている。さらに、教授に「どんな先生よりも一生の恩師と呼べるのは大学で解剖させていただいた方だ」と言う話をされ、ご遺体を前に、この方が私の一生の恩師か、これから、この方の生前の意志に違わないようしっかり学んでいこう、という思いで黙祷し、肉眼解剖の実習が始まった。
 私はこの夏の初めに祖母を亡くしたばかりで、また私達が解剖させていただいた方も高齢の女性であったためか、解剖の日は祖母のことを思い出すことが多かった。この方も祖母のように、私が生まれる遥か以前から生を営み、私には想像もつかないほどの長い人生を歩んでこられた。その間に、一体どのようなものを見、ふれ、どのような体験をなさってこられたのか。戦乱と戦後の激動をくぐり抜け、例え静かであっても激しい一生を送られたのではないだろうか。一世一代の大恋愛をされた事があったかもしれない。そしていつか、献体なさることを決意された。老後は安らかにゆっくりと送られたのだろうか。そして静かにその生涯を閉じられ、何の因縁か私の前に、ここに居られる。そんなことを考えては、感謝のような、畏敬のような念がこみ上げるのを感じた。
 解剖実習を通じて、体の一部一部、本当に細かいところから、この方に教わった。実習中に自分で確認したことは、今でも鮮明に目に焼き付いており、どんな解剖実習書にも負けないものとなっている。教授に言われたとおり、この実習で解剖させていただいた方は、私の一生の恩師となると思う。
 最後の実習は、ご遺体に献花し黙祷をして終わった。ご遺体を後にいつも通り実習室を出たが、「実習が終わった」という事実だけが一人歩きしているようで、実感が湧かなかった。実習終了後も、つい「あ、今度の実習であそこをもう少し見ておこう」と思ってしまい、ああもう実習はないのだったと気づく、といったことが何度かあった。その気が付いたときの妙に切ない気持ちが、近しいものと死別したときに似ていたことに気づき、解剖実習が自分にとってどれ程重い体験であったのか、改めて思い知った。教授に言われたように、いつの間にか解剖実習が生活の一部となり、いつの間にか、大学に行けば解剖が出来るのが当たり前、になっていたのだと、今になって思う。この貴重な体験を決して無駄にせず、将来に役立ててゆくことが、この方とご遺族の方々に対して私に出来る唯一の御礼の形であると思う。解剖実習を通じて、学業面、精神面ともに多くのことが学べ、自分の人生観が変わった事を実感している。
 
千葉大学医学部 北本匠
 
 解剖実習、これは医学部に入った時から話を聞かされてきた事であった。しかし、話というのは全て具体的なものではなかった。そのため、解剖実習とはどのようなものなのか?自分に耐えられるのだろうか?死んだ人にまっすぐに直面できるのだろうか?等々様々な不安を持ったまま解剖実習を迎えた。
 医師になるのは小学生の時からの夢であった。どうしてもなりたかった。だから大学一年生、二年生と専門科目がそうない中でも、また浪人時代にも友人達などと話しながら医師へのモチベーションを高めてきた。その中で解剖実習の受け止め方も友達同士で話してきていた。準備はしたつもりだった。
 初めて白菊会の方を呼んでのお話を聞いた時、それは自分の想像を超えたものであった。「一生を経てなお自分が何か役に立つことができる。これほどすばらしいことはあるのでしょうか?」この一言は今でも頭に残っている。自分の思い描いていた解剖実習への不安がいかに幼稚なものかを思い知らされた。自分達医学生全員が例外なく経験する解剖実習はこんなにまで崇高な奉仕の心の上に成り立っているのだ。まっすぐ見つめることができるのか?など失礼極まりない考えだと痛感した。かわりに白菊会の方達のお話を伺う中で、自分の持つこの解剖実習という機会は非常に特別なものであり、自分なりに最大限に活かす義務があると感じた。自分はこの機会を決して無駄にしてはいけない。この事は結局最後まで毎回の実習の始まりと終わりの黙祷のたびに心の中に唱えていた。
 解剖実習の第一回目、いよいよ自分の先生となるご遺体との対面を果たした。不思議なほど冷静であった。実習前に感じた不安など微塵も思い出さなかった。代わりに頭に浮かんだのは白菊会の方たちの言葉とそのときに見たビデオに写っていた献体を決意された方々の顔であった。目の前にいる人はもしかしたらちょっと前に街中ですれ違った人なのかもしれない、と森教授のお話も思い出された。この方から将来医師となるための様々なべースとなる知識を得なくてはいけない。予習復習は当然欠かさず行った。しかし何より気を付けたのは得た知識を相互に関連させることであった。これはなんのためにあるのか?どうしてこのような構造なのか?この組織の感触はどのようなことによるのか?形態と機能を結びつけながら様々なものを観察させていただいた。覚えたものは忘れるのだ。だから自分は目の前にいる先生からの教えを出来るだけ深く自分に浸透させるため、出来るだけ多くのことを考えた。
 献体を登録した方々の集まりである白菊会の精神は非常に崇高なものだ。自分に同じことを心から言える自信はまだない。そんな今の自分に医師になる資格はあるのか?今の自分には白菊会の方たちの意思を最大限に受け止めることしかできない。勉強を進めていき医学というものへの理解が進めば変わるかもしれない。だから実習中は部活や他にやることがある中でも決しておろそかにすることなく勉強を進めた。医師になる資格を問う前にまずは出来る限りのことをやろうと思った。
 最終試験を終えたあと、ご遺体の納棺を行う日、なんとも言いようのない感情をもった。目の前にいる方の生活感というか、生前のリアルな情景というか、そのようなものがよぎったのだ。自分は一人の人からその身をもって今まで得た知識を頂いたのだ。自分の勉強はその人に認めてもらえるものだろうか?この問いに対して答えとなっているのかは疑問だが、まず思うのは、自分の姿勢は決して恥ずかしい勉強態度だったとは思っていないというものだ。それと同時に今までの実習を思い返して、感じたことが様々にあった。
 解剖実習は現在千葉大学ではほとんどの専門科目の前に最初に行う。自分はこの意味を今はこう解釈している。解剖実習から学ぶものは、まず先にも書いたとおり一つは知識だ。しかも本では学べない知識。実際に観察し、触れることで初めて分かること。人体はどうなっているのか?医学の全てに共通する知識。これを学ぶことだ。しかし覚えたことは使い続けない限り忘れていく。だから知識に関して言えば実習により頭の中で具体化された知識を用いて考えることが出来たものが大切なのだと思う。さらにそれと同じくらい大切に学ぶこととして、自分は「医師について」だと思っている。人の死とはなんだろうか?生きるとは人に影響を与えることなのだと思っていた。しかし白菊の精神は死んでもなお人に影響を与える。
 実は三年生になる前六ヶ月の中で自分の友人、知人が二人亡くなっていた。人の死を前にどう受け止めていいのか分からないながらも一生懸命に考えていた。様々な思考の末思いたどり着いたのは、自分に出来る最大限の受け止め方はただその人のことを忘れないことだというものだった。生前に話した内容から今も解釈しだいで様々な影響を受けることがある。新しい言葉はもう聞けない。しかし、その人との会話、もらった教えなどはいつまでも自分に影響し続ける。自分が本当に人の死を悲しむのなら、私はそれを自分の中の一部にして大切にしていこうと思ったのだ。白菊会の方たちの精神に通じているのかは判断しかねるが、実習終了後、自分はこれと同じことを思っていた。今回の実習には一人の人の精神を自分は頂いたのだ。ここで得たものはこれからも大切に持ち続けていきたい。
 肉眼解剖実習を通過しない医学生に医師になる資格をもつのは困難であろう。これだけ貴重な体験は専門教育に入っていく最初の段階としてこれ以上になくふさわしい。この実習の意義を今改めて感じている。
 白菊会のみなさん、本当にありがとうございました。心から感謝しております。また同時に少しでもよい医師となれるようこれからもなお一層一つ一つ学んだことを大切に受け止めていこうと思っております。
 
近畿大学医学部 清河慈
 
 約2ヶ月間の解剖学実習を終えて、私は今やっと終わったという気持ちともう終わってしまったという気持ち2つを持っています。2ヶ月間毎日、御遺体と向き合い、手引きに従って、時には見つからないこともありましたが、部位を剖出していくというのは体力的にかなりつらいものがありました。また、2週間ごとの試験もありました。人体解剖学の膨大な情報量を要領良く理解していくことの大変さに、精神的につらかったこともありました。
 しかし、「もう終わってしまった」と思うくらい、解剖学実習は実のつまった貴重な体験でした。医学部を志した理由の1つ「人体のしくみを知りたい」という願望がさらに強くなりました。解剖学には医学の基礎だけでなく実践も含まれていると思います。だから単に部位の名称を覚えるだけでなく、その部位が臨床とどのような関係にあるかも学ぶ必要があると思いました。症状の原因、その症状にはどの部位がどのようになっていることが原因なのかを臨床で追求するには、いろいろな可能性を知っていなければなりません。解剖学を通して医学の奥深さを知りました。そして医学をもっともっと勉強したいと思いました。
 最後に、御献体して下さった方、御家族にはとても感謝しています。一生に一度の貴重な体験をさせていただいてどうもありがとうございました。この経験を生かし、これからも勉学に励んでいこうと思います。







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