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解剖学実習を終えて
東京歯科大学 大平真理子
 
 初めてご遺体を目にした日から約10ヶ月。私にとって、解剖実習はとても貴重な経験でした。
 初めての解剖実習の前夜。解剖の教科書を目の前に私は不安を抱えていました。ご遺体にメスを入れるのです。献体のご意思に背くような学生であってはいけない。その気持ちから、前夜の予習はその後も欠かさず行いました。そして、実習当日。見慣れた実習教室がいつもと違って見えました。ご遺体と対面し、黙祷の最中、目頭が熱くなりました。あなたのご遺志は受け取りました。この解剖実習でしっかり勉強して、患者さんそしてなによりあなたに納得していただける歯科医師になります・・・と。初めてメスを持った瞬間、自分の行いに責任を持たなければと感じました。歯科医師は責任のある仕事なのだと再認識させられた瞬間でした。
 私たち人間は一人一人違います。顔や体格の違い。それは個性であるとわかっているつもりでした。しかし実際解剖を行っていると、その違いに何度も驚かされました。教科書で日頃目にする写真ですべてと捉えがちですが、大きさ、形などにおいて、体の細部に至るまで『個性』がありました。また、そこにはその人が送った人生がありました。解剖を行いながら、ご遺体の人生に思いを馳せる事もありました。私たちが歯科医師として関わっていく口腔内も人それぞれで異なります。現在私たちは一般的な治療法や病気について習っています。しかし歯科医師として働く時は、患者さん一人一人の個性を尊重し、その人の人生を理解し、その人それぞれに一番よい治療をしていかなければならないと実感しました。
 ご遺体とご遺族に感謝をしつつ、この解剖実習で学んだ多くのことを心にとめ、これからしっかり勉強し、ご献体下さった方々とご遺族に喜んでいただける歯科医師になりたいと思います。
 
東京医科大学 大森槙子
 医学部二年生になった当初、私はこれから始まる解剖実習に対する不安と緊張で胸が一杯でした。一年間の教養では、医学的知識も未熟で、こんな私にご遺体で実習を行うことが許されて良いのかというためらいもありました。しかし、東寿会総会に参加し、実際に献体を希望される方とお話をした時、私達は医師になるために学んでいるのであり、献体される方は、私達が実習によって多くのことを学び、立派な医師になることを望んでおられるということを知り、それらの不安は掻き消されていきました。
 いざ実習が始まると、今までイメージでしかなかった人体の構造が、はっきりと目の前に現れてきて、毎日驚きと発見の連続でした。また、私達は一人一人顔や性格が違うように身体にも個人差があり、全てが教科書通りではないということを実感しました。
 一番心に残っていることは、生前にご遺体を苦しめた病気の跡を発見したことです。これは、ご遺体が生きていたという確かな証拠であると共に、「しっかり学びなさい」という最後のメッセージであるような気がして、胸が熱くなりました。同時に、ご遺体がどのような生活をし、どのようなことを考えて生きてきた方であるのかを想像しながら、実習に臨んだことを覚えています。
 これらの経験は、実際ご遺体に触れてみて初めて得られる貴重なものであり、一生忘れることのない心の財産として、私の中で生き続けるでしょう。そして、解剖実習で得たもの・感じたことは、これから先医師になってからも振り返るべき私の原点になると思います。
 三ヶ月にわたる実習が終わり、納棺の日が訪れると、改めてご遺体が亡くなられたということを認識し、淋しさに似た何とも言えない感情が込み上げてきました。このときふと、人間には肉体的な生ともう一つの生があるということに気付き、亡くなられてからもなお、私達に無言の先生となって、多くのことを教えて下さったことへの感謝の気持ちを込めて、最後の黙祷を捧げました。
 振り返ってみるとこの三ヶ月は、貴重な体験の連続で、とても充実した毎日でした。しかし、私にとっての実習はこれで終わりではなく、この実習で学んだことを、これからの学習に生かしていく義務が残されています。そして、これが私にできる一番の恩返しであると思っています。
 最後になりましたが、献体という形で生涯を終えられた方御本人の医学への貢献はもちろん、御遺族の方々にとりましても大切な御身体を、私達の勉学に捧げて下さり、本当にありがとうございました。私はこの出会いを一生忘れません。改めてご冥福をお祈り致します。
 
弘前大学医学部 岡本哲平・小河原由貴・萩野美里・数馬聡
 
 4月20日。私達5班の4人も他の同級生と同様に、人体の神秘に触れられるという期待を抱いて、貴方とお会いしました。しかし、それと同時に、不安がありました。というよりも、不安な気持ちは期待を遥かに凌駕していました。先輩方から解剖学実習がどういうものかというのは聞いて、ある程度の覚悟はしておりましたが、やはり、最初は貴方の尊いお体で学ぶというのは相当の抵抗があったというのは否めませんでした。なぜなら、貴方はつい何年か前まで「生」きていて、泣き、笑い、怒り、悲しみ・・・と、私達と同じように日常生活を送っていたからです。そのような方の御遺体を解剖して生じてくる様々な葛藤を果たして、どう消化していくのかという不安がありました。
 しかし、日程をこなしていくうちに、解剖学実習が医学を学ぶ私達にとってどれだけ重要で貴重なのかということが身に染みてわかってきました。自分の手で解剖することによって、教科書では得られない知見や自分の頭に吸い込まれるように入ってくる知識など、得ることは枚挙に暇がありませんでした。これは貴方という「恩師」がいて下さったお蔭だと確信しています。
 いえ、学んだことは「解剖学」という範囲のものだけではありませんでした。貴方の腹部には非常に大きな腫瘍が多くあり、多くの臓器を圧迫していました。さらに、貴方のお顔も苦痛で歪んでいました。このとき、私達は貴方がいかに苦しんで亡くなったのかということが手に取るように理解したと同時に、「死」というものについて深く考えました。そして、貴方のように苦しみを味わう人々が少しでもいなくなるように、この経験を活かし、立派な医師にならなければならないのだと強く思いました。この思いは、私達の個人的な目標というだけでなく、御献体してくださった貴方の恩に報いることだと考えています。
 私達は今、解剖学実習を終え、医師になるためにさらに勉学に励んでいきます。そしてその中では辛いこともあるでしょう。しかし、そんな時は貴方のお顔を思い出して気持ちを奮い立たせて様々な障壁を乗り越えて前進していきたいと思います。どうぞ天国から見守り、励ましてください。最後に、私達のために御献体して下さったという有難いご遺志とご行為に5班班員一同、深く感謝の意を表します。この3ヶ月間、本当に有難うございました。また、それと同時に貴方のご冥福をお祈りいたします。
 
弘前大学医学部 沖塩尚孝
 
 長い間、解剖させて頂きました。ご苦労様でした。
 雪さえ降った、まだ寒い4月に解剖を始め、あれから3か月経った夏、7月、私達4班は解剖を終えました。
 女性、小柄、他のご遺体と比べると大変に綺麗な状態で、痩身であられたので、比較的スムーズに解剖が行えました。健康な生活をかつておくられていたのでしょうか。子宮筋腫が確認できましたが、それ以外には、何がもとでお亡くなりになられたのか、全く予想がつかないほどに、痛々しい腫瘍や異常箇所などないご遺体でしたので、剖出確認事項に困ることはさほどありませんでした。
 感謝いたします。
 剖出を終えようとしている今、やはり、「献体されたご遺体に対する感謝とはなんだろうか」、「解剖を行う我々医学生の責任ある態度とはどのようなことだろうか」、「解剖実習によって得た知識、感じたこと、考えたこと」を述べることが適切だと思うので、述べることにします。それが筋であり、また次へつながることになるからです。
 「解剖」という非日常の経験について、あるがままのことを、私たち医学生の正直な思いをそのまま伝える、ということは、大変難しいことと言えますが、これに努める他ありません。
 ある学生にとって、解剖は恐怖であったり、懊悩であるかもしれません。緊張的な場といえます。
 医療という現場、医師という職業、これは人が生まれ、人が亡くなり、人が喜び、人がうなだれ、人が不安になり、人が悩み、人が希望をもち、人が再起を祈る、そのような人生の重大事に深く関わります。患者の強い思いと、病気・障害・人の生死などの冷徹な現実が生起しては消滅していく、極めて繊細微妙かつ、凄まじい世界です。他者に敬意を払いつつ、医学的処置を施す医療という現場で将来人生のエネルギーを費やすわれわれにとって、解剖実習でのご遺体との関係は意味ある実践的な学びの場でした。
 実習で学んだ知識と経験を、医師としての将来に活かすことで、社会に貢献する、それがご遺体への責任ある態度と信じつつ、献体に感謝し、ご冥福をお祈りいたします。
 
日本大学松戸歯学部 小倉静
 
 昨年、秋より私達は御献体より学ばせていただく解剖実習を行いました。
 今迄、この実習に臨むべく知識を、日頃の座学で学び、身につけた様に感じておりましたが、御献体をいざ目前にすると、事の重大さ、己れの無力さに足がすくんでしまった記憶があります。
 しかし、日々御遺体と至近距離で向き合い安らかな御姿を拝見させていただく事や、慰霊祭でお目にかかった多くの御遺族の方々のお気持ちを肌で、心で強く感じる事で、日々を重ねるごとに、「この方々の御厚意、私達医学を学ぶ者に寄せて下さる御期待に必ず応えられるような医療人を目ざす事が使命である」と日々の座学では希薄になりがちであった自覚の芽生えが確固たるものとなりました。
 御遺体は、個人差が非常にあり、御年齢、性差、病状はもとより、私達が、日頃当り前の様に言葉にする「骨格」「顔貌」をとっても、何百種にも及ぶ、各部位の筋肉、神経、臓器が個々の役割を担い、複雑かつ精密な動きを連動する事により行われている事が、日々の実習中に、その各部位を目で確認し、知識や書物と照らしあわせ、注意を払いながら剖出を行うという過程を経てゆくうちに机上だけのものではなく、身体の一部として御遺体の方より授けていただいた様に感じます。
 医療に従事してゆく者としては、必要不可欠なものとしてつい技術向上、病因究明にばかり目が向けられがちになりますが、病を患う方の気持ちと向きあい、痛みを共有し、共に病に臨む姿勢が、同様に大切である事も、痛切に感じました。
 この実習で学んだ貴重な体験を大きな糧として、病巣治療はもとより、後生に一助となれる医療人を目指し、日々精進に努めてゆきたいと思います。ありがとうございました。







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