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二十年前の宿題
日本大学松戸歯学部白菊会 高木美津雄
 
謹啓 皆様には益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。
 いつも年賀状をはじめ会報や文集を頂きながら、お礼の葉書一枚差し上げず、申し訳なく思って居ります。心よりお詫び申し上げます。
 文集『まつど白菊』はいつも興味をもって読ませて戴いております。特に研修生の皆さんの実習レポートには関心があります。私共には想像だにできない解剖実習は、医師になるための技術的、精神的ハードルの第一歩だろうと思います。人間が自分と同じ人間の体にメスを入れるというどなたも生まれて初めてであろう経験は、おそらく恐怖と未知への強い探究心の交錯する中での実習であることが容易に想像出来ます。医師としての強靭な精神や医療上の倫理観もこうした経験を通して育まれていることが、レポートの行間から読み取ることが出来ます。より一層勉学に勤しまれますよう陰ながら声援をお送り致します。
 さてこの度どうしても愚見を述べたく拙筆を執りましたのは、前号で『献体を葬儀の省略に利用する』かの如き考えの人が居られるような一文を拝見したからであります。たとえ打算的な風潮の世の中になったとはいえ、献体は奉仕精神にもとづく神聖な行為と心得ている私には、残念に思えてなりません。
 私が献体の希望を持ったのはずいぶん昔のことで、南アフリカ連邦のバーナード博士によって初めて心臓移植手術が行われた時からでした。当時から私は寡聞にして、南ア連邦は他のアフリカ諸国同様に医学に限らずあらゆる面で後進国と思い込んでいました。欧米に先駆けて行われたこの手術が直ぐには納得出来ず、ミステリーに似た驚きを感じていました。その後私はブラジルで長年仕事をすることになりましたが、そのブラジルの医学もまた素人の私の目には日本の比ではない優れたものに映りました。その頃日本から来伯されて、子息が現地国立大学の医学部に学び、間もなく卒業という一家と知り合いになりました。ある時その子息と日本の医学レベルのことを語り合い、私は当然南アの心臓移植のことも日本医学が南アに劣っているという前提で話題にしました。
 あんなアフリカのような後進国で出来ることが何故日本では出来ないのか、日本の医学はそんなに遅れているのか、と半ば日本の医学をなじるような言葉で問いかけたのです。彼は日本の医学がそれほど遅れているとは思わない。敢えて言えば心臓移植のような高度な外科技術では遅れているのかも知れないが、それにはそれなりの理由があると思う、と感情を荒げて弁明するのでした。その理由とは、日本では解剖学実習のための遺体数がどこの国よりも少ないこと、逆に南アばかりでなくこのブラジルでも遺体は潤沢に医学生や研究機関のために供給されていることなどを、生涯を医の世界に置く決意の人間として、グローバルな視点で悔しそうに説明するのでした。私は若い学徒の心を読めなかったこと、そして自らの考えの浅薄さを恥じ、今でも冷や汗の気持ちで思い出しています。
 彼は当時の日本の医科大学では研修・研究に必要な遺体が自らが学ぶブラジルに比べてはるかに少ないことを知っていたのです。彼が学んでいる医学部、特に外科の場合は、学生が必要とするだけの数は必ず提供して貰えたそうです。不必要に遺体を消費しないために学生同士で専科別にやり繰りすることはあっても、納得が得られない場合などは新しい遺体を出して貰い、自由に何度でも確認研究が出来るというのです。日本でも遺体を学生の要求通りふんだんに供給することが出来れば、外科医学は日本人の賢明さもあってどこの国にも負けない技術の確立が可能なはずだ、とも言いました。
 ブラジル国立大学の学費は国が負担していましたので、たとえ外国人である日本人の子弟でも試験に合格さえすれば、日本のように大金を必要とする事なく卒業することが出来たのでした。卒業後は奉仕義務もないのに僻地の病院等を回りながら実習を重ねていたようでしたが、今では国際的な医学の分野で押しも押されもしない立派な医学者として活躍しています。
 彼が医師として育って行く過程を敬服の思いで見続けながら、併せて、外国人である日本人学徒を無料で学ばせてくれたブラジルのことを思う時、私は単なる傍観者で終わっては申し訳がないという気持ちにいつの間にかなっていました。その狭間で自分に出来ることは何かを考えたとき、なんの能力もない一人の人間として、死後は医学研修のために体を役立てゝ貰うことが最も自分の思いに忠実なことだと思いました。
 以来その気持ちは片時も薄れる事はなかったのですが、現地滞在が長くなったこともあって、献体を心に決めてから二十余年後ようやく『白菊会』に入会させて貰いました。会員証を手にしたときは常に心に追い続けてきた大きな宿題のようなものから一気に解放された晴れやかな気持ちになったことを忘れません。
 願わくば老人がこれ以上社会的にお荷物扱いされないうちに皆様のお役に立ちたいものと念じて居ります。
 
聖マリアンナ医科大学山百合会 寺島美佐子
 
拝啓
 この度は貴会に献体登録をさせていただきまして、誠にありがとうございました。
 私は一キログラムもない体重で生まれたそうです。母は小さく産んで大きく育てると思ったそうです。大きく成長した私に満足げに言っていました。でも、十八才の時甲状腺腫と判明し、二年後に長野県から今住んでいる川崎へと住みましてから、大学病院へ通院して治療をし完治致しました。それからは、両親は特に私を大事に思ってくれていた様です。私と両親は三人とても仲良く幸せな年月を過ごし、結婚・・・出産・・・赤ちゃんの死・・・夫との別れといろいろ悲しい事もありましたが、いつの時も両親に励まされ頑張ってきました。失敗だったけれど、私にはいい経験になったと今は思っています。
 ある日、野良猫が実家で子猫を五匹産んで、あまりの可愛さに私は今住んでいるマンションへ連れてきて育てる事にしました。父は一日に一回我が家をたずねて猫の様子を見てくれましたので、私は安心して仕事が出来ました。そんな事が十二年程続き、平成八年に父は転倒して大腿部頚部骨折で半年入院し自宅通院となるも、この事が始まりで腎臓が悪くなり人工透析を始める事となり、そのうちに慢性骨髄性白血病を発病し、ドクターにあともって半年ですねと言われ、家族と相談して七十九才の高齢ですから本人に告知せず苦痛だけとってもらって治療していただきました。母は父より三才年上で少し呆けがありましたが、私と一緒に散歩したり、買い物に行ったりしながら「私はお父さんよりも早く死ぬと思うのでお父さんを頼むね」とよく言っていた母が、平成十年八月に突然倒れて苦しまず長びかず、静かに父を残して他界しました。父は母のいろいろな始末を終えて、同じ年の十月に入院し、十二月に「少しねむるよ・・・」と言って母のもとへ旅立って行きました。とても仲の良い夫婦でしたから・・・。病院の先生、ナースの皆様方に心からお礼を申し上げ感謝致しました気持ち、今でも忘れません。
 両親を失った私の悲しみを救ってくれたのはペットの『猫』とお友達です。そのペットも二〇〇三年一月九日に二十年と八ヵ月で静かにねむる様に旅立って行き、早一周忌を終えたら私はなぜか無になってしまい、これからどう生きて行くのかわからなく迷う日々が続きました。答えのない日々の中で、昔私の上司であった四六一番の方の言葉を思い出しました。その上司は、ぼくは献体しているのですよと話していらっしゃいましたが、その頃の私の心の中に深く刺さっているとは思ってもいませんでしたのに、迷いの中でその献体の言葉がなぜかふっと思い出されたのです。生まれてきて両親からもらった命を引き継ぐ事の出来ない人生を選んだ私にとって、出来る事と言ったら献体しかないと思ったのです。小さなボランティアですが、これからの医学のお役にたてていただければ幸せに思います。これから残された人生を大切に、楽しく日々を過ごす事が出来ますことに心から安堵の気持ちで一杯です。ありがとうございました。
敬具
 
宮崎大学白菊会 長谷川政和
 
 私たちの人生は、何かの定めで進行しているような気もするし、偶然の積み重ねで経過しているような感もする。
 でも、私は自らの七十数年を振り返って見て、やはり自分の人生の歩みは結局は良きにつけ悪しきにつけ、自分の選んだコースを歩んでいるように思う。今この高崎の地に住んでいる事実も、かつて、あのような職業を選んだ事も、今、キリスト者になっている事も、そして又、このような仲間と付き合っている現状も、その結果このレポートを書くに到っている事も、結局は自分が選んだ事である。そこで今日は、その選択の重さについて考えて見ることとする。
 私達は、なるべく正しい選択を可能にする為、学習し、行動し、思考し、悩む。多くの条件を総合的にミックスして結論を出すのが通常である。出生に関する事項はともかくとして、それ以降の幼児時代より今の成人に至るまでの事は、殆んど選択と努力の結果である。人間は、人の力で如何んともし難い事、即ち、出生に関する事(どこで誰の子に生まれるか、又は生来の障害)や大自然に因する事(地震等の災害)で差をつけてはいけないが、それ以外は、それがたとえ子供であっても老人であっても、自己責任の分野と言ってもよいだろう。そこには、就学、就職、住所、結婚、健康、死等諸々あり、とりわけ健康について考えても見ても多くの人々は、飲食、運動、休養で自らの選択を間違って死に至る場合が多い。
 私は白菊会に入会して以来、常に考えている事が一つある。死後の私である。
 私の肉体は私という動物の歴史をどう刻み込んで終るであろうかと。人間の棺桶に入るまでは大体この世に迎合して生きざるを得ない。はっきり言えば殆んどが偽善行為を重ねて生きる。でも死ねばその操作は不可能となる。解剖して下さる学生さんが「この人の人生はどんな人生だったのかなぁ」と考えられるとよく聞く。少くとも肉の塊と化しても、清く貧しく美しくあれかしと思いたい。
 そのためには「現世で如何に生きるべきか」が、私の今現在の重要な質問である。結局、そこで自分の弱さ、駄目さ、無力さに気づく。如何にすれば充実した人生を過ごせるかの問いかけに繋がっていく。でも誰も納得する答えは与えて下さらない。
 交通事故が法規を守るか守らないかの二者択一で幸、不幸に行きつくように、やはり私達も神様の教えに正しく従って生きて行く以外、道はないと考えている今日この頃です。







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