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今日このごろ
奈良県立医科大学白菊会 清水禮子
 
 私たち夫婦が大阪から大和郡山に移ってきて、もう十六年目になります。
 大阪で地下鉄の駅が近くにでき、家から五メートル程のところに第一出口ができて便利になった半面、あたりは焼肉屋やパチンコ店等がひしめくようになり、それに加えて高架の高速道路がすぐ西側を通り、だんだん空気が悪くなって参りました。主人も私も気管支が弱く、空気のいい所を求めて探したあげく今の家を探しもとめることが出来ました。家の隣りは広い児童公園で、そこに遊びに来る子供達の幼い声が一日中聞こえます。向うの矢田山の中腹には松尾寺ののぼりが見え、鐘の音も風にのって聞える毎日で、本当にたのしい十年間でした。
 この八月十三日も主人の父、母、私の母たちをお盆に迎えて、お茶粥を供えたり、お好きだったぶどうや桃を供えたりしました。そして玉子のゆがいたのがお好きだったナとか、ナスビの天ぷらもとか、生前のお好きだったものを、あれこれ作ってお供えし、あっという間にお盆がすんでしまいました。とくに今年は小学六年と小学校一年の男の子の孫がにぎやかにしゃべりながらお迎え団子を丸めたりゆがいたりして、玄関でお迎え火のおがらをたいて「おじいちゃん!ご先祖さま!ここですよ」と祖先の霊を迎えてくれました。「あゝ、私がいなくなったあとも、こうして迎えてくれるのだ」と嬉しく思いました。
 主人は八十才私は七十六才になりますので身辺整理をしなくてはと思いつゝ生きている間は必要なものばかりで捨てきれないものが沢山あって我ながらあきれているこの頃です。
 でも生かされているその日まで心だけは、明るく過していきたいと思っています。
 
徳島大学白菊会 神野美昭
 
 父、実は二〇〇三年十二月三十日に九十三年余の生涯を閉じました。
 父は、二〇〇二年四月から新居浜市の自宅に近い若水館(老健施設)に、母とともにお世話になっていました。長男の私は一九五九年に徳島に転勤(電電公社無線中継所)し、そのまま住み着いてしまって、息子、娘、孫六人の徳島人となり、昨今は月に一度ほどの里帰りでした。
 十二月三十日も真光寺の墓参を済ませて車で若水館に向かっていて、昼ころ、その車中に妹の昌子(新居浜市在住)から、父が労災病院に救急車で運ばれた、との携帯電話を助手席の妻ナミコが受けたのです。労災病院ではテキパキと緊急の治療措置をしていただきましたが、集中治療室で妹や妻などが手を握り声をかけるなか、やがて午後一時二十四分、心電図が横線となり父は静かに息を引き取りました。心不全という診断でしたが脳のCT検査も異常がなく、自然死というか、まことに穏やかな大往生だと感じました。
 父は、別子銅山と住友製鋼所で働いた祖父の次男として明治四十三年十月九日に生まれました。大正七年三月二十三日に大阪第三西野田尋常高等小学校入学、昭和四年三月七日に兵庫県内私立中外商業高等学校修業、そして住友銀行に就職し新居浜支店に勤務となりました。昭和八年二月八日に渡部ユキエと結婚。十一年に長男(美昭)、十四年に長女(富江)、十八年に次男(秀治)、戦後の二十二年に次女(昌子)、二十六年に三女(淑子)が生まれました。大正三年七月五日生まれの母は、長年化粧品を扱ったりしていました。現在八十九才ですが、父の死のショックでか少し体調を崩しました。
 父は昭和十九年、軍隊に召集され終戦で復員、しばらく大阪の住友銀行支店に勤めて退職、母の里の渡部製材製麺工場(現東予市)で働き、昭和二十六年から四十五年まで新居浜信用金庫(現東予信用金庫)に勤務。その後も東信サービスを設立して、平成六年六月に退任した八十四才まで働いたのです。
 明治、大正、昭和、平成を生きてきた父の生涯、長男でありながら県外生活五十年ほどにもなる私にはあまり理解できていません。これから父が書き残したものを読むなど、少しづつでも探求したいなと思っています。
 探求テーマの一つは、父の様々なことに対する感謝の心根です。少し考えれば自然や社会、多くの人々にお世話になって生きていることに気がつくものでしょうが、それが自覚できる度合いに応じて汲み上げる深さも決まってくるのではないかと思うのです。二つ目はやさしさ。父は家の壁に、子ども、九人の孫、十二人の曾孫の名前と誕生日を書いた紙を張りだしていて、いつも気にかけている様子でした。感謝と優しい心根を受け継いでいきたいなと思うのです。
 父は、誰も避けられない死を迎えました。真光寺のご住職からいただいたパンフレットには、一枚の葉っぱも次々と変化する、死もその変化の一つ、と書いていました。この世からあの世へとの考え方もあります。それだと、四年前に四十九才で亡くなった三女が「来たの」と父を迎えて賑やかに過ごす姿を目に浮かべることもできそうです。
 一月三日が葬儀、父は、戒名代も墓も真光寺に前払いで準備していました。長男の里帰りに合わせ(?)親族の都合もつきやすい休日の時期を選んで(?)人生を全うするなど、「見事じゃね」と妹が言い、私も思わず「そうじゃね」と頷きました。父には米寿の時に「神野実履歴」を書いてもらっていました。それを印刷して配布したのですが、履歴に関する記憶を火葬の待ち時間などに次々と聞かせていただきました。普段、長男の役目をどう果たすのかとの思いでしたが、手助けをお願いしながら何か出来そうな気にもなってくるのでした。
 
山形大学しらゆき会 鈴木茂
 
 いま、日本で一番よく読まれているお経は般若心経だそうです。仏教の経典は約三千のお経があるそうです。一般に知られているお経は三千の内で三十位だそうです。その中で日本人に最もよく知られているお経が般若心経だそうです。知名度ナンバー・ワンのお経ですね。
 ただ読まない宗派があります。浄土真宗と日蓮宗の二つの宗派は読む必要のない宗派です。浄土真宗は「浄土三部経」というお浄土のお経を読みますし、日蓮宗は「法華経」を読んでいればよいからですね。二つの宗派は信者数が多いので般若心経を読む人が少なくなるのは当然ですね。浄土真宗も日蓮宗も般若心経を読んではいけないという事はないそうです。
 日本仏教の多くの宗派が読まれている経典であると同時に実際には多くの人が読んでいるのが「般若心経」と言うお経です。なぜそれほど人気が高いかと考えますと短い経典であること、三百字たらずの経典でどくじゅするにも、また写経をするにも短いからよいのですね。
 「般若心経」が大乗仏教の奥深い考え方を説き明かしていることです。大乗仏教の立場から「空」を主張していますが、簡単に言えば「こだわるな」と言うことだそうです。ぼんのうにこだわるなということで、眠れぬ夜に眠ろう眠ろうと羊の数をかぞえているようなもので、それをずばり「こだわるな」とむりに眠ろうとしない考え方をしようと教えてくれているのだそうですね。
 般若心経はヒガンのお経です。大きな川があります。川の向うはヒガンです。川のこっちはシガン「しゃば」で迷いの世界でヒガンは悟りの世界なのです。迷いのシガンを去って、川を渡って悟りのヒガンに到達しなさいと教えてくれているのだそうですね。
 「彼岸に渡れ」というのが仏教の教えであり、般若心経もわたしたちにそう命じているのだそうですね。
 仏教で言われるシャバでは欲望を持ち、その欲望もさまざまなものがあり、その欲望を仏教ではかつあいと呼んでいますが、それは海を漂流する人があまりにも喉が渇くので、一口海水を飲んだ状態に似ているそうです。海水は絶対にわたしたちの渇きはいやしてはくれないそうです。むしろ反対に海水を飲めばますますわたくしたちの渇きはひどくなると言われています。こんな教訓があるそうです。神様が何んでもかなえてやると言うことで触れるものすべて金にして下さいとお願いしました。すると口に運ぶ食物まで金に変ったので困り神様に元にもどすことをお願いしたと言うことです。
 般若心経は欲望を少なくして足る心によって欲望の問題を解決できると教えているお経です。そしてわたくしたちに「彼岸に渡れ」と呼びかけているのが般若心経というお経だそうです。
 
北海道医療大学白菊会 鈴木美紀子
 
 私は50代の女性です。以前は子供と二人で生活をしておりましたが、長男夫婦のところで生活していた母親がアルツハイマー病と診断され、また嫁さんとの折り合いもあって、数年前より、私のところで親子3世代で生活をしておりました。しかし、最近、母親が高齢となり痴呆が進行し一緒に生活することが困難な状態となってきました。
 母親が気持ちよく老後を過ごすには何が良いのかと考えてみましたが、私一人の収入では経済的な負担が大きく家族で出来ることにも限界があると思い、老人介護の施設を探してみましたが老人ホーム入居の空きがなく困っておりました。幸いにも先日、近くの病院に入院することが出来ました。母のことを思いながらも、とうとう私の手を離れることとなりました。その時は悲しさで涙が止まりませんでした。
 しかしその反面、これで母も安心できると思い、なぜか「ほっ」とした安堵の気持ちがわいてきたのです。家事以外の仕事をしたことがない母親は父親だけが頼りだったと思います。その父親を失ってほどなく「痴呆」の症状が表れ、だんだんと失われていく自分自身にきっと不安と悲しみで一杯だったと思います。その気持ちを考えたとき自分の無力さと、近い将来やってくるだろう自分の老後について、また、子供たちに何が残せるのかについて考えていました。そんな中、知人からの紹介で白菊会を知ることとなりました。母の病気を研究するうえで献体は大切な事と思い、家族の事などを考えてもそれが良い事だと判断し参加させていただきたく申し込みました。







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