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初めて目にした献体慰霊祭
北海道医療大学白菊会 栗城勝江
 
 今年の8月18日の献体慰霊祭には、前日、おなじ会員の方の家に泊めていただき出席いたしました。会場の正面を見たとき立派な祭壇が目に止まり両手を合せて、心の中で「私は新入会員です。今回初めてお参りに参加させていただきました。皆様のお顔も声もお名前もお年も存じませんが私の人生の終わりが来たときには皆様のお仲間に入れてくださいね」と、一人言を口ずさみました。後ろでは生演奏者の学生さんたちがスタンバイをしておりました。式が始まり学長さんのご挨拶が始まったときには涙が止まらなくハンカチを目に当てました。これだけ多くの先生、学生さん、会員の皆様からお花をささげてくれている会場の中を見て、自分も亡くなった時にはこれだけ多くの人達にお花と手を合せてもらえると思うと小さな町に住んでいる私には遠い祈りのような気がいたしました。その後、納骨堂の礼拝に参加いたしました。歩けるうちは毎年続けたいと思っております。また、子供の頃に田舎が同じ出身の同級生が会員になっておりました。小学校、中学校そして、職場も同じで48年ぶりで会場で会いました。昔の話になり懐かしい思い出をそしてめぐり逢いが出来た事、慰霊祭で流した涙と、また、昔の友に会えたうれしさでいっぱいになりました。歯学部の学生の皆様本当にありがとうございました。私は学生の皆様に献体をおまかせいたします。多くの患者さんに「先生ありがとうございました」と心のそこからお礼の言葉を言ってもらえる先生を目指して頑張ってください。
 
琉球大学でいご会 幸地努
 
 「死」について語ることを、縁起でもないと忌み嫌い、タブー視する人も少なくないようだが、従心ともなると「生者必滅・会者定離」は厳粛に受け止めなければなるまい。
 そして「生を視ること死の如し」、つまり「生命のあるものは必ず死ぬから生死を超越して天命に安んじて心を労しない」の境地に達しなければならないと思う。
 私は、一昨年に姉を、そして昨年兄を亡くした。兄は一年余も、いわゆる植物状態で、介護する義姉(兄の妻)の疲れ果てた姿を目の当たりにするにつけ「私はこんな死に方はしたくない」の念にかられた。そして、たまたま「死の迎え方」に「尊厳死」のあることを知った。「尊厳死とは回復の見込みがない患者の無駄な延命治療を避け、人間としての尊厳を保ちながら死を迎えること」である。
 そのような理念を持つ組織が「日本尊厳死協会」であり、そこへ私は入会した。入会すると私の自署入りの「尊厳死の宣言書=リビング ウィル=Living Will」と会員証が送られて来る。それには「(1)私の傷病が現在の医学では不治の状態にあり、既に死期が迫っていると診断された場合には徒に死期を引き延ばすための延命措置は一切おことわりいたします。(2)但しこの場合、私の苦痛を和らげる処置は最大限に実施して下さい。そのため、たとえば、麻薬などの副作用で死ぬ時期が早まったとしても、一向にかまいません。(3)私が数ヶ月以上に渉っていわゆる植物状態に陥った時は、一切の生命維持措置をとりやめて下さい」の三か条が記されていてこの宣言書を医療機関に提示することにより尊厳死を迎える仕組みである。
 さて、次は死後についてである。「はて、死んでしまったら何もかもおしまいか」との疑念にかられた。何の社会奉仕もせずして、おこがましいが、それでも私の主義、おおげさに言えば座右の銘は「奉仕」である。それで、大学を卒業するや福祉の道を選び、琉球政府〜沖縄県庁を通じ一貫して社会福祉行政一筋に働かせて貰った。定年退職後はボランティアとして社会に奉仕するはずであった。
 ところが、退職数年前からアルコール性の肝機能障害の汚名を宣告され、思いは叶わないまま現在に至っている。何らの社会奉仕もせず、年金でのうのうと暮らしていることに罪悪感を覚えて、せめてもの贖罪にと日本赤十字社、ユニセフ、共同募金(赤い羽根)、歳末助け合い運動等へは「他人よりは少しでも多く」のつもりで、また災害義援等へも、つど積極的に寄付している。そんな行為も死んでしまえば出来ないわけで何か死後も社会に貢献する方途はないものかと模索していた折り「琉球大学でいご会」の存在を知り、何のためらいもなく、それへ入会したのである。
 そう、私の死後は献体を通じて、いささかなりとも医学の進歩に寄与することである。
 註、本稿は昨年一二月二〇日宮古毎日新聞に掲載された拙稿を要約したものである。
 
日本大学松戸歯学部白菊会 小林志ん
 
 今年も早や四月、後八ヶ月で又一ヶ年を取る淋しい人生、感じる。去年は孫娘、二人、家孫と、外孫が嫁いで私もなんとか参列出来たけど足が痛いので一寸つらかった。後は家孫の長男に嫁さん来てくれると、嬉しいと思っている。冗談に剛顕君、早くいい人見つけないと、おばあちゃん出席出来なくなると、言ったらこればっかりはそう簡単には行かないと、一笑された。この頃は坐骨神経痛も出て歩くにも大儀。車はもみじマークでなんとかのっているけど子供達にはもう止めたらと注意されている。今年は畑の方もやる気がなくなって、里いもは、植えたけど忘れがひどくなって、蒔く時が思い出せない事もあり、ナス、キウリ、そして、いんげん、ゴーヤ、菊の苗と種類が多くて、櫻も終り、今度はつゝじの咲く時になる花は毎年一回は若返るけど人災は老いるばかり―時々人間と言う動物がいやになる事もあって、無性にお墓が恋しくなる事もある。
 痛いとこがなければ、それほどでもないけど、人生の終り近くなって愚痴ばかりで失礼致します。
 
財団法人爽風会 坂田益美
 
 第二十四回合同慰霊祭は愁秋の雨が降りしきる日でした。
 ご遺族や参列者を大学事務局の方々が雨にぬれながら懇切に案内、誘導してくださったことに感謝いたします。
 例年どおり「医の礎」が寂光でライトアップされ、整然と飾られた白菊が凛とした香りをただよわす中、系統、病理と御成願された方のお名前が奉読され、その声の流れに故人のありし日の姿が浮かばれたのでしょうか、ご遺族の席から低いすすり泣きが漏れてきました。どのような病気を得られ、いかなる形で死と対面し、そして終末を迎えられたか知るよしもありませんが人として現世に生まれ、いのちいっぱいを生ききり幕を閉じられたのち解剖実習の台に体を置く生き方に会員でありながらも思わず襟を正しました。
 新しく就任された円山学部長は
 「今日の慰霊祭にあたって会誌 爽風を創刊号から全てに目を通し、あらためて献体者のこころにふれました」と真摯に語られましたが高知医科大設立以来、医の進歩、発展を願って自らの意志を遂げた成願者の方々も地下でどんなにか嬉しく聞かれたことでしょう。近年、時として報じられる医の現場のあるまじき悲しい事件や、いまだに献体の実態や動機に誤った認識があったりして心が暗くなることもありますが解剖実習を終わった若い医学生代表の感謝と追悼のみずみずしい言葉は物言わぬ御遺体のこころをしっかり受け止めておられ深く安堵する思いでした。
 偶然隣席となった老婦人は「いつかお役にたったらあの世とやらで皆様とご一緒になりますので慰霊祭には毎年かならず参加しております」とほほ笑まれましたが八十四歳と云うご高齢なのに安芸郡の馬路から遠路の山道をご自身でハンドルを握ってのご出席で胸が熱くなりました。
 献花を終わって出た外は、雨は小止み、構内時計台裏で「すずかけ」の木の葉が濡れそびれて枝をしなわせ、かたわらの朽ちかけた板に「ヒポクラテスの木」とありました。医学の父とも云われるヒポクラテスの言葉を刻んだ板面はやっと読み取れるくらいですが昭和五十五年に植えられたと云う若木は大きく育って、やがて来る落葉の冬に向かってスックと立っていました。
 
大阪市立大学みおつくし会 坂道夫
 
 喜寿をすぎると途端に、自他共に完全なる老人と化したとみなされるようだ。生まれは大正、学校も終始旧制、たとえ戦後の時代になって就職したとしても、いまでは過去の人として忘れ去る、いや始めから見知らぬ先輩としてあしらわれる。職場の退職者会に出てみると、健在でも医者や家族が心配して外出させないのか、顔を見せぬ。
 よほど積極的で熱心な元気のよいのが2〜3人しか来ていないので、貴重というより敬遠される存在になり勝ちである。
 戦後の復興を目ざして民主化に熱中邁進した想い出を、今の教訓にしてほしいと念願しても、聞き入れられそうにない。
 少子高齢化と不景気で、由緒と伝統ある組織も、先細りの歯止めがきかず、何とか挽回策を講じても悉く功を奏せず、創始者の偉業をもち出しても聴いてもらえず、ついに解散で遺恨千載の外ないという悲哀をかこつ事例がみられる。(拙稿「社交倶楽部の悲哀」『大阪春秋』112号)
 現役陣は生き残りの浮沈を賭けて苦闘しているので、悠閑老人につき合っている義理も閑もない、そんな組織の社会的存在意義すらみとめず、古きよき時代の名残りは消滅するばかりだというわけである。
 そんな時代のなかの私の個人的状況も、ようやく万病息災というべく、大阪市の総合医療センターの各科で世話になるばかりだが、私が本学職員の現役時代、まだ医学部に入るか入らないくらいの学生だった人が、いま医務監や各診療科の部長になって、熱心で親切な診療に当ってくださる。たとえば、毎年一回の内視鏡によるポリープ切除や三月に一度で効果覿面の薬物療法(副作用もまたテキメンだしコストもしんどい)など若いスタッフの献身には、命の恩人ともいうべき感謝で一杯である。すでに早く登録済みの本会に、いつ身を寄せさせてもらっても、成願達成の用意ができているはずなのに、経済的には益々窮屈で先行き不安な老人処遇の時代にもかかわらず、上のようなありがたい健康推進策のまにまに、なお、現世の俗物根性を払拭しきれず、つまらぬ雑用を引きとってくれる後輩が出現してくれるのを、ひそかに、期待しながら、私よりまだ年長の超人的な老先輩のお世話に明け暮れている日常なのである。
 やはり会員の皆様も成願寡少を呈するよう、心身健康で長寿を重ねられることを念願するばかりである、というのでは教室側を困らせるだけであろうか。妄言をおゆるし願いたい。







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