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■挨拶
献体運動―今後は自分の力で推進しなければならない―
財団法人日本篤志献体協会理事長
東京医科大学名誉教授
内野滋雄
 この文集『解剖学への招待』はじめ、リーフレット、ポスター、献体ビデオなど「献体の啓蒙普及」のための数々の資料は、日本財団の助成金によって、無料で全国の医・歯系大学や献体団体に配布されてきました。
 昭和60年以来、日本財団(当時の日本船舶振興会)から毎年20年間にわたり篤志解剖全国連合会(全連)の諸事業に対して助成が行われてきたのです。戦後、人体解剖実習用のご遺体の入手が困難となった頃、文部省医学教育課の推薦を受け日本船舶振興会の補助を受けることになりました。第1回の昭和60年には全連の事業費804萬580円に対して80%640萬円の補助金を受け、その後20年間で総額1億370萬円余の助成を頂き大きな成果をあげて全国どの医・歯系大学でも十分な人体解剖実習が可能となったのです。更に解剖させていただいた学生は、献体者とご遺族に対する感謝の念を持ち、生命に対する哲学的考察、医の倫理に関する思考が深くなるという効果さえ出てきたのです。これらは医学・歯学の学生教育にとって最も重要なことであり、この気持ちを一生持ち続け人間医師として人類の福祉に貢献してもらえると思っております。
 全連の活動に対する日本財団からの助成の受け皿は財団法人である日本篤志献体協会となっておりますが、これは全連の事業に対する経済的支援を行うことを目的に設立された財団法人として理にかなったことと思います。
 しかし、日本財団の助成は1事業について2年、長くても3年だそうで、献体に対する助成の長期20年は例外中の例外だそうです。日本財団は、献体運動が当初の目的を達成したとみられることと、財政事情の悪化を理由に、平成16年度をもって助成を打ち切る方針を伝えてきました。私は、現代の医療現場では多くのコメディカルの専門職の方々とのチーム医療であり、コメディカル側からも人体解剖実習の要望が大きいことを説明して助成をお願いしております。
 しかし、その助成申請が認められないとなりますと、現在まで無料配布していた多くの資料はすべて有料とせざるを得ないこととなります。献体に関する情報を交換し共有することは、無条件無報酬を理念とした正しい献体運動を継続する上で絶対に必要なことです。その意味でも実費程度の負担をしていただき、多くの方々にお読みいただきたくお願い申し上げる次第です。これはコメディカルの人体解剖実習実現のためにも大切なことだと考えております。
 
解剖と信頼
杏林大学医学部第一解剖学教室教授 松村讓兒
 人体解剖が、医・歯学およびコメディカル教育における必須科目として認められるようになったのは、実は比較的最近のことです。以前はといえば、人体解剖はまっとうな人間のすることではなく、医療の分野でも学問としての位置は低くみなされていました。医学の先端を歩んできたヨーロッパの医学校においてさえ、実際に解剖するのは下働きの人たちであり、解剖学の教授といえども実際に人体解剖をすることなどありませんでした。もちろん、世間一般の常識も「遺体を切り刻む行為は許されない」というものであり、これは世界中どこでもごく普通の倫理観でした。
 
 この点で言えば、現在の社会常識もそう大きく変わっている訳ではありません。「遺体を切り刻む行為は許されない」という倫理観は今でも普通の感覚ですし、法律上でも「死体損壊」という罪に問われる行為です。ですから「遺体を切り刻む」ことで教育する人体解剖は、社会常識から言っても一般の教科とは異質のものであり、ある意味では異端とも言えます。そして、たとえ教育のためとはいえ、切り刻まれるために自分の遺体を提供することは、一般常識を超越した行為に違いありません。
 
 ところが、このような社会常識や倫理観が生きている一方で、人体解剖は医学を学ぶ者にとってかけがえのない、貴重な機会であると認識されるようになりました。これは、一六世紀のヨーロッパから沸き起こったもので、わが国でも、江戸時代にもたらされた西洋医学とともにその重要性が広く理解されるようになりました。そして、今や人体解剖を体験していない医師や歯科医師など考えられない、といわれるまで社会の理解じたいが変わってきています。
 
 このような独特の教育が社会に根づくことができた理由として、社会と医療分野との間に信頼関係が育まれたことがあげられます。わが国に人体解剖がもたらされ、医学教育に導入されて以来、長い時間をかけて、社会は「医学を学び医療を施す者にとって人体解剖は必須である」ことを認知し、医療分野は「人体解剖は医療に携わる者の精神的根幹をなす」ことを実感したからこその成果です。そして、このように人体解剖が社会に認知された背景には、約五十年前に始まった「献体運動」が果たした大きな役割があります。わが国で始まり育った「献体」は、それじたいは「無条件・無報酬」というボランティアですが、実は「社会と、医療分野とのあいだの信頼関係」という大きな前提がなければ実現できなかった偉業なのです。故人の遺体を大切にするわが国で、ともすれば「死体損壊」ともとられかねない人体解剖を支えてきたのは、この信頼関係に他ならないのです。
 
 さて、このように認知された人体解剖ですが、すべてが順調に進んできた訳ではありません。実は、かなり以前から「肉眼解剖学にノイエス(新しい発見)なし」と言われつづけてきました。昨今は分子生物学や遺伝子医学が進み、人体や病気さえも分子レベルや遺伝子レベルで解明されてきています。その点でいえば、自分の目が頼りの肉眼解剖学に対して「何を今さら調べるのか」と言いたくなるのかもしれません。でも、遺伝子が解明されたら人体のことはすべてわかるのでしょうか。現代の進んだ医学では肉眼解剖学などすでに不要となったのでしょうか。もし、そう信じているとしたら、それは「自然を甘く見ている者の奢り」ではないでしょうか。
 
 もちろん、人体解剖は基礎医学の一教科にすぎませんが、他の教科にはない大きな特色があります。実は、医歯系・医療系の学生にとって、人体解剖は人体に直接触れる初めての実習です。つまり、人体から直接情報を得る方法を学ぶ最初の機会なのです。医師や歯科医師あるいはコメディカルの人にとって、患者さんからの直接情報を取り込み、判断することはきわめて重要ですが、人体解剖には、その最初のトレーニングとしての役割もあるのです。しかも、相手は「物言わぬ遺体」です。遺体と直接向き合って情報を得るという行為は、素直な気持ちで自然に向き合うことに他なりません。ノイエスとは、素直な気持ちに対する自然からの贈り物であり、人体解剖においても医療の現場においてもその意味はまったく変わらないからです。
 
 何十年も解剖に携わっている教員でさえ、毎年の人体解剖では新しい発見つまりノイエスがあります。ましてや、学生たちが初めての人体解剖で得るものは、想像をはるかに超えたノイエスであるに違いありません。現在、わが国では、年に一万人ほどの学生が人体解剖を体験し、医師や歯科医師として社会へと巣立っていますが、彼らは人体解剖からたくさんのノイエスを見出しているはずです。そして、人体解剖の背景にある「社会と医療分野とのあいだの信頼関係」こそ、医療にとってもっとも重要なことであると学び取ってくれていると信じています。







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