日本財団 図書館


解剖学への招待
私と献体−会員の手記 第24集
解剖学実習を終えて 第26集
平成16年度
(財)日本篤志献体協会
 
献体の意味
 人間の生命には限りがありますし、寿命がきたりあるいは病気になれば、わたくしたちは必ず医師にかかります。その時、わたくしたちは医師にこの体のすべてをあずけることになります。
 わたくしたちの体のすべてを知るために医学や歯学の教育を受ける学生たちにとって人体を解剖する実習は絶対に必要です。しかし、この大切な解剖学実習に欠かすことの出来ない解剖体は決して充分ではありません。自分の死後の遺体を医学や歯学の大学へ解剖学教育や研究のために寄贈する献体は、このような意味から、医学、歯学のため、そして良い医師を作り出すためにまことに尊い意義あることであります。
 しかも、献体は自分の意志で、無償で行うことでありますから、社会にとってもこれ以上の善意はありません。
 
■会長挨拶
小宇宙への誘い(いざない)―新しいルネッサンス
篤志解剖全国連合会会長 熊木克治
「献体は私もできるボランティア迷わず決めて気持すっきり」
 これは林あや子さん(80歳)が「老楽笑歌」という楽しい笑歌をまとめて出版された本の中の歌です。開き直って自分の老後を明るく笑い飛ばして、元気はつらつと生きておられる人生の達人のお一人です。他にも2、3紹介しますと、「あの人もこの人もみな病院へ通えるうちは幸せかもね」「赤ちゃんはねんねんころりねんころり老後の仕合わせぴんぴんころり」とあり、林さんもこの歌でもろもろのことが吹っ切れたのかもしれません。献体の登録を済ませるとホッとして肩の荷が下りたように気持が楽になり、体も健康になるという話はアチコチで聞かれます。
健康番組、科学特集を通して茶の間で解説
 最近はテレビ、雑誌などで「健康」の話題は多く、人々の興味の中心であり、社会の高齢化に伴って一層熱が高まっているといえます。昨今人気の高まっている有名なお米を入れたソフトダンベル、大腰筋に注目、老化防止に中高年からの楽々筋トレ(筑波大)などからリハビリに生かす操体法(新潟)まで枚挙に暇がないくらいです。
 1990年代(平成年代)になってNHKサイエンススペシャル番組「驚異の小宇宙」人体シリーズ、「生命40億年はるかな旅」など次々と生命の起源や人体の構造や機能を平易に解説した番組が、一般の目と耳に触れる機会がどんどん増えています。この啓蒙活動は小中学校の理科室で見た汚い、恐ろしい模型や標本という単なる猟奇的興味本位から脱却して、生命、人体を真に科学的に見ることへの進歩に大いに寄与しています。
 かつてヨーロッパで駅ビルの中の書店の店頭に解剖書や図譜が平積みされているのを見つけて、医学専門書がこんな所にと驚かされた経験があります。ルネッサンスの絵画の中にもその人物画の背景として、しばしば部屋の片隅に髑髏が置いてあるという作品にもお目にかかります。これも恐い物見たさの好奇心ではなく、正しく科学しよう、人体を知ろうというルネッサンスのエネルギーの表れかと推測したりもします。
人体標本が公の場に登場
 1995年(平成7年)にさかのぼりますが、日本解剖学会の100周年記念事業のひとつとして、国立科学博物館で特別展「人体の世界」を催しました。この時プラスティネーションという新しい技術(ドイツのハーゲンス博士によって開発された)で加工された美しい解剖標本が紹介されました。人体標本を公にすること自体にどんな反響があるか、不安と心配がありました。しかし結果は46万人もの入場者で大好評でした。
 その後この方法は世界中に普及し、先年はロンドンでは公開解剖で物議をかもし出したりもしています。日本でも、再び最近「人体の不思議展」という新企画として、あちこちの主要都市で次々と開催され話題にもなっています。新しい東京のデートスポットになっているみたいという心配の声も聞かれますが、総じて入場者の閲覧態度は真剣そのもので、標本を食い入るように観察しています。これらの標本は中国で作られたものとのことで、繰り返し「献体によるもの」と説明している点がなんとなく耳に残り気にならないでもありませんでした。
インフォームドコンセントで患者さんも知識が必要
 このように自ら求めて人体を勉強したり探検したりする機会がなくとも、逆にいやが応でも自分で人体のこと医学医療のことを知らねばならぬ、学ばねばならぬ立場になることも経験します。すなわちチーム医療の一端としても、情報公開の流れの中においてもインフォームドコンセントが主張されるようになりました。外国の医療ドラマ番組「ER」の場面や「ブラックジャックによろしく」の中の研修医の例を思い出すまでもなく、いたる所に医者による病気の告知と治療方針の説明、患者による選択や受容が求められるようになってきました。これらが十分に期待通りに効果を発揮するには、医者や患者さんの十分な知識と冷静な判断力が必要となります。医者の専門的説明はもう専門家だけのものではなく、平易に一般にわかるように説明できねばなりません。一般の人々も専門的な内容が理解できるように、医学や解剖に興味を持って勉強することが必要になってきます。
解剖学実習のセミナー、コメディカルにおける解剖学
 一方、医療関係者いわゆるコメディカルにおける人体解剖学はと振り返ると、看護学校の講義は解剖学教室の若手のスタッフや病院の外科の先生がしたり、解剖学教室との縁で解剖学実習や標本の見学をする程度でお茶を濁すことが多かった。1970年(昭和45年)代に入って理学療法、作業療法の分野が発達して学校が設置されると、徐々にもう少し充実した、時間をかけて手で触れてみる実習見学の要望が広がり始めました。
 現在多くの大学で多様な解剖学実習のセミナーや合宿が企画されています。1981年(昭和56年)、経験の浅い若い人を主眼にしてスタートした名古屋大学医学部のトレーニングセミナーは一番の歴史があり23回(2003年)を数えます。若手の解剖学者はもちろんのこと、コメディカルの人々も多く参加するもの、学内の他学部出身者の研修、マイクロサージャリーなど臨床の研修を中心としたもの、さらには医学・歯学の学生の参加が多いものまで、各種多様の解剖学実習のセミナー、合宿が多くの大学で企画されるようになりました。
 またコメディカルにおける解剖学についての検討も熱心に進められるようになりました。第1回(1993年、平成5年)パラメディカル懇談会が開かれてから10年が経過します。毎年の解剖学会の時期に合わせての討論会が重さねられる一方、解剖学会にコメディカル教育委員会が設置されて調査、研究も続けられました。最近では、第1回公開シンポジウム(2000年)、第2回公開シンポジウム(2003年)が全連と協会の主催、解剖学会の後援で企画されて大きな反響を呼んでいます。
視点をかえてみる、新ルネッサンス
 このように比較概観すると、「解剖学」は中心的な医学、医療の専門家だけのものではなく、医療の関係者としてのコメディカルの分野で、さらには一般の人たちも人体解剖に何か魅力を感じ、興味が高まりつつあるように見えます。いろいろの形での解剖学実習というかけがえのない貴重な経験を通して、新しい世界を開いていくものになるかもしれません。人体解剖は一般に受け入れられる存在になりつつあるといえるかもしれません。
 人体は小宇宙に例えられますが、本物の宇宙を考える時、地球を宇宙からまるごと見直し、視点をかえてみることで新しい発見があることに驚かされます。古くはウェゲナー(1921年)が大陸の形や古生物の化石の分布に基づいて考えた大陸移動説(パンゲア大陸)は、一時代すたれたかに見えたが、地磁気の研究によって、1950年代になって再びよみがえったり、大陸をジグソーパズルのように動かすことで推測できることなど大変新鮮です。解剖学も専門家の特権であったり、専門家だけが理解できるものという垣根が取り払われ、新ルネッサンスを迎えるといえるかもしれません。
 しかし同時に、全ての人に解剖の体験が必要であるということではありません。たまたま自然の機会や正しい動機や必要性が巡り会った時には積極的に体験することをお勧めしたいということです。献体登録した人が見学する権利があるというのとも違います。もし解剖学が人々にとってどんどん身近になると、人の好みを顔やスタイルではなく、内臓や遺伝子で決めるようになるかもしれないと想像すると、楽しさを通り越して空恐ろしくさえ感じます。
時間をかけて「解剖」の広がりを
 このような一般への「解剖」の広がりには時間をかけた着実な活動が必要です。
 『解体新書』(1774年、安永3年)を発表した杉田玄白はその回顧録『蘭学事始』(1815年、文化12年)の中で「一滴の油これを広き池水の内に点ずれば散って満池に及ぶとや」という一節で、40年かかって『解体新書』が広く世の中に普及したことを大変喜び感謝しています。
 献体運動も、昭和30年(1955年)に東大・藤田恒太郎教授の指導で倉屋利一氏が献体の運動としての活動を起こしました。「解剖体不足」が大きなきっかけとしてスタートした献体運動の背景や状況は「医学教育に参加」に変化し、今では「生と死を考える」よすがのひとつとして発展しています。途中昭和58年(1983年)には、献体法の成立へ向けての大事業もあり、半世紀に及ぶ地道な努力の積み重さねによって支えられている精神の反映といえます。
「本物」を伝えることの重要性と難しさ
 医・歯学部の学生にとって、解剖学実習の目標は「その構造を正しく理解して(科学して)一般の人々に平易な言葉でその特徴を説明できる」ことといえます。「見たつもり、わかったつもり」から脱して本当に理解した(見た、わかった)といえるためには、言葉のまる暗記ではない、そのノミナアナトミカ(解剖学名)の意味する所、意義や形態形成などの原則を理解することが重要です。
 一方テレビ、雑誌などの啓蒙記事の中にも「ごまかし」や「間違い」を発見することがあります。「一般の人々だからこれくらいでよい」ということはあるのでしょうか。コメディカルで解剖したら人体が簡単になるのならば、この程度でよいと妥協できるのですが。平易ないい方で「本物」を伝えることこそが、専門家の責任であり、一般の人たちに科学の精神を広げ、理解し合えるための、避けて通れない重要な点であると思います。
(新潟大学医学部解剖学教授)







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