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資料〜基調講演レジュメ(3)
《重度身体障害者グループホーム制度の創設に向けて》
1. グループホームのあゆみ
 私たちは、1970年代半ばから障害者が地域で当たり前に生活していく取り組みを進めてきました。
 それには学生や社会人、福祉関係者など様々な人たちが協力してくれました。
 どんなに重度な障害者であっても、一人の人間として当たり前に地域の中で生活することを目指して活動してきました。
 そうした活動をもとに、1980年代に入って、それまで個別で自立していた障害者メンバーが後にグループホームとして利用することになる建物に住み込み、グループホームの準備をしてきました。続いて、2名の障害者がグループホームとその近くのアパートで生活を始め、グループホームを中心に、3人の障害者が集まることとなりました。
 自立ホームについては、1986年に作業所を設立するときに「みんなで自立を目指そう」と取り組み始めました。それまでは、自立障害者はほんのひとにぎりで、多くの在宅メンバーにとっては、自立はあこがれではあり、非常に遠いものでした。しかし、それぞれの家族に病気などが相次ぎ、たくさんの緊急の取り組みの中から、自立ホームという形態を選び取った訳です。
 当時は他の障害者団体の仲間からも、「小さな施設ではないか」という批判をたくさんいただきました。私たちは、みんなで何度も何度も話し合いを重ね、自立ホームの意味を整理していきました。
 ひとつは、とにかくメンバーの誰一人施設に入らずにすむ取り組みをしようと言うこと。
 そして、差別によって奪われてきたいろいろな経験を取り戻し、親に頼らない生活の機会と力を自分のものにしていこうと言うこと。また、この取り組みを通じて、障害の重い人もみんなが地域で暮らせるということを社会的に明らかにし、必要な支援や制度を求め、訴えていくと言うこと。
 このような想いで自前で始めた取り組みをもとに、粘り強く訴え、先ず堺市が独自の身体障害者のグループホーム制度を発足、これを受けて大阪府も身体障害者グループホームを制度化することとなりました。
 1987年には東京都や神奈川県で行われているグループホームやケア付き住宅を実際に見学に行きました。集団的な共同の力で、多くの重度障害者の自立生活を可能になることを改めて勉強しました。
 1988年いよいよ本格的に2か所、在宅から自立した2名を加え、3名づつ計6名のグループホームを立ち上げました。この時点では、まったくの「自前」で、行政からの援助は出ていませんでした。1989年12月大阪府は「大阪府身体障害者地域生活援助事業」を策定、グループホームの運営資金の一部を行政の保障でまかなうこととなりました。
 同時にこの頃から、在宅メンバーの自立取り組みを本格的に始めました。10年以上かけて取り組む中で、入居者も倍以上に増え、建物もグループホーム向けの物件に移ったりしてきました。ここまでくるのには、本当にたくさんの人に協力をいただき、私たち障害者も毎週駅前で街頭カンパをするなど頑張って資金づくりをしてきました。
 しかし、何と言っても自立を広げる原動力になったのは、同じ仲間のグループホームでの生活を目の当たりにして、「自分にもあんな形でなら自立ができるかもしれない」「親が元気なうちに、グループホームに入ったら、週末は実家に帰ってリラックスして、またグループホームに戻る、そんな風にゆっくり自立生活に慣れていけるかもしれない」などと思えたこと。またグループホーム入居者の「自分ができているんだから、ほかの仲間にもきっとできるはず!」「他の在宅メンバーの自立生活を支えたい!」という気持ちがひとつになったことが大きいと思います。
 実際グループホームを始めて、入居者が毎日毎日商店街に夕食の買い物に行き、銭湯に行く中で(当時グループホームにお風呂がなかった)地域の人たちとコミュニケーションがとれるようになり、最初は車いすを押している介護者に話しかけていた人たちも、今では障害者(入居者)の方を見て、「今日は何にするの?」「毎日暑いねー」と話しかけてくれるようになりました。
 今では車いすに乗った障害者は珍しいものではありません。どこの街でも、こんな光景が当たり前のものとなるようにしていきたいと心から願っています。
 
2. 概要
 ここではグループホームを自立ホームとよんでいる。
(1)自立ホーム・クローバー
(1)建物
・3階建て(1階は作業所と風呂)
・1994年建設
(2)入居者
・男性3名〜脳性麻痺
・自立歴15年、9年、1年いろいろ
・もともとは夫婦を含む6人でスタートしたが、それぞれひとり暮らしなどの展開へ
 
(2)自立ホーム かおりハウス
後ページに記載
(3)介護体制
・世話人
・食事作りや泊まりの介護者
(学生・労働者などの有償ボランティア)
・24時間対応
・ヘルパー
・作業所の担当スタッフも自立ホームの夜勤を担っている
・制度的には、堺市の身体障害者の生活ホーム制度、生活保護の介護料、及び支援費による派遣
・身体介護の面では、夜間を含めて一人の障害者に一人ないしは二人の介護者が必要な入居者ばかりなので、そのやりくりには大変苦労している。(また当然のことながら、介護者の待機スペースや寝具なども必要になってくる)
 
3. 取り組み
(1)自活訓練
・自立ホームの最初の入居者の時は、集団で何回かの合宿程度しか取り組めず、入居した当初は大変苦労しました。
 また、在宅のメンバーが家族の病気の時に作業所で大変な思いをして緊急の宿泊に取り組んだ経験から「安心して泊まれるところを作りたい」「ゆっくりのペースで自立に向けて取り組みたい」という思いで始めました。
 以降入居したメンバーは、月1回というペースから始めて、徐々に泊まる回数や自分の介護をできる人を増やしていって、何年がかりで自立を果たしてきています。
・自立ホームを利用して取り組むことによって、みんなで一緒にご飯を食べたりして、アットホームな雰囲気で取り組めるのが利点です。
・堺市には現在この取り組みを支える制度がなく、広く一般の障害者に提供できる取り組みにしていきたいが果たせていません。
 
(2)入居者自身の生活力を高めるプログラム
・献立づくりや調理実習
・介護マニュアルづくり
・健康管理やかかりつけの医者を作る取り組み
・福祉機器の利用
・障害者同士の生活交流など
・自立ホームを最初に作った頃には、複数の障害者がいっせいに短い助走期間で自立してきたこともあって、作業所のプログラムの中でも、このような生活に関する取り組みをたくさん取り入れて、みんなで力をいれてきた。最近は、入居者会議やホーム毎の会議を定期的にもって、その中で話し合ったり、自立生活センターのピアカウンセリングや個別のプログラムなどを活用しています。
 
(3)介護者研修・育成
 有償のボランティアやヘルパーなど、自立ホームで介護をする人には、一人ひとりの障害者の介護の方法やコミュニケーションのとり方、その障害者の人となり等を理解して関わってもらえるように、同行による研修や集団での介護者研修会や学習会などの場を作っています。
 
(4)ホームの行事〜入居者同士、介護者との交流を兼ねて
 かおりハウスは、新しい入居者がだいぶホームに慣れてきたこともあって、来年の秋には旅行にいこうと言うことになり、みんなでお金を集めています。
 
(5)障害者から障害者へ、自立の輪を広げる
 この18年ぐらいの間に、20人の障害者が自立ホームを拠点に取り組みを行ってきたことになります。この中で、何より実際にたくさんの障害者が自分らしい暮らしを作っているという事実に続く障害者が励まされ「自分もやってみよう」と思えたと言うことが、大きいと思います。いろんな場面で、「先輩」障害者からちょっとした励ましや具体的なアドバイスを受けられると言うことも、派手ではないけれどとても大きいと思います。そして、「先輩」障害者の方も、あとから入居してくるメンバーの役に立てると言うことで、自分自身の輝きを増していかれるということも「すごい」と思います。グループホームという暮らし方を通じて、障害者同士で力を高めあっています。
 
4. 課題
・自立ホームをもっと安心して住めるところにしたい。
・介護と合わせて、他の介護者の研修や入居者の色々な取り組みの協力など、多様な役割を持つ、世話人については、最低2人配置できるような制度にしてほしい。
・現状では有償ボランティアの確保や調整に多大なエネルギーが必要。また、週末の介護が非常に不安定、支援費制度を大幅に拡充してほしい。
・作業所の方も「デイ活動」という形で、地域の障害者に利用してもらえる社会資源という方向を目指しています。
 自立ホームも色々な人が体験などで利用できるように、自活訓練の仕組みを社会的に整備してほしい。
 
〜自立生活と家族との関係について〜(自立生活を始めて)
 私が親元を離れて、グループホームで自立生活を始めるようになってからもうすぐ3年が経とうとしています。家を離れるときは、家族がかなり反対するかと心配しましたが、グループホームの準備を始めていた1年前頃から「私もそこで自立するからね」と言い続ける一方で「あの人もこの人もこんな風に自立している」と身近な人の例を折に触れ話しているうちに「障害者が自立するのは、そんなに珍しいことなんだなー」と思うようになってくれたのと、そして何より「グループホームだったら仲間がいるから食事も何か危険なことがあっても安心」という理由からぜんぜん反対されませんでした。
 自立した当初は、生活すること自体に大変なエネルギーが必要でした。入居者同士で役割分担を決めること、自分に合わせた生活パターンを作っていくこと、入れ替わり立ち替わりの介護者に、生活介護してもらうこと等々、とても疲れる毎日でした。
 そして、もっと自分自身でしんどくさせていたこととして、家に帰ったときに(妹が休みの時など月に1〜2回は実家に帰ってくる)そうしたしんどいことを言わないようにしていたことです。せっかく親から独立したのだからと家に帰ることも親から見れば、在宅の時とそんなに変わらないと思われるのが嫌でしたし、ましてやグループホームでのしんどいことを言って心配されて「そんなんやったら家におり」などと言われるのが恐かったからです。
 今思うと、変な意地をはっていたなあという気がしますが、そこまでせっぱつまった気構えにならないと、親から離れて独立した生活ができないのが重度障害者の現状だとも言えます。
 それでも一年も経つと生活パターンも安定してきて、家のこと(家事)というのは奥が深くて色々あるものだと実感するようになりました。例えば、季節毎の衣替え家具や電化製品の手入れと片づけ、台所を綺麗に使う工夫、栄養や好みを考えながらメニューをたてることなど。やればやるほど後から後から出てくるみたいです。家にいた頃は、母親を見て何であんなに毎日バタバタしているのだろうと不思議でしたが、それくらいしないとできないし、そのことが自分で分かってきたのが嬉しい気がしました。
 今は、ようやく素直な気持ちでグループホームでのしんどいことも話せるようになり、母親は料理のこと、衣服の整理のことなど「主婦」の会話をしています。自分自身のグループホームでの生活が安定してきたことと、それを家族がある程度評価してくれているからだと思います。親の方も「あんたは自分で生活しているから私たちの何かあっても安心や」と言ってくれます。この3年足らずの間、四苦八苦しながらやってきたことが、少しずつでも家族からも認められてきたと言えます。
 今改めて思うこととしては、これから自立生活を取り組む人にとって、自立したら実家から完全に離れる、または離れてしまわなければならないということではなく、定期的に家族のもとに帰って、精神的にリラックスできる余裕を持つことが必要だと思います。
 そして、そうした余裕を持った自立取り組みを実践していける場として、グループホームがもっとたくさんあれば、もっともっと多くの障害者の仲間が自立を身近なものにしていけるし、その家族も安心してその人の自立を見守ることができるのではないでしょうか。
 
 
(1)入所施設と地域生活支援−障害者福祉の流れ−
・我が国の障害者プラン
障害者基本計画、新障害者プラン(重点施策実施5か年計画)
平成14年12月
「入所施設の数値目標をおかない」
・支援費制度の導入
15年4月
「措置制度から利用契約制度へ」(統合問題)
・「脱施設化、(宮城県)施設解体宣言」=「地域生活支援宣言」、地域生活移行プラン
 
「地域自立生活支援」を目指す
・「地域自立生活支援」と「在宅生活支援」とは違う。
・これまで、必要な支援について家族に過重な負担−家族が支援できなくなれば施設に入所・保護するという政策→ここでは在宅生活と施設生活がいわばコインの裏表のように切り離すことのできない−対のものとして存在していました。
 「在宅生活支援」は、これまですべて家族に押しつけられてきた介護の一部を肩代わりするというイメージを払拭できないだけでなく、家の中でのサービスやデイサービスを超えて、教育、就労、余暇を含めて、社会で活動、活躍することを支援するという、社会生活支援のイメージに欠けます。
・「地域自立生活支援」は、在宅生活支援と施設生活支援の総和(足算)ではない。
「地域自立生活支援」とは、「本人が希望する本人らしい地域生活に必要な支援」
「支援を使って、地域社会で様々な活動する社会的自立」→生活の広がりの支援
・「自立生活」とは、自分でやりにくい、分かりづらい時などに、仲間や支援者等の支援を活かして、自分で選んだ自分らしいまちでの暮らしを生きること。
 それは、自分でできなかったり、分からないことを問題にしていない。「やりにくい、分かりにくい関係性を問題としている」ことに注目。
 
では、地域自立生活支援とは
・自分たちのまちで、自分らしく暮らすために、さまざまな支援を必要とする人と人が、共に作り出す支援を地域自立生活支援ということ。
・障害や傷つきやすさの程度にかかわらず、自分らしく生きるための支援を地域に求め、働きかける人は、それにふさわしい支援を共に創造する人なのです。
 
(2)グループホームの展開
 選択肢としてのグループホームの展開
 グループホームは、障害のある人たちの「わたしたちもまちの中で生活したい」という声から生まれてきました。援助を必要とする人たちが、自分が住みたいと思っている地域で、親元から離れて独立して自分の暮らしを実現するところです。グループホームとは暮らしの場であり、入居者一人ひとりにとっての自分の家なのです。
 
・4人〜5人の規模が多く、世話人さんがいて、入居者が必要とすることを援助(食事の用意、掃除洗濯などの家事、入浴やトイレの介助等)しています。
・居室は個室が原則。家賃や食材料費、光熱水費等、共益費を負担。
・普通の暮らしの場であり、障害者を管理する場でも、生活訓練の場でもない。
・多機能型知的障害者グループホームの整備、共生型グループホームの展開
(課題)重度障害者への対応、世話人の力量・処遇・人材確保
 
 グループホームとは、地域社会の中にある住宅(アパート等)において数人の知的障害者が一定の経済的負担を負って共同生活する形態であって、同居あるいは近隣に居住している専任の世話人により日常的生活援助が行われるものです。
(1)基本的に知的障害者は成人しても、可能であれば親元で暮らすのが望ましい、という考え方は前提としていないこと。従って親元を離れての生活を希望する場合には、グループホームの入居対象になりうる。
(2)グループホームは、地域社会で選択的に生きる知的障害者の生活の拠点であること。
(3)従って、グループホームは施設を単に小型にしたというものではないこと。
(4)グループホームへの入居及びそこで受ける世話は、本人と運営主体との契約であって、福祉の措置もしくはそれに類するものではないこと。
(5)グループホームにおける入居者の日常生活は、指導・訓練的なものが最小限であり、管理性が排除されたものであること。
(6)グループホームにおける入居者の生活は、基本的に個人生活であり、本人の希望により契約が継続する限り続くものである。その意味で仮の宿ではないことを関係者は銘記し、一市民の地域生活にふさわしくプライバシーが確保され、市民としてすべての権利が保障されるよう最大の配慮をしなければならない。
 
(3)地域住民の共感力(共に生きる)
・地域支援がなければ、障害者を追いつめ、支援を拒む「まち」のまま。
・地域(共感)支援とは、「障害者を閉じこめたり、追いやる地域ではなく、地域で普通に生きる彼ら彼女らの生き方を共感的に支えることができる地域づくりを支援すること」であり、「地域住民のそれぞれが、お互いの障害や弱さを受け入れ、認めあい、またお互いの支援の必要性と可能性を理解し、共感しあえる地域づくりの支援」を意味します。
・最重度障害者市民を、哀れみからではなく、同じ市民生活を生きる市民として受け入れようとすることは、地域住民の全体としての共感力を高めます。
 
(4)結局、地域自立生活支援の展開・充実が重要
・脱施設化、地域生活移行は、大きな流れとはいえ、地域自立生活の展望が不可欠。
・結局、地域生活支援がなければ、また家族への介護の押しつけと究極の施設頼み
・地域(主体・共感・創造)支援がなければ、障害者を追いつめ、支援を拒む「まち」のまま。
・「支援者や家族が、徹底して障害者一人ひとりの主体的な生き方や、本人が主人公の人生ドラマを構築することを支援することによる、自立生活主体の確立」が重要
・公民館の集いや地域の運動会や夏祭りなどに「お客さん」としてではなく、仲間や住民として参加・参画するためには、地域住民の巻き込みと協働の力(エンパワーメント)なくしては成立しない。
・そしてそのことが、障害のみならず、障害以外のことに困難を抱えるすべての市民や、これから困難を抱えるかもしれない市民にとって、しのぎやすい、生きやすい地域を紡ぎだすはず。
・市のまちづくり→「障害者プラン」、「地域福祉計画」への反映、共に創りあげる。







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