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海の子ども文学賞部門佳作受賞作品
いつか、未来の海で
新垣 勤子(あらかき・いそこ)
本名=同じ。一九七一年、沖縄県中頭郡勝連町生まれ。都留文科大学文学部国文学科卒業。教員。日本児童文学者協会会員。沖縄俳句研究会会員。一九九八年、第七回ふくふく童話大賞受賞。宮古島及び沖縄市勤務を経て、現在沖縄県名護市在住。
 
「父ちゃん、船、とめて」
「何か」
「ジャン、ジャンだ。うり、ジャンヌシマのところ」
 夕焼けと夕やみがとけあう、赤逢黒逢(あこうくろう)の時刻(とき)。翔(しょう)が父ちゃんの漁の手伝いをしたかえりだった。
 小学校の運動場ほどの小さな無人島のちかくで、なにか丸いものが水面にかおを出しておよいでいた。
 父ちゃんは、目をほそめて言った。
「ちがう。あれはジャンの泳ぎ方じゃない。人間だ」
 翔はがっかりした。やっぱり、ジャンに会うのはむずかしい。
 ジャンというのは、翔の村のことばでジュゴンのことだ。人間のようなまるいあたまに、魚のはらとおびれをもっている。伝説の人魚に見えることもある。
 昔はよく翔の村の海で見ることができた。とくにジャンヌシマのまわりには、えさのジャングサがたくさんはえている。そこにもぐれば、子づれのジャンにあえることもあった。
 ジャンは海のかなたのニライカナイ(ごくらく)からやってくると聞いている。
 美しいイノー(あさせ)にあらわれ、澄んだ心をもつ者にニライカナイヘの道をおしえてくれる・・・。
 代々漁師のかしらをつとめた翔のおじいやひいおじいは、ジャンといっしょにリーフのわれめをぬけて外海まで泳いで行ったことがあるそうだ。父ちゃんも翔と同じくらいの年のころ、漁をならっているときにジャンにであったことがある。
 しかし、翔は一度も見たことがない。それどころかさいきんは、だれもジャンを見かけたことがない。
 父ちゃんがよく言っている。
(村の海がはげている)
 山がたくさんきりひらかれて、赤土が海にながれこんだ。赤土のつもった海のそこで、たくさんのサンゴがちっそくして死んだ。
 はいいろの海のそこ。魚もへってしまった。
 翔はかなしげに、ぼんやりと海を見た。
 しかし、きゅっとくちびるをひきしめてかおをあげた。
(あきらめたらだめだ。いつかぜったいにジャンにあうんだ)
 それからあたまをあげて父ちゃんに言った。
「あの人、きっとジャンをさがしにいった帰りだ。今からじゃ浜につくまえに夜になってしまう。乗せてあげよう」
 ブルンッ、ブルンッと、大きなエンジン音をたてて、小さな漁船はとまった。
「おーい、船にのれ」
 翔はりょううでを大きくふりながらさけんだ。
 そいつはこちらにむかっておよいできた。
「アメリカーだ」
 夕日をうけてきらきらと光る金髪をみて、翔はつぶやいた。
 翔はそいつの手をひっぱって船にのせてやった。
「サンキュー」
 ひえた体と声をふるわせて、金髪の少年は船のデッキにすわった。中学生ぐらいに見えるけれど、アメリカ人は大人っぽいものだから、あんがい翔と同じ六年生ぐらいかもしれない。
 体はほそいけれど、手足の筋肉はひきしまっている。泳ぎはとくいなのだろう。
「アメリカーの童(わらび)か。海のこともよくわからないくせに無理しから」
 父ちゃんがそっけなく言った。
 父ちゃんはこのあたりで見かけるアメリカ人をきらっている。
 漁港のすぐそばには金網がはられていて、そのむこうは米軍基地だ。米軍はこの村の一番きれいな浜辺をとりあげ、アメリカ人以外を立ち入り禁止にした。
 とくにさいきんは、遠くの国でおきている戦争のせいで基地のけいびがきびしい。金網のすぐそばで、銃をもった米兵が目を光らせている。
 その上、将来は沖の方に大きな海上基地を造ろうという計画もある。
 村の海はとことんつぶされていく・・・。
 この村の海をなくしたくない。とりかえしたい。でもどうすればいいのか、わからない。
 父ちゃんはだまって船のかじをとった。
 翔もじっとだまっていた。
 よくじつの日曜日、翔は漁港のさんばしにこしかけて、つりをしていた。
 すぐわきに父ちゃんの船がとまっている。
 今日父ちゃんは漁にでなかった。
 漁だけでは生活できなくなっている。父ちゃんは、マツクイムシにやられた松の木を、ばっさいする仕事とかけもちをしている。
 翔は父ちゃんの手伝いがある日もない日も、天気がいいときにはいつも海にでかける。
 さんばしや砂浜にこしかけてどこまでも青い海を見ていると、いつも心がおちついた。
 とおあさの日にはリーフまで泳いでゆき、海にもぐる。わずかにのこされたサンゴのあいまは、色とりどりの魚たちの楽園だ。
 父ちゃんの漁の手伝いをするときには、ゆれる船のデッキにふんばって立つ。自分も男らしい漁師の仲間入りをしているようでほこらしかった。
 ふと、翔のすぐそばで、バサッという音がした。ふりむくと、昨日のアメリカ人の少年が立っていた。足もとには英語のビニールぶくろにつまった、チョコレートやキャンディーがおかれている。
「イエスタデイ、サンキュー」
 金髪の青い目の少年は、翔をじっと見つめてた。お菓子はお礼のつもりなのだろう。
 翔は小さくうなずくと、ぷいとむきなおった。アメリカーにしっぽをふるな、と父ちゃんに言われている。
(昨日はこまっている人を助けただけだ。お礼なんかいらない)
 少年は翔のそばにこしかけた。
(あっちへ行け)
 と言いたくても、英語でどう言えばいいのか分からない。しかたなくだまって、つりをつづけた。
 かぜのおだやかな日は、港もそこが見えるほどとうめいだ。青い小さなルリスズメや、黄色と黒のチョウチョウウオが、さんばしの下の方にはえた藻草をつついていた。
 翔は少年のかおを、ちらりと見た。
 金髪の少年は楽しそうに、海のそこをみつめている。ときおり沖の方をぼんやりと見つめては、気持ちよさそうに目をとじたりした。
(こいつも海が好きなんか)
 とつぜん、つりざおがぐんっとまがった。
(ひいたっ。おおきいぞ)
 翔はひっしにリールをまこうとするが、魚の力がものすごく強い。手からつりざおがぬけおちようとした。
 そのとき少年の手が、つりざおをさっとつかんだ。かおを赤くして力をこめ、翔とともにけんめいにさおをにぎっている。
 翔はどうにか糸をまきおえ、大きな青い魚をつり上げた。翔のすねほどもあるアオブダイ。こんな大きなえものをつりあげたのは初めてだ。
 翔はさんばしの上でアオブダイをさばいた。しりから頭にむかってナイフをあて、うろこをこそぎおとした。はらをさっと切りひらいてわたを出し、しおみずではらの中をあらった。
 金髪の少年は魚をさばく様子を、きょうみぶかそうに見つめていた。その目は海の色をうつしとったように青くすみきっていた。
(こいつ、あんがいいいやつかもしれない)
 翔は思った。
 魚をさばきおえると、少年がチョコレートをさしだした。翔はうけとって食べた。
 小さなクーラーボックスは、アオブダイをいれるといっぱいになった。翔はつりざおをたたんで、クーラーボックスとともに父ちゃんの船の中においた。
 翔は、少年にもっとたくさんのきれいな魚を見せてやりたくなった。
 翔はザブンと音をたてて、海にとびこんだ。
「来い」
 少年にむかっててまねきをした。
 少年もえがおで海にとびこんだ。そして自分のむねをゆびさして言った。
「マイケル」
 翔も自分をゆびさして、えがおでこたえた。
「翔」
 翔とマイケルはいっしょにおよぎだした。
 海がふかくなってくると、エメラルドグリーンの海はあわいコバルトブルーにかわった。
 翔は白波のたっているリーフをめざしておよいだ。そのむこうの外海は、ふかい紺色だ。
 リーフにたどりつくと、二人はあたまをさかさにしてもぐった。今日は大潮だ。しおがじゅうぶんにひいている。少しもぐればすぐに海のそこが見わたせる。
 翔は、わずかにのこされたサンゴのむれのありかを知っている。そこだけはしおの流れがちがっていて赤土のよごれをよせつけない。
 まるくこんもりとしたテーブルサンゴがあちらこちらにあった。マイケルはめずらしそうにサンゴの上にすわった。するとサンゴのえだがぽきぽきとおれた。マイケルはあわててとびのいた。翔は、
(サンゴをいじめるなよ)
 という気持ちをこめて手のひらをよこにふった。マイケルはすまなそうにうなずいた。
 海の中は口がきけないのに、相手の言いたいことがふしぎとよく分かる。ことばのつうじない二人にとっては、つごうがよかった。
(あっちにいっぱい魚がいる)
 翔がゆびをさした。
(行ってみよう)
 マイケルが泳ぎだした。
 二人は魚のむれのなかにとびこんだ。赤や黄色や青、黒や白の色とりどりの魚が、ひらひらまいながら二人をつつみこんだ。
 このあたりの魚は、翔がときどきソーセージや麩(ふ)などのえさをやっているから、人間を見てもにげたりしない。
 オレンジのかおに白いすじのはいったクマノミが、マイケルのゆびをこんこんとつついた。マイケルはくすぐったそうにわらった。
 ほそながい、口のとがった魚がこちらにむかっておよいできた。こうきしんのつよいやつ、サヨリだ。
 翔はほとんどの魚の習性をよく知っている。マイケルの手をひっぱって、サヨリからさっと身をかわした。目などをつつかれるとあぶない。
 マイケルが大きな岩のそばでじっとたたずんでいる。岩の上に生えたほそいサンゴが、かすかな青い光をはなちながら枝をひろげている。マイケルはその美しさに見とれていた。
 翔はマイケルの様子を見て、うれしかった。この海の美しさにひきこまれているのだ。翔はとてもほこらしかった。







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