となりのへやは、大きな食堂だった。
「手をあらえ」
と大ダコが言った。
「エプロンをつけろ」
と中ダコ。
「玉ネギを八こどうじに、みじんぎりにしろ」
と小ダコ。
そんな・・・。
ひとつめの玉ネギをみじんぎりにしていたら、なみだがでてきた。小ダコがやってきて、ぼくのおしりをけとばした。
「そんなんじゃ、まにあわねえ。八ついっぺんにやれッ」
玉ネギのせいじゃなく、なみだが出てきた。手が二本しかないじぶんが、ほんとうにダメな、やくたたずに、思えてきたのだ。
「くそったれ。やくたたずの、人間め」
小ダコはジャンプしておこった。
「ウエイターで、つかってもらえ!」
食堂では、たくさんのタコが食事をしていた。うようよ、うようよ、タコだらけだ。
「とっととおさらをはこんでちょうだい」
ウエイトレスダコがぼくにめいれいした。
ぼくは料理ののったお皿をテーブルにはこんだ。せっせとはこんだ。なんどもなんどもカウンターとテーブルをおうふくするうち、あせが出てきた。あせ。そうか。これが、はたらく、ということなんだ。
だけど、だれもぼくのことをほめてくれそうなタコはいなかった。どころか、おきゃくのタコたちが、さわぎはじめたのだ。
「このふたりのまえにはお料理がきてるのに、わたしたち六にんのまえには、まだきてないわ。いっしょにたのんだのに、いったいどうなっているのよ」
「ここのウエイターは、どうなってるんだ」
「やくたたずのウエイターなんか、やめさせちまえ」
「そうだそうだ、やめさせちまえ」
ぼくは、舌うちダコの前に立たされていた。
舌うちダコは、ひとこと言うたびに、いまいましそうに舌うちしながら、いやみを言った。
「どんなはたらきてでも、ふつう、いないより、いるほうが、仕事がはかどるものだが。めずらしいね。いないでくれるほうが、よっぽどのうりつのあがる、はたらきてというのも。手がたった二本しかない、きみたち人間って、どうしようもないな」
そして舌うちダコは、きっぱり、せんげんしたのだ。
「わるいが、きみには、陸へ、おひきとりいただく!」
うちにかえれるのはうれしかったけれど、タコにばかにされたままかえるのは、くやしく、なさけなかった。メガネダコは、ひじかけいすにすわってメガネをふきつづけるばかりで、かばってもくれず、やさしいことばもかけてはくれなかった。
コン、コン。ノック。ふりむいて、
「ひえーッ!」
ドアがあいたとおもったら、頭の上に、さかまく大波。大波にのまれるしゅんかん、舌うちダコの声がきこえた。
「いいか。めんどうのもとになる、あんなでんわなんか、とりはずしてしまえ」
波にもみくちゃにされ、もがいているうちに、あたりがあかるくなった。
ぼくは砂浜にうちあげられていた。
ひきかけていた波がとまり、なにかおもいだしたみたいに、またうちよせてこようとしていた。
波は、チャポンチャポンとおしよせてくると、ザブンとブルーのでんわきにとびかかり、そのまま沖へひきあげていった。
あとには、砂浜と、ごみと、ぼく。
もうあのでんわは、どこにもなかった。
ごみの中の日づけつきの時計をみると、ずいぶん長い時間がたったような気がしたけれど、じっさいには一時間ぐらいしかたっていないことがわかった。
なんだか、つかれた。ぼくはひとまず家へひきあげることにした。
家にかえったら、犬小屋にチロがいた。
「なんだ、おまえ、かえってたのか」
と言ったら、クウンとないてしっぽをふった。
おかあさんも、かえってきていた。
おやつをとりに台所にいく。大きなポリバケツの中にタコがいた。ふつうのタコだ。
「こんやはタコ?」
おかあさんにきいたら、
「食べるんじゃないわよ」
おかあさんが、ちょっとあわてた声になった。
「チロがせなかにのせて、かえってきたの。かわいいでしょう? だから、飼うことにしたの」
「そうかなあ」
「あとでペットショップから、水そうや海水のもとがとどくことになってるわ」
いま、うちのリビングには、六十リットルの水そうがすえられている。
中には、あのタコ。
おとうさんとおかあさんは、ときどき水そうに目をやっては、言いあっている。
「タコってのんびりしてて、いいわね」
「そうだね。いやされるな」
のんびり。どこが。
このタコは、タコにしてはズボラで、日がな一日、えさくっちゃ、ね、えさくっちゃ、ね、しているようなやつで、ほかのひとがいないときだけ、ぼくのしつもんなどに、へんじをする。
「こんなところでアブラうってないで、はやく海にかえれば? みんな、まってたよ」
「そのうちにね」
よっぽどうちが気にいったみたい。
タコたちに、つげぐちしてやろうかと思うこともあるのだが、あいにく、海のでんわはかたづけられたあとで、もう、ない。
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