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 ふと、翔の目のはしで、人間の大人ほどの大きさの黒いかげがゆらりとうごいた。
 はっと目をこらした。
(ジャンだ)
 今度こそまちがいない。あたまをさかさまにして、ジャングサを食べている。
 マイケルもジャンにきづいた。すぐにそちらにむかって泳ぎだした。
(やっぱり、お前もジャンに会いたかったんだな。昨日はジャンに会いにジャンヌシマに行ったんだな)
 マイケルとならんで泳ぎながら、翔は心でよびかけた。
 ジャンは食べるのをやめ、およぎはじめた。二人はスピードをあげた。
(ジャンをもっと近くで見たい)
(ニライカナイヘの道をおしえてくれ)
 テーブルサンゴの海をあとにして、翔もマイケルもひっしにおいかけた。
 ジャンはサンゴの死んだ、はいいろの海のそこもよこぎってどんどん泳いでいく。
 どれぐらいいったか、とつぜん二人はおよぎを止めた。
 目の前の海底に、大きなわれめがあった。真っ暗な口をひらき、ふかさがどれだけあるか分からない。中にどんなきけんな生き物がいるかも分からない。
 ジャンはわれめの上も、ゆらりとおよいでいってしまう。このままみうしなってしまうのか。
 ふとマイケルが翔の手をにぎった。
(行こう)
 青いすんだ目が、ぼくをしんけんに見つめている。
(よし、行こう)
 翔はマイケルの手をにぎりかえした。
 二人はがっちりと手をつないで、われめの上をおよいだ。下をむいたらこわくなるから、前だけを見てしんちょうに泳いだ。
 翔はマイケルの手のかんしょくが心強かった。心がひとつになっているのを感じた。マイケルといっしょなら、どこまでも、きっとニライカナイまでもおよいで行けるにちがいないと思った。
 二人はわれめをわたりきった。
 そのとき、翔は、自分の目をうたがった。
 はいいろの海のそこに、新しいサンゴの小さなかたまりが、あちらこちらまばらに生えている。
(海がよみがえろうとしている)
 翔は心の中で、大きなよろこびの声をあげた。
 ジャンは大きなおびれをくねらせながら、生まれたばかりのサンゴのむれの上をゆうがにおよいでいく。
(きっと、ここがニライカナイヘの道だ)
 翔はむねにこみあげるよろこびをかみしめながら、ジャンをおいかけた。
 翔が息つぎのために水面にかおをだしたときだ。
 サイレンの音が耳に入った。ふりかえってみて、心がこおりついた。
 小型船がこちらにむかってやってくる。船の上で米兵が、翔にむけて銃をかまえていた。
(しまった。米軍基地にちかづきすぎた)
 翔はおそろしさで、その場でたちおよぎをしているのがやっとだった。
 マイケルもけげんそうに水面にかおをだし、船を見てはっとした。
 二人は船にのせられ、漁港につれもどされた。
 マイケルがじじょうをせつめいしたおかげで、米兵は銃をかまえるのをやめ、基地にもどっていった。
 しかし、翔のかおはなみだでぐちゃぐちゃだった。なみだをとめることができなかった。
 銃をむけられたきょうふもあった。
 しかしそれよりも、ジャンをみうしなったくやしさとかなしさが大きかった。サンゴがふたたび生まれよみがえろうとする海を、自由におよげないことがくやしかった。
 翔の村の海は、えいえんにとりあげられてしまうのか。ジャンに会うことも、ニライカナイヘの道も、あきらめないといけないのか。
 翔のむねは、かなしみとくやしさでいっぱいだった。
 マイケルは翔に英語で話しかけた。さびしそうに、けれどひとことひとこと、ていねいに話した。翔には何を言っているのか分からなかった。
 夕ぐれの中、二人は立ち上がった。もう家に帰らなくてはならない。
「ショウ」
 マイケルはすんだ声でよびかけた。すっと手を出してあくしゅをもとめた。
 翔は力なく手をさしだした。
 マイケルは翔の手をぎゅっとにぎりしめた。海の中でにぎったときと同じかんしょく。あたたかい手だった。
 あたりがくらくなっても、マイケルの目はきれいな青い色をしていた。まるでいつだって真っ青な海を、その目にやどしているみたいだ。
 マイケルは、さんばしにとめた自転車にのって帰っていった。
 翌日、翔が学校から帰ると、父ちゃんがいっつうの手紙をさしだした。青いふうとうに、
“Dear Syo”
 と書いてある。
 父ちゃんの船におかれていたそうだ。
 母ちゃんといっしょに知り合いの英語の先生をたずね、日本語になおしてもらった。
「翔くん、すばらしい友だちができたんだね。このお手紙、むねにじんとくるなあ」
 母ちゃんのおさななじみのその先生は、目をうるませながら言った。
 
親愛なる翔へ
 昨日はありがとう。それからおとといも。
 お別れの前にぼくは自分のきもちを分かってもらいたかったけど、英語で言ったから、たぶん君に伝わらなかったと思う。
 手紙ならどうにかよんでくれるかもしれないと思って書いています。
 ぼくは明日、アメリカに帰ります。父さんの、沖縄の基地の仕事がおわったからです。
 ぼくは沖縄をはなれる前に、ジュゴンというめずらしい生き物を見ておきたかった。
 ぼくは、翔の村の海に、ぼくの国の基地ができるかもしれないことを知っています。それはしかたがないことだと、思っていました。
 でも、翔が見せてくれた海は、あまりにもきれいでした。この海がつぶされて基地ができてしまうことを思うと、むねがつぶされるようでした。この海の美しさを知ったなら、だれだって同じ気持ちになると思います。
 翔、ぼくはアメリカに帰ったら、沖縄の海の美しさを、みんなに語ってあげたいと思う。そしてこの美しい海をつぶしちゃいけないと、うったえていきたい。もちろん、軍隊の仕事をしている、父さんとも話したい(それはとても勇気がひつようだけれど)。
 翔、君はぼくにしてくれたように、この海の美しさをたくさんの人に見せてくれよ。
 この海の美しさを知っているなら、きっとだれもが守りたいと思うはずだよ。海がつぶれてもいいと思っている人たちは、この美しさを見たことがないんだと思う。
 ぼくたち、力を合わせていこう。いっしょに守っていこう。
 海の中のふかいわれめの上を手をつないでわたったとき、ぼくは翔といっしょならなんでもできるように感じました。ぼくたちはアメリカ人と日本人だけど、ジュゴンをけんめいにおいかけているとき、心はひとつだったよね。ジュゴンにはおいつけなかったけれど、ぼくたちはたくさんのサンゴの赤ちゃんを見つけたね。
 ぼくたちが力を合わせたら、きっと海を守っていける。もっともっと美しい海になる。
 そのときには、またいっしょにジュゴンをおいかけよう。今度こそジュゴンにおいつこう。いつかまた、未来の美しい海で。
マイケルより







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