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『信濃毎日新聞』 昭和41年8月3日 夕刊
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 この記事はこの他、二、三の興味深い内容を伝えている。
 一つは、かしらの制作年代について。人形の衣裳に「宝暦」と書いてあったことから宝暦年間と推定している。現在この衣裳は所在不明である。
 二つ目は、親沢人形芝居の上演について。藤島亥治郎東大名誉教授が親沢の舞台を調査した結果から親沢人形芝居が明治二七年まで存続していたとの見解を、同氏の論考(注4)にて示しているという。しかし、この論考には、明治二七年まで存続していたのは地芝居(歌舞伎)であったと記されており、実際に演じたことのある古老の話を載せている。
 三つ目は、かしらの製作者は親沢に住む木地師ではないかとの推測である。新津氏のアルバムには、斎藤清二郎氏から送られた「木地屋の諸道具写真」と、それに添えられていたと思われるメモがあった。そこには「木地師のなかで器用な者は、親沢にある古浄瑠璃の首を作ったという伝承もある。親沢の水上にも木地師の裔といわれる家がある。」と書かれていた。この内容には当時の地元の伝承が反映されているように思う。
 新津氏のアルバムには、三通の新津亨氏宛て斎藤清二郎氏の書簡が残されていた。二通は先の新聞記事にある斎藤清二郎氏の調査直後、もう一通は昭和四七年一二月、再調査後の手紙と思われる。二度の調査後の手紙には、写真と解説を送る旨記されており、アルバムにも計一二枚のかしら写真と斎藤清二郎氏の短い解説が整理されている。その斎藤清二郎氏のかしら解説(かしら九点について)をここに紹介する。後掲のかしら写真・データ表のかしら番号を〔 〕内に記しておく。
 
(1)検非違使 〔→かしら番号13〕
 この首(かしら)は時代もの世話ものと、いずれにも広く流用される実役の首(かしら)である。眉が立ち眉で、目尻のあがっているところ、きりりと口を引しめているところが特長でこの首は植毛も完全であるのは珍しい。武士が主役級である。
(2)丸目の舅 〔→かしら番号19〕
 目と眉が特長。髷の植毛も珍しい。目には丸目に上目(うわめ)と下目(しため)とある。
(3)むすめ 〔→かしら番号16〕
 芝居のときは、髪を梳いて、髷を結い、かんざし・こうがい・櫛など、役がらに応じて髪飾りをする。
(別紙)
 むすめ 古浄るりの首(注5
 親沢の古浄瑠璃の首は享保のころお巣鷹山の鷹を江戸城吹上げ御苑の鷹匠部屋へ御届けした御鷹道中の途中御巣鷹山の山守り百姓が江戸の土産に買ってきたものという。この首は造形きわめて写実的で江戸風の美しさを示している。
(4)丞相(天神) 〔→かしら番号8〕
 雷神などの役に使う。睨めっ面(つら)とも云う。主として雨乞いなどの芝居の「かしら」に使われた。農耕神として天神などにも遣われた。いかめしい表情である。
(5)白太夫型 親爺の首(かしら) 〔→かしら番号26〕
 寛保以前なら白太夫である。伊那の上古田には、名古屋から買ったという文書のある白太夫がある。あごのふくよかな、にこやかな心やさしい親爺さまである。
(別紙)
 親父(白太夫)
 白太夫は近松の天神記(一七一三)と竹田出雲ら合作の“菅原伝授手習鑑”(一七四六)に遣われる首の名称である。このふくよかな愛情をたたえた田舎の好々爺の顔は人形細工師がきっと仲間の誰かをモデルに彫ったものにちがいない。この首によく似た白太夫が上伊那箕輪町の上古田人形座にあり寛保四年(一七四四)村の有志五人が名古屋本町九丁目の人形屋源左衛門から買求めたという記録が残っている。初代吉田文三郎の菅原初演以前にこの首のあることは興味深い。
(6)けんびし 〔→かしら番号18〕
 太い眉毛、下目(しため)が特長、植毛も多い。頭のうしろが平べったいのも江戸系の型。顎にも、いかめしい植毛があったのだが、鼠にでも噛られたのは、実に惜しい。植毛に痕はよくわかる。
(7)道化(火男 ひよっとこ) 〔→かしら番号10〕
 この古浄瑠璃の首は、今のところ、小海と群馬県の小八木、栃木の葛生にしかない。小海のは保存の悪いのが惜しい。全国的にみても珍しいものである。人間が火を吹くときの表情に似ているところから名が出た。
(8)つめ(道化風) 〔→かしら番号36〕
 歌舞伎で、小詰という役。一人遣いが多い。親沢の「ちょうちんでく」も、つめの仲間と思われる。
(9)莫耶(鬼女) 〔→かしら番号35〕
 文楽では鬼女の若い首を「がぶ」という。小海の首は金目で、眼玉全体に黄金粉を塗った痕がある。
 
(別紙)
 古浄るりの首 公時(きんとき)
 坂田の公時は武勇と荒事を象徴した首である。目がまるく、口が大きく、動的な表情に力がこもっている。役柄は酒呑童子(しゅてんどうじ)、大田合戦の公時、門出八島の志田三郎勝平に遣う。この首も文楽の団七、公時の原型を暗示している。門出八島の武将に能登守教経がある。
 古浄瑠璃の首 金平
 古浄るりはその内容が神仏の霊験奇瑞とか英雄豪傑の武勇伝のような荒唐無稽なものが多い。金平首のかっと見ひらいた大きな目、激しい力をたたえた顔つきの造形根拠はおそらく佛像や能面などをそのまま手本にしないまでも人形細工人たちはその暗示をうけたにちがいない。この首は江戸和泉大夫旧蔵のものに似ている。或は同じ細工人の作品であろうか。
 
 この解説は、当時かしら研究の第一人者であった斎藤清二郎氏の見解と、地元に伝わる伝承が知れ、興味深い。
 先の新聞記事の新津委員長の話が掲載されているが、「斉藤先生の解説書をつけ、役場内の展示ケースに移す考えだ」と話されているので、これらは展示解説として使用されたかと思われる。
 近年では平成三年刊行の『飯田市美術博物館調査報告書1 伊那谷の人形芝居 かしら目録台帳』(注6)が、かしらの全容を紹介している。式三番かしら(大江巳之助作、当時井出恒徳家所蔵)一組と、当時小海町公民館に所蔵されていた人形芝居のかしらすべての写真と基礎データ表を掲載している。これによって、親沢人形芝居のかしらの存在がより広く知られることとなった。
 
(三)親沢人形芝居のかしらの特徴
 後に、親沢の人形三番叟二組(かしら六点)と人形芝居のかしら(かしら三三点)のデータ表を掲載しているのでご参照いただきたい。
 かしら番号1〜6は、人形三番叟のかしら、即ち大江巳之助作の一組とそれ以前から伝わる一組を載せている。かしら番号7以下は、人形芝居のかしらを載せている。親沢の人形三番叟二組のかしら写真は二四頁に、人形芝居のかしら写真はこの四七・四八頁に掲載している。あわせてご覧いただきたい。
 人形芝居のかしらにはいくつかの注目すべき点があるように思う。
1、かしらの多くは胴串が失われているものの、残る胴串をみると、すべて偃歯棒式のうなづき形式をとどめている(後掲かしら番号12、13、17、20、27)。
 偃歯棒式うなづき形式の歴史的位置付けについては、「五、親沢の人形三番叟の特徴と価値」で詳しく述べた。うなづき形式の初期段階に位置する偃歯棒式を残しているということが、一つの大きな特徴である。
2、また、かしら番号13には偃歯棒式を小猿式へ作り変えた跡がある。これは偃歯棒式と小猿式の連続性を示しており、うなづき形式の発展過程を考える上で注目される資料である。
3、人形芝居のかしらの中には、三番叟のかしらがある(かしら番号14)。さらに同じ作風で千歳・翁と見られるかしらもあり(かしら番号12、15)、もう一組の式三番の存在が考えられる。この三点は、千歳のみ胴串が残っていて、うなづき形式は偃歯棒式である。偃歯棒が胴串の前にくる形式で、現行の人形三番叟の千歳と同じである。但し、人形芝居のかしらと共にある式三番は、千歳・翁・三番叟いずれも目がガラス目である。目にガラスを入れる例は、近代阿波の天狗久(注7)のかしら等に見られるもので、ガラス目で江戸時代に遡るかしらは、まだ見たことがない。偃歯棒式といううなづき形式とガラス目は、時間的に一致しないように思う。修理によってガラス目に変わったか、もしくは、偃歯棒式に時間的な幅があったか、別ののど木を転用したか、などいろいろな理由が考えられるが、判然とはしない。
4、次は、胴串の形状である。かしら番号7、13、20は胴串が湾曲していた。これは操り方との関連が考えられる。即ち、鉄砲ざし(注8)での遣い方が予想され、これも興味深い点である。
5、もう一つ、かしらの造作の面で特色があるように思う。毛髪は、つめなどの彫付以外すべて植毛のかしらで、現在の文楽や阿波淡路及び多くの地方人形浄瑠璃のかしらに見られるような、かつらの使用が一つもなかった。植毛は、かつらより前の古い形式とみられる。また、眉の動きが立眉であった(かしら番号7、24、32)。いずれも文七・検非違使という立役のかしらであるが、今の文楽の文七・検非違使の眉の動きは、アオチ眉といって、眉全体が上下する仕掛けで、立眉ではない。立眉は、アオチ眉より前の古い形式という見方もある。
 偃歯棒式のうなづきに植毛・立眉という特徴を持ったかしらは、周辺にも見られる。山梨県東八代郡右左口の人形、群馬県高崎市の小八木人形、栃木県安蘇郡葛生町の吉澤人形、福島県郡山市の高倉人形等にも、偃歯棒式、植毛・立眉のかしらが数多く見られた。
6、更に、かしらの表情の面で共通する部分もあるように思う。昭和三五年から四〇年頃にかけて、群馬・福島・長野などのかしらの中から偃歯棒式のかしらを発掘した杉野橘太郎氏は、偃歯棒式かしら(氏は偃歯首と命名した)の特徴の一つとして、「男役の首がその大部分顎の張った大型の角型で、顔面表情に荒事風な切迫感、勇壮感」があるということをあげている(注9)。これはかしら番号11、27の親父などにも当てはまるように思う。また、かしら番号10の道化は、丸くて大きい、下がった目とひょっとこのように突き出した口が特徴的な滑稽味溢れるかしらであるが、同様のかしらが群馬の小八木人形と栃木の吉澤人形にあることが、斎藤清二郎氏によって指摘されている(先の斎藤清二郎氏解説参照)。
7、道化のかしらでは、「のろま人形風の間狂言のかしらと思われるものもある」(注10)との指摘もある。
 このように見てくると、先にあげた周辺のかしらと何らかの関連があるようにも思われる。







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