尉(三番叟)の構え 正面
尉(三番叟) 返り目・口開操作
尉(三番叟)の構え 横
尉(三番叟)のうなづき操作
(一)親沢の人形三番叟と人形芝居
親沢には人形三番叟のかしら以外に、人形芝居に遣われたと思われるかしらも存在する。総数三三点、現在小海町総合センターに所蔵されている。昭和四二年、町の民俗文化財に指定されている。
親沢人形芝居のかしらは、かつて、人形三番叟を上演する諏訪神社にあったものである。人形三番叟と直接結びつく資料は見あたらないが、おそらく関連があったと考えられる。
人形式三番と共に人形芝居のかしらが残っている例は、親沢以外にも見られる。
三重県志摩郡阿児町安乗では人形式三番が行われているが、多数の人形芝居のかしらもあり、外題上演も盛んに行われている。静岡県賀茂郡西伊豆町仁科佐波神社や山梨県東八代郡八代町米倉、山口県豊浦郡豊田町の秋葉新楽座も、人形式三番上演と共に、人形芝居のかしらが何点か残っている。操式三番叟を伝承している群馬県前橋市下長磯稲荷神社でも氏子宅から人形芝居に用いるかしらが一点発見され( 注1)、式三番だけでなく人形芝居上演もあったのではないかという可能性が強くなってきた。愛知県北設楽郡稲武町小田木のように、伝承は途絶えているが、式三番の白尉黒尉面と人形芝居のかしらを一所に残している( 注2)ところも多数ある。小田木は浄瑠璃本も多数残っており、外題上演が伺われる。
安乗をはじめとするこれらの例から考えると、親沢の場合も一緒に上演されていた時期があったのではないかと推測されるのである。
(二)これまでの経緯
親沢人形芝居のかしらに関する古い資料はないようであるが、近年親沢人形芝居のかしらが文化財として注目され始めたころの資料がある。
当時小海町の文化財保護委員会委員長であった新津亨氏が、いくつかの資料をアルバムに整理され残されていたものである。
資料の一つは、昭和四一年八月三日付信濃毎日新聞夕刊の「珍しい古浄瑠璃のかしら 小海町諏訪神社」「本格保存に乗り出す 江戸時代から地芝居に使われる」という見出しの付いた記事(後掲)である。同年七月四、五日に文楽のかしら研究家斎藤清二郎氏が来訪、諏訪神社に放置されていた親沢人形芝居のかしらを調査して、文楽のかしら以前に遡る全国的にも珍しいかしらであると氏が判断、それを受けて小海町の文化財保護委員会が町の文化財として本格的に保存する方針を決定したというものである。記事によると、「とりあえず町役場内に保存管理する予定」( 注3)とあるので、これを契機に親沢人形芝居のかしらの管理は行政の手に移ったものと見られる。
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