(注32)掛け声か。
(注33)喜びをここにとどめて外にはやらない。
(注34)首をそり、目・口を開くのは何を意味するか。悪いものを払う意か。
(注35)ここの演技を能楽では「烏跳び(からすとび)」といっている。呪術的所作であろう。飛び上がる所作は、神懸りの表現だという民俗芸能が日本にあり、中国でもそのように伝えているところがある。烏を霊鳥とする信仰もある。
(注36)目と口を開くのは、どのような意味があったのであろうか。「もみの段」で行われるのは、清め・払いの意味ではなかろうか。
(注37)黒尉の面をつける。能では三番叟を「前段」(もみの段)と「後段」(鈴の段)にわける。黒尉面は「鈴の段」の時につける。「もみの段」は「籾の段」と解釈され、五穀豊穣を意味する舞と解釈された。この解釈が発生期からであったかどうか未詳。「揉みの段」とも考えられ、清め・払いとも解釈されている。「鈴の段」は神の登場ということで、仮面をつけ、鈴を持ったとも考えられる。三番叟は本来の猿楽の滑稽物真似芸。とすると前段は千歳の、後段は翁の物真似芸とも考えられる。
(注38)丁度参って候。
(注39)誰が。
(注40)狂言で脇役のこと。
(注41)黒尉面をつけた三番叟。能の謡本をそのままとり入れたのであろう。
(注42)舞いおさめる。
(注43)重々しく、お坐りになって。
(注44)一舞まう。「おミもうし」は清め・払いの舞を舞う。
(注45)何か様子があるようだ。
(注46)これが種まきの所作であるかどうか考える必要はないか。
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