二、親沢の人形三番叟の歴史
何事によらず、伝統文化を知るには、そのものの現状表現価値と歴史を知ることが大切である。今日行われている親沢の人形三番叟の現状とその価値は、後述することにして、ここでは親沢の人形三番叟の歴史の概略を述べることとする。
伝統文化の歴史を考えることは、そのものの現状と将来を知る上に重要なことの一つである。だが、親沢の人形三番叟の場合、その歴史を知らせてくれる文献がまことに少ない。『小海町志』によると、親沢の人形三番叟は、元禄時代(一六八八〜一七〇三)から始まったとある。しかし、元禄時代の記録を見つけることはできなかった。元禄時代というのは、親沢で人形三番叟と一緒に行われている獅子舞(元禄五年の文書あり)と関係付けたところから考えたのではないかと思わせるものがある。
宝暦八年(一七五八)三月の目録帳(「往古入用帳」)があるというが、この冊子も今回見ることができなかった。
宝暦六年と墨書した人形の衣裳があるといわれていたが、この衣裳は、平成一六年に調査した時は見当たらなかった。親沢の人形三番叟は能楽の翁舞を取り入れたものであることは明らかである。だが、能では、三番叟を含めて翁といい、式三番という。能では翁を含めた式三番を三番叟とは決していわない。それは何故であろうか。ここには、親沢の人形三番叟、日本の人形三番叟の歴史を物語るものがあるのではなかろうか。
何にしても、発生期のことを記した文献は親沢にはないが、現在行われている親沢の人形三番叟の芸態と「かしら」などの形式の研究からその歴史を考えてみることにする。
尉(三番叟)
大神宮(翁)
今日ほど伝統文化の継承が難しいといわれていることはない。伝統文化の継承をどうするかは全国的な問題である。
今日のように、社会構造が根本的に変革しつつある時はない。その点、親沢の人形三番叟の継承の仕方は参考になろうかと思う。
親沢の人形三番叟は数え年一五才から四〇才までの、家を継ぐ男子が受け継ぐことになっている。七年間勤めると親方となって、後のものの指導にあたる。世襲的である。受け継いだ者は責任を持って七年間勤めることになっている。
大正六年四月四日と奥書のある『三番叟御手本』に、
丈 井出八男丸
井出恒重
翁 井出廣三
千代 井出 保
大鼓 新津荘助
小鼓 新津 井
井出芳平
新津平一郎
井出今朝太郎
笛 井上鷹市
井上嘉久
井上文一郎
明治四拾参年四月四日 引受
明治四拾四年四月参日 始
大正六年四月四日 引渡ス
丈師 井出八男丸 記ス
とあって、七年目毎の継承を知らせている。
三番叟御手本(大正六年奥書)
『三番叟御手本』は何冊かあるようである。それは継承者が七年目に変わる毎に以前からの『三番叟御手本』を写して来たからのようである。もっとも、この写しを代替わり毎に実行していたかどうかは不明である。ここでは、昭和四十九年の『三番叟御手本』をとりあげた。大正六年の『三番叟御手本』と比較すると少し違っているが、基本は同じである。この冊子を取り上げるにあたって、句読点は編者がつけた。昭和四十九年の『三番叟御手本』には、次のようにある。
天明年中始メ
昭和四拾参年 親澤村
三番叟御手本
四月吉日
丈 井出圀達
井出寛昭
翁 井上茂元
千代 井出松今朝
大鼓 井出利昭
小鼓 井出勝一
井出操
井出袈裟幸
井上秀幸
笛 井上一郎
井出今朝常
井出公久
昭和四拾貮年四月四日引受
同四参年四月三日始
昭和四拾九年四月四日引渡す
丈師
井出圀達記す
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