三番叟
親沢の人形三番叟は、古来親沢諏訪神社の春の禮祭に、同社境内東西二棟の舞台の東舞台で川平の獅子舞が奉納された後、西舞台で五穀豊穣を祈願し奉納した大事な農業祭事です。
山間のわずか九十戸程の集落で、二百年以上もの間、一年たりとも休むことなく演舞奉納され現在に至っています。このように伝承されてきた背景には、集落が一丸となったその独特の伝承方式があります。現役役者を七年務めた後、指導役としての親方を七年、その後「おじっつぁ」という立場になり親方が役者に三番叟を正しく伝承しているか見張る役目となり、合計二十一年関わらなければなりません。「おじっつぁ」役が終わった後でも、直系の役者が身内の不幸や出産などにより出役できない時は、降格して役目を果たさなければなりません。このような伝承方式を厳格に守ってきたことが、二百年以上もの間一度たりとも休むことなく演舞奉納されてきた所以と言えるでしょう。
このように伝承されてきた三番叟ですが、その伝来などの歴史を知る者や古文書もなく、現在ではいわば三番叟の形のみが伝承されていて、三番叟に託した昔の人々の魂は伝承されていないといった状態であります。
この貴重な伝承文化を今後も絶やすことなく伝えていくためには、やはり地域の人々がその歴史と価値を再認識することが何よりも重要であると考えていたところ、このたび日本財団の助成が受けられることになり、この記録集を刊行することができました。
刊行にあたっては、全国の人形芝居や人形のかしらの研究をされている 昭和女子大学名誉教授 後藤 淑 先生 及び同人間文化学部助教授 大谷津早苗 先生の絶大なるお力添えをいただきました。ここに衷心より感謝申し上げます。
親沢の人形三番叟については、今日あまり古い記録が残っていない。しかし、今日演じられているものを見ると、その内容には、かなり古い形式が見られ、文化財としての価値は高いものがあるように思われる。
そこで、この人形三番叟の価値を知るために、この人形三番叟が、いつ頃からこの土地で始まり、それが、どのようにして今日に伝わったか、特徴はどこにあるか、日本の人形芝居の「かしら」の中でどのような価値があるのか、というようなことについて、現状の理解をもとに考えてみようとしたのがこの冊子である。
千代(千歳)
尉(三番叟)
大神宮(翁)
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