日本財団 図書館


interview
雪がとけたらジャズフェスだ
中越地震を文化の力で乗り越えろ!
頑張れ!大工の館長 新潟・小出郷文化会館 桜井俊幸物語
取材・文 秋谷 銀四朗
新潟・国際音楽エンタテイメント専門学校特別顧問スクールマスター
 
▼小出郷文化会館。上越新幹線浦佐駅、
関越自動車道小出インター近くにある
 
 夕暮れが山並みに押し寄せ、秋の一日がつるべ落としで終わった薄暮、小出郷文化会館館長・桜井俊幸は、会館から車で3分足らずの式典会場でのリハーサルを終え、会場をまさに出ようとしていた。
 堀之内村、小出町、湯之谷村、広神村、守門村、入広瀬村の6町村は一週間後に、町村合併により、人口4万5千人の魚沼市に生まれ変わる、そのためのイベント準備に追われていたのである。
 平成16年10月23日17時56分、その時、中越地震は、静かな山間の町に何の前触れもなくやってきた。震度6強。立っていられない震動に桜井は会場を出たところでうずくまった。
 (会館が!会館に行かなくては!)
 そう思いながら、立ち上がる桜井。駐車してある車に向かい歩き始めたところで、引き戻された。
 後を歩いていた音響スタッフの友人が、桜井を後ろから強引に抱え止めたのだ。
 その瞬間、崩れ滑り落ちた屋根が桜井の数メートル先に落下。そのまま歩いていたら、どうなっていたかわからない。
 
 会館の外観は、とりあえずは大丈夫。しかし、会館の中に飛び込んでも、午後5時12分、午後6時34分と激しい余震に襲われる。
 それから、桜井は一週間以上、そのまま会館の中に着の身着のままで寝泊りすることになる。
 
シンガーソングライター
 
 時をさかのぼること10数年。
 平成元年の「ふるさと創生資金1億円」が日本中をにぎわせていた。小出町では、いくつかの使途のひとつに「人材育成」が採用され、若者主体による「小出町まちづくり研究会」、通称「まち研」が発足した。
 「文化づくりとその精報発信基地となる文化会館建設」を目的に、ホールを中心としたまちづくりで有名な中新田のバッハホールや、映画館のない町の映画祭(湯布院)、たんば田園ホールなどを参考に、精力的な住民主体の視察や研究は進められていった。
 昭和30年生まれの桜井も、そんなメンバーの一人であった。東京Uターン組で地元の工務店の跡取り息子。商工会や青年会議所で活動。学生時代に日本語フォークの洗礼を受け、吉田拓郎を敬愛し、自らもシンガーソングライターとして活躍。
 弟と組むフォークデュオユニット「あんさ&おっさ」は地元の生活を題材にしたオリジナル曲70曲余りを歌い、活動は現在に至りはや20年にもなる。
 その桜井は純粋に考えていた。自分が歌う場所も欲しい。新潟市、東京じゃなく、いい音楽をこの町に呼びたい、この町で聴きたい。子どもたちやお年寄りにもフォークだけではなくジャズやクラシック、ミュージカル、あらゆる音楽や生の楽器の音色の演奏を聴かせたい。若者たちのバンド育成も進めたい。
 その想いは、ホール建設のための平成3年の「広域まちづくり事業補助金」創設となって実現する運びになった。
桜井俊幸
小出郷文化会館館長
昭和30年生まれ。NPO法人魚沼交流ネットワーク理事長、小出郷消防団第二分団長。 シンガーソングライターとしても幅広く活躍。 独身。もっか花嫁募集中、早い者勝ち
 
絶縁状と会館誕生
 
 しかし、平成5年2月。文化団体代表者への説明会会場で怒りが爆発する。お役所仕事で知識のない担当者によって急造された事務局案、勉強を続け資料や意見を蓄積してきた「まち研」へ一切の相談もないままの計画。
 その日のうちに、桜井をはじめとする「有志」が集まり、絶縁状を作成し、担当者に届けた。それは、行政の建設に対する進め方への怒りと、住民の意見を聞く耳がない手法で建設するのであれば、住民は文化会館を一切利用しないという旨の過激な内容であった。
 その夜、役場で話し合いが開かれ、深夜に住民が自主的に文化会館建設を研究する会の発足が決定した。
 翌々日、圏域内の400ある文化団体すべてに連絡し、30名の参加者を集めて、行政も参加した形で研究会議「住民による文化を育む会」が発足。紆余曲折はあったが、怒りから協調、絶大なる協力へ。再び会館への思いはひとつになって平成6年に会館の建設開始となった。
 しかし、建設の槌音は響くのに、館長がいない。
 数年の腰掛で去就してしまう役人の館長はダメだ。会館をハードとして、他人に貸すという発想をする、知識、情熱のない人もダメ。会の世話人で、地元でコンサート活動を続ける大長工務店専務、大工の桜井俊幸を館長に!そんな声はすぐに熱く広がった。前例がないことだったが、桜井は初代館長に就任。その後、現在まで任期満了を更新し選ばれ続けている。
 
住民主導のムーブメント
 
 そして、平成8年6月開館。
 桜井館長を中心とした、小出郷文化会館の活動の足跡はまさに、ニュースと企画性にあふれた、常識的に人口4万5千人の町の文化会館ではなしえない素晴らしさの連続であった。この一連の住民主導によるムーブメントは「小出郷文化会館物語」小林真理・小出郷の記録編集委員会 編著(水曜社)としてまとめられている。また、小出郷文化会館のホームページもとにかく覗いてみて欲しい。 http://www.city.uonuma.niigata.jp/bunka/
 クラシック、ジャズ、そしてミュージカル、映画、落語、セミナーなど、まさに多彩なメニューのイベントや新潟大学、昭和音楽大学などの若者たちとコラボレートしたセミナーも目白押しである。固定席千136席の大ホールは音響設計的にも秀逸で、最近ではクラシックレコーディングのためのホールとして多くのレコード会社や海外からの演奏家が利用している。スタンウェイ、ベヒシュタインといった、プロ用の素晴らしいグランドピアノもしっかりと手入れされ管理されていて、そのポテンシャルは高い。
 
小出郷文化会館大ホール内観、座席数1136席。日本でも屈指のすぐれた音響特性を誇る
 
住民の一割が関わる
 
 また400名収容の多目的ホールも映画からダンスパーティなど幅広く利用されている。企画運営委員会、ステージスタッフ、友の会などのサポートシステムなど、人口の一割に当る4千人の住人が直接会館とかかわり支える形で会館のメニューは充実している。
 また特に、大規模な国際雪合戦イベントなどで知られるなど、若者のイベント企画パワーが強いこの小出で、桜井は「あんさ」(桜井が弟と組むフォークユニット名、あんさ&おっさの、兄ちゃん=あんさ、から由来)と呼ばれ、多くの若者たちとコラボレートして、イベント企画を展開している。
 さて、時間を冒頭の中越地震発生時に戻そう。建築時に追加予算まで組んで地盤安定用のコンクリート杭を打ち込んだおかげで、なんと会館はびくともせず、まわりの地盤だけが沈下した。しかし、壁の崩れ、ステージの反響板の破損など細部にわたるダメージは大きく、会館は使用不能の状態。
 桜井館長は、すぐに補修と会館の一日も早い再開を決意する。続く余震の中、それも混乱する状況下で行政との交渉や指示を待っていると、いつ修復できるかわからない。今こそ、イベントや公演の予定を一日も早く再開し、被災者に心の安らぎを提供すべき、さまざまな情報発信の基地であるべきだと考えたのである。大工の桜井は職人仲間のみんなに声をかけ、修復、11月6日に文化会館の業務は通常に戻った。異例の早さである。
 同時に、シンガーソングライターとしても中越地震の復興応援歌を魚沼市の誕生ソングとともに発表した。まるでわが子を抱くように余震の恐怖にめげずに泊まり、修復し保守し続けた館長の深い愛情、命がけの情熱が感じられる。館長の会館の滞在(労働)時間は年間5千時間を越えた。
 
小出郷の響きの森ジャズフェスティバルプロデューサーであり、ジャズドラマーの大隅寿男氏
 
響きの森ジャズフェスティバル
 
ジャズフェスティバルを今年も
 
 現在、桜井館長には思案しているイベント企画がある。
 それは、もう数年にわたって文化会館の裏庭にあたる「響きの森」という屋外広場で開催してきた、数千人規模のジャズフェスティバルを今年も開催したいということである。
 桜井館長の長年にわたるブレーンで、この響きの森ジャズフェスティバルのプロデューサーでもある、高名なジャズドラマー大隅寿男(日本のジャズ界に貢献した功績で第30回南里文雄賞受賞)はこう語る。
 「昨年7月のジャズフェスは新潟7・13豪雨にたたられ、その後の中越地震、そして今年19年ぶりの豪雪と、今新潟には大変つらい日々が続いています。桜井さんとも十年くらいのおつきあいになりますが、実は毎日連絡を待っています。もちろん、今年もやろうよ、という連絡です。
 こちらから押しかけるわけにはいかないけど、でも、やっぱり春が来たら、雪が解けたら何かしたい、夏にはジャズフェスやりたい、やらせてくれ、少しでも新潟の皆さんを元気づけられたら、いっしょに楽しめたら、という気持ちでいっぱいなんですよ」
 という大隅は、さまざまな機会にこの小出郷文化会館の桜井と組んで、演奏会の翌日など子どもたちの小学校や中学校に出向き、生の楽器を聴かせたり、触らせたりという出前公演(アウトリーチ事業)に積極的に取り組んでいる。
 この事業はじめ、会館の積極的な文化活動に対して、今年一月に地域で創造的・文化的な表現活動のための環境作りに特に功績のあった公立文化施設を表彰する、第一回JAFRAアワード(総務大臣賞)に小出郷文化会館が選ばれた。
 小出町から魚沼市になり、また震災の復興の影響で、今年予算的にも行政判断的にもジャズフェスティバルが再開できるかどうかは現在まだ未定であるが、そんな桜井を師のように慕う、若者代表のジャズ実行委員長・清水陽一たちも震災に負けずに頑張った証として、また、夏からの本格的な復興の象徴として、このジャズフェスを実現したいと、見切り発車で準備を始めている。
 まさに、このような時期だからこそ、この中越に心地よく熱いジャズの響きを、夕暮れの夏の風の中で聴いてみたい、聴かせてみたいものである。
 
結いにこだわって
 
 桜井は最後にこう話す。
 「私は、結い(ゆい)という言葉にこだわっています。日本の農村社会に見られる協働の慣行で、結う、結ぶ、という言葉です。6つの町村が合併し、ひとつになる精神は、お金ではない手間貸し、助け合いの「結い」なのです。これから、時代を作っていく若者、そして子どもたちにも、この結いの気持ちで、こんなときこそ文化のチカラで頑張ろう!といいたいのです」
(文中敬称略)







日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION