実は、人間の社会というのはこの曖昧なところ、それから私もそうなんですが、非常にいい加減な行動、そして間違った判断、そういうなかで生きているんじゃないかなと思います。そういう人間である故に、やはり「また間違うかな」と思うから、「努力しなきゃ」と思う気持ちも半面出てくるわけで、一生懸命努力することというのは自分の至らなさの裏側にあるように思うんですよ。
ところが、そのテレビゲームなどは、そういうことは許してくれません。そういうパターンが自分の思考回路に入ったときに、子どもたちは善か悪か、いいか悪いか、すぐ簡単な判断をして、自分にとって不都合なら暴力に行ってしまうということをおっしゃっておりました。
そういういろんな問題があるなかで、私は育ちの場としてこれから考えなきゃいけないのが、いちばん大事なのはこのフェース・トゥ・フェースですよね。顔を見ながら付き合っていく、これがいちばん大事なんですが、あえてその前に「ネット」というのを書いておきました。
もう子どもたちの育つ環境がネット社会であるんであれば、このネットというのを子どもの前に日の目を見させて、大人も子どももそのネット社会のなかで一緒に遊んだり、一緒に考えたりするということがないと、子どもの育ち環境を十分つくったことにならないのではないかという意味で書きました。
ただ、ネットが子どもにとって安全な場所、ネット安全教室をやってネットは危険だよということを子どもに教えるのではなくて、ネット社会の持つ良さ、プラス面。例えば言葉で通じなくても、音楽や映像だったらお互いに心を通わすことができるという、特に心の通わし方のインターネットの使い方などというのは、たぶんおやじの出番が非常に強くなるんではないかと思われる分野だと思っております。
昔から「女性は機械に弱い。ボタンを押すのもできない」とよく言われますけども、私もそうで、実は電気のスイッチを入れればインターネットは動くのに、スイッチの入れ方がどこにどうあるのかがわからないまま、「動かない」「動かない」とわめくようなところがあって、これは女だから、男だからというよりも、女にはそういう傾向がやや強いように思いますので、ということで考えました。
私がでは、こういう問題を自分のものにしたときに居場所を必要とするということで、その居場所というのに関心を持ったんですよ。非常に関心を持ったんです。この関心を持ったのはマル1の時代です。
「居場所」という言葉が1970年代に登場してきました。70年代というと、受験戦争、偏差値全盛期が80年代ですから、ちょっと前ということですね。高度成長が右肩上がりで、もう一生懸命にお父さんたち、会社人間で夜遅くまで働いて家に帰ってこないようなお父さん、いっぱいいた時代ですけれども、その時代に子どもが確かに変わったんです。
私、中学校にいまして、どうも反応が鈍くなったし、考えないし、すぐ切れるし、遊べないしと。何か変わったな。その当時、私も何かものに書いたことがあるんですけども、「ゲルのような存在」と。掴み所がないな。60年代ぐらいまでの子どもは、私、教員やっていましたから、なんとなく話が通じたんですが、その頃、話が通じないなということを感じたことがあるんです。
その時代に斎藤次郎さんという方が、本の名前は忘れましたが、その居場所の機能のなかで、「子どもが大人になるときにどうしても必要な空間があるんだ、場所があるんだ」。それをオタマジャクシがカエルになるという話を引用して書かれていたんですよ。
オタマジャクシがカエルになるときに、エラ呼吸から肺呼吸に変わる。オタマジャクシはカエルになった途端に動かない。しばし岩の上で自分の体調を整える。私、カエルの様子をよく観察していないから、それが何分か、何時間かよくわからないんですが、いずれにせよ、そういうふうに自分を変えなければ大人にはなれないだろう。
その自分を変える時期、子どもから大人になるときというのは結構大事な時期で、その大事なときに、何か自分で「これだ」と思う気持ちがないと、なかなか大人へのステップが踏み出せない。昔から成人儀礼などということでいろんな儀式があります。現在は20歳で成人式なんて言っていますけど、20歳で成人式やったから大人になるということは全くなくて、これはもう皆さんよくおわかりのところです。
では、14歳で何かをしたら子どもたちが大人になるか。そうでもない。富山県は全県一斉にやりましたね。「14歳の挑戦」という形で、全員が4日間ですか、14歳の子どもたち、中学2年生が職場体験をするという活動を県を挙げて展開していますけれども。
いずれにしろ、この大人になるために必要な居場所というのがある、居場所が必要なんだというふうに、この70年代頃に私は考えました。教員になっていましたから、すぐ自分で居場所つくれなくて、辞めてすぐつくるということもあんまり考えられなくて、ぐずぐずと教員生活をやっておりました。
2番目の80年代。もう形として現れました。暴力。有名な「金八先生」時代のあの第1期の校内暴力。どういうわけか、全国的に学校が荒れまくっておりました。「金八先生効果だ」とよく言われます。「ああいう学校が欲しい」「ああいう先生がいてほしい」と子どもが思ったんではないかなあと思いますけれども、学校の先生方にすれば、「金八先生があんなことを言うから、学校が荒れたんだ」みたいに言われた時期もありました。不登校、いじめがそれから減ることはなくて進んできております。
居場所づくりがあちらこちらで始まってくるのが1990年代です。ずいぶん早くから不登校のためのフリースペースとして居場所が出てきますね。東京修練などそういうフリースクールは「学校には戻さない」という形でのフリースクールを開設したりしました。その頃にはもう既に引きこもり、いじめ自殺が社会を驚かせていた時代です。
そして最後に、国の施策としての居場所が登場してきました。心の居場所というのは、あくまで不登校対応という形で文科省が出したわけですけれども、いよいよ2005年、ことしになりまして全国展開をしました。「子どもの居場所づくり新プラン」が出されて、再生事業ということで全国的に展開するということになりました。
この経過をずうっと見てみますと、実は、子どもはもう70年代に変化の兆しを大人に突きつけていたんだということを、ぜひ理解していただきたくて、この経過を申し上げました。
たまたま私が居場所をつくったのは、学校を辞めて、そして社会教育に入りました。社会教育の指導員をしばらくやっているんですが、その間に居場所をつくったので、1999年、神戸の少年Aの事件が起こった後です。あの事件等から、「いよいよこれはどうしようもない状態だ。どうにかしなきゃいけない。じゃ、居場所をつくろうかな」と思って自分でできる範囲でつくったのが、いまお手元にお渡しした「ファンイン」という居場所です。
そしてファンインという居場所については、後でちょっと触れますけれども、不登校がいました。引きこもっている子どもも渋谷区内にいました。引きこもっていたら、そこへ出向いていけばいいだろうということで、自宅訪問する制度をつくりました。いろいろな形でこういう居場所をつくったのがこの4番目あたりからですね。だから1、2、3は心を痛めながら見ていたということでしょうか。
それではいろいろやっていくなかで、子どもはどういう居場所をイメージしているんだろうかということです。
1つは、私たちのファンインというのは中・高校生という形で最初つくり上げていくんですけれども、現在は子どもたちの成長も早くて、いま小学校の5、6年生になると、昔の中学生ぐらいの感じですね。ということで高学年を非常に大事にするようにしていますが、こういうことです。「何もしなくてもいい場所」、これが一番です。圧倒的に多いです。あとは読んで下さい。
続いて、居場所は、では、こういうふうに子どもたちが思っているんであれば、どういうふうな形でつくると、子どもと大人が居心地良く、そして子どもの育ちに関われるかということで、1から5まで書いてあります。
自由に遊べる。でも興味ができたら、そこで何かできる。何か形にしてあげられる。ファンインの活動はまさにこの活動です。子どもがしたいというんだったら、どんどん形が生まれてきます。ITで遊びたい、ITで映像をつくりたい、DJをやりたい、そういうことであればどんどんそれをつくっていきます。
それから若者は欠かせません。子どもは非常に悩んで確執をもって家庭で、学校で、友だち関係で悩みます。そのとき気軽に相談できるお兄さんがほしい。いつもそういうふうに思っているようですね。やはり友だち同士ではなかなか解決できないですから。同年齢は特にそうです。若者が要る。
それから大きな問題を抱えるときがあります。学校でいじめられてしまった。学校に行きたくない。あるいはお母さんとお父さんの仲が悪くて離婚しそうだ。いろいろな問題を子どもは発達途中で抱えます。そういうときに相談に乗ってくれる人がいて、そしてそれをただ相談だけではなくて解決してくれる。
この解決というのは、子どもにとっては本当に嬉しいことです。幾つかやりましたけど、この子どもが解決したときに見せる喜びの顔。すぐは全部解決しないんですけど、解決する道筋が見えたときに、「支えてくれる大人がいる」というふうに思ったときに見せる子どもの顔はやはり素晴らしいです。
最後に5番目が、人や社会に役立つ活動の場がある。やはり最後の5番目はもう積極的に大人がつくってあげなきゃいけないだろうと思っています。子どもはお客さまとして居場所に迎え入れるだけではなくて、子どもを大人の仲間入りさせる、大人の1人として迎え入れる大人の気持ちが必要だということです。そのためには場をつくっていかなきゃいけない。
それでは次に行きます。ファンインという居場所に関しては、そこに3枚、資料をお渡しいたしました。地図があります。渋谷区内11カ所で居場所づくりをしております。最初は1カ所、次7カ所、次8カ所、次10カ所、次11カ所、6年間でどんどん増えています。なぜ増えるかというのがあるんですね。そのなぜ増えるかだけ1つお話したいと思いますけれども、この次の次ぐらいのところを映していただければと思います。
関わりのコンセプトとして、私たちは最初からこの3つを大事にしています。できることをできる範囲で。当然、地域の大人がやることですから、無理をしたら続きません。イベントをやると非常にきついですから、イベント類はできるだけしない。人のやっているところに乗っかるというのが一番です。地域にはいろんな団体があって、イベントをたくさんやって下さいます。そういうところに乗っかっていく。例えば「父親の会」とか「おやじの会」とかいうのがあって、サマーキャンプとかあるんであれば乗っかっていく。デイキャンプをやってくれるんだったら、そこに参加する。だからイベントを意外としません。
それからやはり子どもが集まらないなどということがあって、非常に苦しいときはしばし休む。やり方を変える。いろいろやります。1つのファンイン全体で苦しくなったら休むとか、決して無理をしません。
続いて、すべてパートナーシップということを大事にしておりますから、入ってくる大人は全部個人で入るということを原則としています。団体で入るとか、あるいは団体が何か活動するとかということをしない。
続いて、この「柔らかなネットワーク」というのは、子どもの育ちにとって必要なものは自分でつくるということですから、ファンインという居場所がすべてではないわけで、子どもにとって情報が必要だということになると、情報誌をつくるというふうに、そこに『子どもネット』という情報誌を置いてありますが、これはファンインのグループが『子どもネット』という情報誌をつくっております。
今回は渋谷にできた「ハチ公バス」というコミュニティーバスが走っています。子どもは遠くへはあまり行きません。近くで下駄履きで遊ぶのがいちばんですので、「ハチ公バスに乗って、ここに行ったら、これがあるよ」という紹介なんですね。ハチ公バスは100円で、子どもは50円で乗れるんですね。ということで、この3つが長続きしたもとかなあと思っております。
ファンインの居場所に関してはそのくらいにいたしまして、最後のところで地域がつくる居場所。この地域がつくる居場所の原点みたいなところで、そこに幾つかありますが、自立と責任って当たり前のことです。どっかから抱え込まれてやるのではなくて、自分たちが必要だと思ってつくるんだったら、費用から人から場所から自分で調達する、責任をもって運営するんだということです。
資金がいちばんつらいです。資金繰りはほとんど私の仕事で、渋谷区からはいただかないことにしています。助成金含めて、渋谷区はちょっと距離を置くことにしているんです。それは近場からもらうと、どうしても「もっともっと」というふうになってきます。頼ってしまうんですね。実際に関わっている大人は、地域の青少年委員であったり、PTAの方であったりするんですが、だからこそ、この「行政におねだりはしません」という立場を鮮明にするためにもらっていません。
だけども、学校や行政とは仲良くやっていく。一緒にやりましょう、協働スタイルを取りましょうと。
それから5番目ぐらいに書いてありますが、子どもは学校で学んでいるわけです。ほとんどの時間、学校で学んでいます。学校が元気にならなかったら、子どもの育ちにいい影響があるわけないです。だから学校が大事なんですね。学校と一緒に子どもたちのために、さまざまな活動をやっていきます。
そして最後におやじのデビューのところで、本当はここをいちばん言わなきゃいけなかったのに、時間ばっかり過ぎて本当に申しわけありませんでした。最後のところを映していただきたいと思います。
最後は「子どもの居場所を“おやじ”がつくる」ということで、これは本当にいちばん言わなきゃいけなかったんですね。父親とおやじということで、この前、蒲田さんにお聞きしました。父親とおやじの違いは「おやじは人の子を育てるんだ。だからおやじと言うんだ」というふうにおっしゃっていました。まさにそうだと思います。
やはり私たちから見ると、どうも地域活動をしておりましても、お父さんが子どもを連れていろんな活動に参加してくるときに、自分の子どもばっかり大事にする傾向があるんです。イベントなんかやると、人の子はあんまり面倒みてあげないようなのがよく見られるんですが、やはりそうではなくて、父親がおやじになるというのはとっても大事な視点だろうと思います。
そしておやじの出番ということで、先ほど最後に子どもにとって必要な居場所の場ということで申し上げましたけれども、大人になるために必要な場をつくると考えたときには、これはおやじの出番だろう。子どもを大人にしていくために、子どもの人格を社会化するために、自立していくためにおやじがどういう役割をするかということが求められているということですね。
だから子どもと一緒に社会活動に参加していく。ボランティア活動なんかはまさにそうだと思うんですけれども、最近では防災とか防犯とか、あるいはまちづくりだとか、そういうところにおやじさんたちがなかなか参加しないわけですけれども、子どもと一緒に参加してくれたら、非常にこれは子どもの育ちのなかで大きな影響を与えるだろうという意味で書きました。
続いて、どうしても父親、おやじの会の場合には、イベント型居場所が多いように思います。忙しいですから年何回か集まってイベントをするという形でやって、ほとんど疲れて一杯飲んでおしまいで退散しちゃう、そういうスタイルが多いように思うんですが、やはり日常的・継続的な居場所がつくれないのかなと。おやじさんが主になりまして、忙しいですから、若者がその子どもと関わりながら、若者とセットで日常的・継続的な場をつくれば、非常に役立つんだろう。
私たちが「1粒で2度おいしい」と言っているのは、若者自身がまだ十分に、若者というのは青年層ですね。高校生から大学生、あるいは20代の若者たちです。最近は中学生も私、仲間に入れますけれども、そういう層が子どもたちの居場所に社会参加として関わってくる。それを支えるおやじたちという形で登場してもらえれば、非常に継続的な活動が可能になるのではないかと思います。
そしてその居場所では、お父さんから子どもを「おい、おまえは一人前だ。よくやった」と褒めてもらえる。これがとても大事なことだと思います。特に他のお父さんが「おい、おまえ、一人前になったな」、具体例を挙げましてそういう褒め方をしてもらったら、子どもはぐっと育つ。お母さんから褒められるよりも、そのお父さんの褒め言葉はすごく効くのではないか。ぜひそういうことを考えております。
最後にフリーターやニートが増加していくなかで、子どもたちの働く意欲が失われています。モチベーションを持てない子どもたちが増加しています。あるファンインが「うちらの子どもたちは、親が何やっているんだかわかんないんだよね」って言いました。「親が仕事して暮らしているというのを知らないんじゃないかね」というふうに言っていました。
そこで、そのファンインで「お仕事探検隊」を計画して、地元の商店街に働きに行きました。これはおやじさんたち、鳩森ファンインのスタッフが計画をしてつくったものでした。
ですからおやじが仕事人として子どもを迎え入れてあげる。おやじができる仕事人としての役割、これがぜひ「“おやじ”の学校デビュー」のなかの1つとして、学校に出向いて「おやじは職業体験の手助けをするよ。そして職場先探しだとか挨拶回りだとか、そういうことはしてあげるよ」というふうに言ってくれると、中学校は非常に喜ぶのではないかなと思います。
昨日、中学校の先生がその職場体験を3日間やるんだそうですけれども、1人1職場でやらせたい。54人、子どもがいます。54職場が必要で、校長先生、1週間、ずうっといろんなところを自分1人で回った。「校長先生が行ったほうがウケがいいから回ったんだ」とおっしゃつていました。だから例えばそういう形でのおやじの登場というのも非常に学校としては歓迎されるのではないかなと思いました。
|