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1995/03/13 産経新聞夕刊
【打鐘が鳴る】競輪再発見(1)ドーム効果 “衣替え”でファン拡大
 
 人はそれを「ドーム効果」と呼ぶ。
 「週末には若い女性やカップルといった、今までにはあまり見られなかったお客さんがやって来るようになりました」
 今さら東京ドームの話でもない。平成二年五月に完成した日本初の屋根付き競輪場「グリーンドーム前橋」(前橋市岩神町)のことだ。同年に開催された自転車競技の世界選手権を誘致するため、総事業費百八十四億円をかけて建設された。
 「競輪場のイメージもガラリと変わりました」と前橋市競輪事務所の飯島信行係長。
 同ドームは正式には多目的イベント施設で、競輪だけでなく、他のスポーツ競技や中古車、家電品の販売場などとしても活用される。「一度ドームに足を運んでもらえれば、こんなきれいな場所で競輪が開催されていることを知ってもらえる」(飯島係長)という効果もある。
 競輪は、戦後間もない昭和二十三年十一月二十日、福岡県小倉市(現在の北九州市)でスタート。娯楽の少なかった二十年代に人気を博し、当初は四カ所だけだった競輪場が、二十七年には六十にまで増加。競輪の絶頂期だった。
 やがて、暴力団員がノミ行為を半ば公然と行うようになり、「八百長だ」と文句をつけては騒ぎ立てることがしばしば。時には観客も暴徒化し、沈静のため競輪の開催を一時凍結する事態にまで発展したことも。競輪場を閉鎖する自治体も出てきて、数は五十に減少した。
 最近では五十四年九月、千葉県・松戸競輪場で、選手の失格判定をめぐって騒動が起こり、観客が放火・投石する騒ぎにまで発展した。「もう十五年以上も前の話なのに、一般の人が抱く競輪のイメージは当時のままだ」。日本自転車振興会の村上行弘広報部長は嘆く。
 そこで登場したグリーンドーム。雨はもちろん、上州名物のからっ風も心配無用。それ以上に競輪場のイメージアップに果たした役割は大きい。予想屋も「コンサルタント」と肩書を改め、ジャケットにネクタイといった服装で“ビジネス”に精を出している。「このドームは今や新しい競輪のシンボルだ」(村上部長)
 競輪の変身は同ドームだけではない。
 横浜市・花月園など既存の競輪場に女性コーナーが設置され、女性も気軽に足を運べるよう工夫されている。また小倉ではドーム競輪場の建設計画が進められている。
 「競輪の観客の平均年齢は五十歳前後。新しいファンを掘り起こさないと先細りとなってしまう。初心者、女性、若い人。とにかく一度競輪場に来て現在の競輪の姿を見てほしい」と、村上部長は必死だ。
 女優、中村あずささんを起用したキャンペーンのキャッチフレーズが関係者の気持ちを代弁している。「ケイリンに行こう」−。
 
 同じ公営ギャンブルでありながら、中央競馬に大きく水を開けられた競輪。が、施行者、選手、ファンなどが競輪の人気回復、イメージアップのため激しい追い込みをかけている。変わりつつある競輪の今をリポートする。
(原口和久、鈴木正行)
 
 
 
 
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