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2003/11/09 読売新聞朝刊
[地球を読む]「戦後」終わった国際政治 国連改革促す好機
山崎正和(寄稿)
◇劇作家
 二〇〇三年十月十六日、国連安保理事会は決議1511を全会一致で採択した。
 内容は、イラクに駐留した多国籍軍の行動を承認し、アメリカが全軍を統合指揮下に置いて、国連にたいしてそれを代表することを認めるものであった。米英主導の連合国暫定当局も、両国が設置したイラク統治評議会も正統性を追認された。そのうえでより早く新生イラク国家を建設するために、国際社会が協力することも約束された。国連は人道支援や経済再建への貢献の強化、各国は多国籍軍への参加と一層の復興支援を求められた。
 喜ばしいことに、この新決議はイラク問題をめぐる先の決議1441を継承し、国連の立場の一貫性を宣明するものになった。振り返ると、決議1441は湾岸戦争後の旧フセイン政権の非道を非難し、停戦時になされた誓約の違反、とりわけ大量破壊兵器破棄の約束違反を疑うものであった。焦点は、破棄の立証責任がイラク側にあることを宣言し、ただちに責任が果たされなければ、「重大な結果」を招くことを通告した点にあった。
 だが、サダムは自発的な立証を怠り、国連査察団に発見の責任をおしつけた。査察団を派遣した国連も「お人よし」だったが、これはサダム側の意図的な延引策だったのは明らかだろう。化学、生物兵器はドラム缶一本分でも大量殺人を可能にするが、あの広大な国土にはトラック一台分ですら隠すのは容易だからである。サダムは弁護の余地なく決議1441を無視したのであって、その代償に「重大な結果」を招いたのは当然であった。
 ここであえて過去を振り返るのは、その間の国連に若干の混乱があったからである。安保理事会で米英と仏露が対立し、イラク進攻のための第二の決議をめぐって紛糾を見た。対立は感情的な色彩を帯び、「アメリカの単独主義」といった発言もとびかった。だが、決議1511が再確認したのは、あれは進攻の時期と手続きに関する論争にすぎず、本質的な対立ではなかったということであった。
 いまや世界の対立は近代国家とテロ、文明国と「ならず者国家」とのあいだにあり、そのまえに文明社会は一致していることが再確認された。「九・一一」という象徴的な事件を境に、第二次大戦と冷戦という二つの対立が過去のものとなり、国際政治は新しい時代に移ったことを世界世論が認めたのである。
◆日本の常任理入りへ道
■“制服の外交官”
 日本外交もこの認識に立って、タリバン平定からイラク解放まで、画期的な積極姿勢を見せ始めたようである。二つの安保理決議を通じて、日本はその成立に進んで賛成し、全会一致のために水面下の説得も展開したと伝えられる。スペインでのイラク復興会議でも、日本はいち早く最大五十億ドルの資金援助を表明し、米国に次ぐ貢献をした。その実績を背に川口外相は会議で指導力を発揮し、欧州連合(EU)にも援助の増額を迫ったという。
 政府はまた「顔の見える」支援をめざし、民政安定のために自衛隊の派遣を決定した。カンボジア、東ティモールにつづく派遣であるから、これはとくに飛躍的な政策転換ではないが、野党の一部も含む国会の態度には変化が見られる。なかでも重要なのは、携行する装備に制限が課されていないことであり、これで隊員の安全は一段と守られるだろう。
 自衛隊の最大の任務は、制服を着た外交官として現地にいることである。現地の民衆や外国の部隊と危険をともにし、テロや犯罪を恐れない日本人がいることを見せることである。細心の注意と訓練の成果を発揮し、犠牲者を最小限にとどめて、犯罪が恐れるにたりないことを実証する。そのうえで復興協力を通じて技術と組織的規律を示し、少しでも国際理解を深められれば大成功なのである。
 重ねて強調するが九・一一以来、国際政治における「第二次大戦」は決定的に終わった。テロリズムをまえに、大戦の戦勝国と敗戦国が同じ立場に置かれただけではない。国連決議について現れた各国の差異を見ても、むしろ戦勝国の米英と仏露、敗戦国の日独のあいだに、それぞれ亀裂が見られたのは象徴的であった。安保理常任理事国を構成する戦勝国と、国連憲章が規定する「旧敵国」との境界は、完全に意味を失ったといえる。
 
■援助は戦略的に
 今後の日本外交はこの事実を自覚して、これまで以上の積極性を示すべきだろう。かつての秘められた劣等感を払拭(ふっしょく)し、国際政治の責任を果たすとともに、それに必要な主張も展開すべきである。先に触れたように、イラク外交ではすでにその努力の兆候も感じられる。連合国暫定当局には日本の外交官も参加し、復興資金の管理についても、日本が個別の使途を指定できるよう発言権を確保した。金を出せば口も出すという、世界では標準となっている政策が一歩を踏み出した。
 ちなみに日本は政府開発援助の基本政策にも修正を加え、支援相手国の要求に従うという従来の方針を変更した。援助の対象について独自の評価をくだし、相手国民の真の利益と日本の国益に一層の重点を置くことになった。当然のことであって、今後はすべての援助をさらに戦略的に使わねばならない。もちろんそれは狭い国益ではなく、国際秩序の維持に日本が進んで貢献するためにである。
 この観点に立てば、日本はいまや国連そのものにも強い主張をすべきであるのはいうまでもない。当面の問題だけを見ても、昨今の国連事務局の行動にはかなりの危惧(きぐ)が抱かれる。たとえばアナン事務総長は決議1511の採択に先立ち、米国の提案に公然と批判を加えたばかりか、自分の立場に迷って安保理事会を四十五分も遅刻したという。これは憲章九九条が定める総長の権限を逸脱し、いちじるしく公正を欠く態度だといえるだろう。
 また事務局はバグダッドの治安不良を理由にして、代表部の国外撤退を総長の指示で決定した。だがイラク国内には数千の国連職員が働いており、それには退去が命令されていないのだから、この決定には合理的な一貫性が見られない。象徴的な意味を持つ代表部だけの撤退は、アナン氏による何らかの政治的な表現と疑われてもやむをえないだろう。
 
■敵国条項は不要
 日本は国連財政の20%を分担する国であり、米国についで世界第二の貢献を担う国である。中国の1.5、ロシアの1.2%に比べて、桁(けた)違いの国連大国だといえる。そういう国が事務局の昨今の過ちをたしなめ、是正を求めるのは権利というより、むしろ責任というべきであろう。
 だが念をおすまでもなく、日本が主張すべき国連改革はその先にある。設立時の国際対立の構図が終わり、任務も質的に変化した以上、国連憲章は改正されなければならない。いわゆる「敵国条項」は撤廃されるべきであり、旧戦勝国が拒否権を持つ安保理事会が改組されるのも当然だろう。世界秩序の維持に熱意を抱き、その能力を持つ国が偏見なく常任理事国に選ばれることを、日本が明確に求める歴史的な環境が整ったようである。
 
〈敵国条項〉
 国連憲章第53条では、地域的取り決め(機関)による強制行動(軍事行動)は安保理の許可が不可欠とするが、「敵国に対する措置」の場合は例外としている。「敵国」は第2次世界大戦中に国連憲章署名国の敵国だった国と定義。
◇山崎正和(やまざき まさかず)
1934年生まれ。
京都大学大学院修了。文学博士。
大阪大学教授を経て、東亜大学学長。劇作家、評論家。
 
 
 
 
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