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1993/10/20 産経新聞朝刊
【安保理常任理事国入り私はこう考える】
神戸大教授・五百旗頭真氏
 
 明治以来の近代日本は、国際的地位に過敏でありながら、高い地位を得ると何をすればいいか分からないといった傾向があった。地位や序列に過敏なのは、帝国主義時代の弱肉強食の国際政治の中で育ち、徳川時代に精巧に組み上げられた国内序列社会の常識で国際政治を見たからである。
 不平等条約への憤慨、「一等国・イギリス」と対等の同盟を結んだときの感激、「三大海軍国」の誇りが「対米六割」という数字によっていたく傷つけられて狂気を発したことなど、地位、序列への神経症は痛ましいばかりだった。
 それほど「一等国」になりたいのに、世界のリーダーとしてやりたいことが、実はなかったのだ。第一次大戦後のパリ会議に日本は「五大国」の一つとして赴いた。だが、政府は日本全権に自国の要求事項以外の発言は控えるよう指示した。世界の方向づけへの定見はなく、自己利益と自国の地位ばかりに過敏な「狭小なしっかり者」、それが近代日本の姿だった。
 では、今日の日本は成長しただろうか。国連安保理の常任理事国入りのため悲壮感をもって努力する必要はない。国際社会とは、勝手な国益ゲームをやっているようでいて、普遍的ルールや正当性を重視せざるを得ない世界であり、日本やドイツをはずすことは日に日に困難となるからだ。
 むしろ日本が本気で対処すべきことが二つある。まず国連改革をグローバルな視点から積極的に提案することである。結論のみを言うなら、新旧全常任理事国の拒否権を廃し、四分の三の多数決制を採ってはどうか。一国ではなく複数の主要国が反対すれば否決されることになる。
 さらに、日本がどのような国際的役割を果たすのかを明らかにし、国連改革を待たずに実施することである。ドイツは「憲法を改正し、すべての任務を行う用意がある」と宣言した。日本に同じことは言えまい。
 戦後日本の経済中心主義に湾岸戦争の結果、国連平和維持活動(PKO)が加えられ、カンボジアでの初体験に成功した。国連の平和維持隊(PKF)への参加はどうか。国内法制から見れば不可だが、国際的な必要性は明白だ。停戦合意のない地域への平和の強制はどうか。道義的にはなすべきでも賢明かどうかは疑わしい。軍事面では控えめな日本が、実は世界にもっとも必要なものを提供し得る、と説けるか否かが問題なのである。(談)
◇五百旗頭真(いおきべ まこと)
1943年生まれ。
京都大学大学院修了。
広島大学政経学部助教授、米ハーバード大学客員研究員を経て、神戸大学法学部教授。
 
 
 
 
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