2003/10/01 産経新聞朝刊
【国連再考】(28)第3部(8)刊行物の「検閲」
■特定の国の批判は削除
国連の各機関が出す報告や発表の文書は自己の活動の宣伝を第一義とするため、他者に対してはあたりさわりのない記述になることがまず常である。だがなにしろ刊行物の量が膨大だから、この暗黙の原則を破る内容も出かかり、思いがけない騒ぎを起こすこともある。
そんな騒ぎの典型として記録されているのが国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)で一九八八年に起きた事件である。スイス出身の当時のジャン・ピエール・オッケ高等弁務官は同事務所が定期的に発行する雑誌「難民」の最新号約十四万部を破棄する措置をとった。
同誌に当時の西ドイツ政府の難民や亡命者の受け入れ不足を批判するリポートが出ていることが理由だとされた。西ドイツはそのころ難民高等弁務官事務所への拠出金の主要な提供国だった。破棄はスポンサーの機嫌を損なってはならないという弁務官の政治配慮なのだろう。だが刊行してすぐの雑誌十四万部の破棄と刷り直しの作業のコストも安くはない。
一九九五年に国連創設五十周年を記念して出版された「希望のビジョン」というタイトルの記念本をめぐる騒ぎはもっと複雑だった。国連はこの五十年史本の編集と刊行をイギリスのリージェンシー・プレス社に委託した。同社が発行したエリザベス女王の記念本の立派なできばえを国連側が評価しての委託だったという。
同社は国連五十年史の各章の執筆者たち二十人ほどを主としてフリーのジャーナリストから独自に選んだ。書く記事の内容については同社と執筆者とが独立した権限を持つという理解だった。
だが、いざ記事が書かれて、最終の編集段階となると、その内容が国連側の強い指示によって一方的に修正され、削除されてしまった。執筆者たちは抗議し、削除の措置が撤回されないことがわかると、うちの十五人が自分の名前を執筆者陣から消すことを求めた。
「希望のビジョン」の編集長として執筆者たちを統括したイギリス人のジョナサン・パワー氏は「国連側は合計七十カ所も削除した」として「この措置は言論の自由を抑圧する検閲であり、知的浄化の行為だ」と非難した。パワー氏らが発表し、国連側も認める「検閲」の代表例は以下のようだった。
▽ダライ・ラマ十四世が九三年のウィーンでの国連の世界人権会議で演説を求めたが、禁止されたことを書き、世界人権宣言に関するダライ・ラマの発言を引用したところ、国連側からいずれも削られた。
▽国連人権委員会が人権侵害の疑いがあるとして特別調査報告者を任命した対象の国家としてイスラエル、チリ、エルサルバドル、イランなどの名を書いたところ、国連側から国名をいずれも削られた。
▽イラクと北朝鮮が核拡散防止条約に違反したことを書いたところ、国連側からその記述全体を削られた。
▽日本政府が世界保健機関(WHO)の事務局長選挙で自国候補の中島宏氏に当選させるため、票をカネで買ったという非難や、事務局長となった中島氏が同機関の運営にしくじったという批判があったことを書いたところ、国連側からいずれも削られた。
国連のこうした動きに対しロンドンに本部をおき言論抑圧への抗議活動をする国際民間組織「第十九条」がパワー氏らを擁護する形で非難の声明を出した。
「国連は世界人権宣言を順守して言論の抑圧を糾弾すべき立場なのに、自らが検閲官となり、情報を勝手に管理し、秘密と偏見の文化を広げるようになった」
この民間組織は世界人権宣言のなかで言論の自由をうたう項目の第十九条から名称をとっていた。
国連側はこうした抗議に対し、五十年史刊行の責任者の米国人ギリアン・ソレンセン事務次長が反論した。
「国連の刊行物では個々の国の具体名をあげて批判はなるべくしないのが慣行であり、とくに創設五十周年のような記念の刊行物では特定の国を糾弾することは避けるべきだ。『希望のビジョン』の執筆者たちはみな雇われライターであり、雇った側の国連が最終原稿を自由に調整し、編集する権利がある」
この説明にも一理はある。だが執筆者たちと衝突し、その名を撤回させてまでダライ・ラマの言動や国連人権委員会の動向という周知の事実の記述を削ることもバランスを欠くようにみえる。
(ワシントン 古森義久)
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