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1996/12/20 読売新聞朝刊
[国連加盟40年](3)「貢献」印象に残らず(連載)
 
 アフリカのルワンダでは九四年の大虐殺を契機に起きた内戦でツチ族中心の政権が樹立、フツ族の多くが難民化した。主な避難先はザイール。その難民が今年九月末の避難先周辺での戦闘に巻き込まれ、百万人以上が流浪化した。こうした緊急事態になると、民間活動団体(NGO)の活動も活発になる。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)などに、活動案を提示、認可を得て活動を開始する。
◆欧米NGOと実力差
 だが、日本のNGOであるアジア医師連絡協議会(AMDA)の関係者が十一月八日にルワンダの首都キガリで案を提示すると、「他のNGOは三か月以上前に来ている。今ごろ来たって」と冷たい反応。欧米のNGOの実力を思い知らされた瞬間だった。
 「資金力、経験、情報網。どれを取っても、今の日本のNGOにないものばかり。でもかえって励みになった」とAMDAの大谷啓子さん(30)は語る。結局、AMDAは、医師、看護婦、医薬品を車に載せて移動診療所を開設、帰還する難民と一緒に動き、懸命に診療にあたった。最後はUNHCRから「いい事業」と評価され、「一矢報いた思い」だった。
 「緊急事態発生時、UNHCRが緊急調査団を派遣する際、欧米のNGOは彼らと同じ便で現地に入る。日本のNGOでそこまで出来るところはまだない」
 NGOの活躍と発展は、外交の有効なカードだが実力的に差があることを、ジュネーブの日本政府関係者も認めている。
 国連を通じた日本の人道援助活動への貢献は金銭的に見れば大変なものだ。UNHCRへの拠出金も、九五年は米国の二億二千七百万ドル(一ドルは約百十三円)、欧州連合(EU)の二億七百万ドルに次ぐ一億二千百万ドルで第三位。緒方貞子氏がUNHCRのトップになった九二年以来、この額を維持しているから、毎年あてにできるという意味で国連への貢献度は高い。
◆顔が見えない日本
 「でも、金には名前が付いていない。国連職員の間でも、日本からの拠出の発表があるたびに『おおっ』と驚きの声は漏れるけど、それだけ。さっぱり顔が見えてこない」
 国連欧州本部に勤務する日本人職員が悔しがる。
 人的貢献の問題もある。
 国連は、ルワンダに百十九人の人権監視団を派遣、人権法の整備、人権思想の啓もう、人権侵害事犯の調査報告に当たっている。九七年にはこれを三百人規模にする計画があり、政府は日本人の監視団員派遣を検討している。しかし、人権問題での実績、法律の知識に加え、英語、仏語の実力という条件をクリアでき、月々二、三千ドルの手当で我慢できる日本人がどれほどいるだろうか。
 ジュネーブには、国連欧州本部をはじめ、UNHCR、世界保健機関(WHO、中島宏事務局長)、世界貿易機関(WTO)など、軍縮、人権、環境、国際経済問題を扱う各種の国連機関が集中している。
 条約や協定作りは、参加者がグループに分かれ、異なった立場や主張を粘り強く調整していく。日本の外交官も最近は、議長役を務める機会が増えたが、相変わらず「顔が見えない」という評価が付きまとう。
 日本は「西側先進国の一員」「アジアグループの代表」「非核先進国のまとめ役」など、様々な立場を受け持っている。人権問題では、社会経済的発展を優先するアジア諸国と、政治的、市民的権利を重視する欧米先進国との橋渡し役だ。
 国連人権センターのジョン・パチェ研究開発部長は「国連の人権へのアプローチがここ十年変わる中で日本の果たした役割はどの国よりも大きい」と評価する。だが、こうした貢献が、対外的にも国内的にも説明されていないから、国民にも他国にも印象的な実績として知られていない。
 「経済面だけでなく人材育成を含めた真の国力の向上と明確な外交戦略がなければ、積極的な国際貢献はあり得ない」
 ジュネーブの日本政府関係者は自戒の念を込めて、語っている。
(ジュネーブ 佐藤伸)
 
 
 
 
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