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1997/08/09 毎日新聞朝刊
[国連改革と日本]常任理事国入りを問う/7止 政治の「不在」
◇国家観に欠けた論議、情勢変化対応できず
 1995年9月20日。村山富市首相(当時)の下に設置する懇談会をめぐって「政」と「官」が水面下で激しい綱引きを繰り広げた。
 第2次村山内閣の発足にあたって、常任理事国入りに慎重な方針を掲げるさきがけは、政権参加の条件として9月末までに国連改革のための検討機関を設置するよう首相に申し入れていた。常任理事国入りを目指す前に、日本独自の国連改革案をまとめるべきだとの考えからだった。
 ところが、野坂浩賢官房長官(当時)が20日午前の会見で発表した懇談会は、1カ月後の国連50周年記念総会での首相演説を検討する機関と説明された。これを知った田中秀征さきがけ代表代行(同)は直後に野坂氏に電話を入れ、国連改革案を検討する懇談会に改めるよう迫った。野坂氏は、その日午後の会見で「国連改革案も検討課題とする」と軌道修正した。
 さきがけの要求に、内閣外政審議室が横ヤリを入れ、骨抜きを画策したのが事の真相だった。田中氏は記者団を前に「外政審議室が意図的にやったのなら重大問題だ」と息巻いたが、懇談会は結局、国連改革案に手をつけることなく、首相演説を検討しただけで立ち消えに終わった。
 懇談会設置をめぐる騒動は常任理事国入りに向けた動きが終始、官僚ペースで進んでいることを象徴していた。国家の進路にかかわる問題でありながら、常任理事国入り問題で「政治」が主導権を握った場面はほとんどない。
 常任理事国入りとなれば、凍結している国連平和維持軍(PKF)の参加論議が噴き出すのは避けられない。国連平和維持活動(PKO)経費も含め分担金がさらに増すことになるが、長期的な財政負担能力を見据えたうえの議論は皆無だ。
 田中氏は「こんなに大事な問題を外務省はなぜどんどん進めるのか。合意形成に向けた誠実な努力を欠いている。そんなことで地位を得ても国民的支援はない」と、外務省の独走を批判する。
 とはいえ、「政」の側に、常任理事国入り問題を積極的に論じようという動きは見受けられない。最近では橋本龍太郎、小泉純一郎の両氏が常任理事国入りをめぐって積極論と慎重論をぶつけ合った95年9月の自民党総裁選での論戦が目立つぐらいだ。
 論議が沸き立たない背景には、常任理事国入りが国家の「格」にかかわる問題ととらえられ、ナショナリズムに触れて真っ向から反対しにくい心情が働くことや、「外交問題に関心を持つ政治家が少ない」(外務省筋)ことがある。しかし、最も重要なことは政治の側が、冷戦後の日本が進むべき国家の基本路線を見いだせないことにある。
 日本が最初に常任理事国入りに意欲を示したのは、70年の国連総会での愛知揆一外相演説だった。2年後の国連総会でロジャース米国務長官が日本を後押しする発言をしたが、この時は台湾に代わって常任理事国入りした中国をけん制する狙いがあった。
 その後、立ち消えとなった安保理改革論議が再浮上したきっかけは、90年の湾岸危機だった。冷戦構造崩壊後に多発する地域紛争の処理に向けた安保理の役割増加、日独の政治大国化、国連の財政難など、常任理事国5カ国(P5)が牛耳ってきた国際社会の枠組みは、変化する現実に対応できなくなっていた。
 だが、日本はPKO協力法を難産の末に成立(92年)させたものの、その後のあらゆる政治エネルギーは政局の主導権争いに注がれた。国内政治は「内向き」のまま、急激な国際情勢の変化から置き去りにされたのである。
 「個々の政治家が自らの国家観に基づき常任理事国入り問題を議論してもらいたいんだが、政権がコロコロ代わってしまったからね」。外務省幹部の一人は嘆く。
 国連の目的は「国際の平和と安全を維持すること」(国連憲章第1章第1条)。常任理事国になった日本が国際社会といかに向き合い、安保理で具体的にどんな役割を果たすべきか。それを政治が問うことなしに、常任理事国入りの国民的コンセンサスは得られない。=おわり
 
 この連載は小松浩、山田研、桜井茂(以上政治部)、河野俊史(ニューヨーク)、岸本正人(ワシントン)、岸本卓也(ボン)、大澤文護(ソウル)、飯田和郎(北京)、高橋龍介(モスクワ)が担当しました。
 
 
 
 
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