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1997/08/05 毎日新聞朝刊
[国連改革と日本]常任理事国入りを問う/3 被爆国の役割 言行不一致に不信感
◇対米追随脱却なるか
 「すべて核保有国の安保理常任理事国の中に、わが国がもし入ることができれば、唯一の被爆国、非核保有国としての立場から一層、核軍縮の分野でも積極的に、独自性を持った行動を展開できる」
 昨年1月30日の衆院予算委員会。橋本龍太郎首相は安保理常任理事国入りした際の日本の果たすべき役割を強調してみせた。
 しかし、首相がいう日本の役割の実現性に関しては、はなはだ心もとない。これまで日本は「唯一の被爆国」と唱えながら、核兵器関連の国連決議で後ろ向きの姿勢を続けてきたからだ。
 日本の国連活動を研究してきた河辺一郎・愛知大講師によると、1961年の核兵器使用禁止宣言決議で日本は米国や英国の反対を向こうに賛成票を投じたが、2年後の核兵器使用禁止条約会議開催決議で棄権に転じて以来、この種の決議で一貫して棄権か反対の姿勢を取り続けた。「米国の歓心を買うことしか頭になかったからだ」と河辺氏は指摘する。
 「言行不一致」が、他国の批判を浴びたのは言うまでもない。79年から83年まで国連大使を務めた西堀正弘氏は、かつて日本記者クラブで、こう発言した。
 「(他国から日本の姿勢を)指摘されたが、明確な回答はできなかった。さりとて『これは米国との関係があるからね』とはっきり言うこともできない」
 「対米追随」が本音であれば、日本の反核姿勢が各国から疑われても仕方がない。フランスが、シラク大統領が再開して2回目の核実験を強行した95年10月。与党3党が核実験抗議の訪仏代表団を送り込んだ時のことである。
 面会した仏政府高官たちは、日本側の抗議もそこそこに聞き置き、口をそろえて「安保理改革をどう考えるか」と日本の常任理事国入り問題に水を向けた。
 日本の反核政策を見透かしたフランスが、「抗議が執拗(しつよう)なら、日本の常任理事国入りは支持しないぞ」という無言の圧力をちらつかせたといえる。
 それが非常任理事国に加盟国最多の8回当選を果たしながら、対米追随に終始してきた日本を見る国際社会の厳しい目だった。日本が国連での主体性を放棄し、日米同盟に身をゆだねすぎたことへのツケでもある。
 同じことは常任理事国入りした際の軍事的貢献への懸念にもいえる。94年9月、河野洋平外相(当時)は国連総会で、「憲法が禁ずる武力の行使はしない」と明言したうえで、「常任理事国として責任を果たす用意がある」と表明した。
 懸念の一つには、湾岸戦争を境に国連が安全保障問題への比重を強めていたことがある。92年6月にガリ事務総長は「平和への課題」と題する報告書をまとめ、紛争処理での平和執行部隊の派遣を打ち出した。軍事色を強める平和維持活動(PKO)への危ぐが河野演説につながった。
 政府は、国連憲章に常任理事国に対する軍事的義務が明記されていない点を根拠に「軍事的貢献を求められることはない」と表向き否定する。ガリ氏の平和執行部隊構想が93年のソマリアでの失敗でとん挫したことに加え、最近の安保理が扱うテーマが難民や選挙監視など軍事面以外の幅広い分野に及んでいることも背景にある。
 しかし、懸念の本質は違うところにある。米上院が94年、日本の常任理事国入りには軍事行動を含むPKOへの参加を条件とすべきだとの決議を2度にわたって全会一致で採択したことだ。
 湾岸戦争の際に日本は、米国が求める多国籍軍への後方支援を拒んだ結果、多額の出費を強いられた。2度目の悪夢はないのか。
 日本が問われているのは、対米追随から一歩抜け出し、国際社会で果たす役割を具体的な行動で示すことができるかどうかにある。=つづく
 
 
 
 
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