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1993/03/16 毎日新聞朝刊
<新時代の国連>/5 ガリ事務総長 したたかな戦略家
 
 エジプト・イスラエル平和条約(一九七九年調印)の基本合意に達した、米・エジプト首脳会談(七八年の米キャンプデービッド)で、エジプト外相だったガリ国連事務総長の存在は国際社会に知れわたった。穏健、学者肌のインテリのイメージであったが、総長就任後にガリ評は大きく変わる。「独断専行」「頑固」という批判から「強力なリーダー」との称賛まで、国連内外の評価は千差万別。そして最近になって「アラブ特有の戦略家」との見方が出てきた。その評価の中に批判と称賛が織りなされている。
 コンゴ危機(六〇年)を除けば国連史上例のない騒々しさに包まれるニューヨーク国連本部三十八階の事務総長執務室。この司令塔からガリ総長自身がポスト冷戦の国連新時代を演出している。
 デクエヤル前事務総長は信頼する側近集団を形成していた。冷戦下で政治駆け引きが不可欠だったのだが、ガリ総長は国際問題の現実的解決に専念できるようになった。
 必要なのは情報と専門知識である。このため、分野別に少数幹部を集めて検討。幹部たちには詳細な報告書を求める。「短い報告書は受け付けない」と側近の一人でもあるシルス国連スポークスマン。
 夜型のガリ総長は、読み切れなかった報告書を自宅に持ち帰り、丹念に目を通し、赤線を入れ補足説明や変更を求める。週末でも幹部たちに連絡。「月曜日の朝に報告書を提出してほしい」と要求する。
 「報告書のマスター(完ぺきな分析)」が、ガリ総長の日課になっている。
 側近集団の意見よりは、情報と問題点の分析、分野別専門家の見解を重視する。このためか、主要幹部の雇用形態はおおむね「一年ごとの契約」になった。このガリ・スタイルが浸透した今、ある国連職員は「事務次長レベルでも、ガリ総長に直言できる人物がいなくなったと言われる」と証言する。
 「頑固・独断」という批判の一因だが、幹部の見方は違っている。「インテリには珍しく、ガリ総長は聞き上手だ。分野別の少数専門家会議を行うから誤解されているのだ」
 キリスト教徒のガリ氏はエジプト政界では「傍流」と見られ、当時、日本政府はあまり関心を払っていなかった。だが、ガリ総長の人脈は世界各国の元首や閣僚、官界に広がっている。「総長の国際電話料金はすごい額になっている」と側近筋は言う。時間を見ては世界各地に電話をかけ意見・情報を交換しているのである。
 詳細な報告書の分析と個人情報、分野ごとの専門家会議を経て、ガリ総長はそこに自分のアイデアを盛り込む。多国籍軍ソマリア派遣提案も、こうした作業を通じ短期間で生まれた。
 その提案の中にガリ総長の戦略が潜んでいた、と国連幹部は言う。「指揮権を国連にゆだねる」という、米国からすれば到底納得できない案を主張。そして、妥協含みで前例のない人道支援目的の多国籍軍派遣を実現した。
 「ちょっと過激な発言や提案で、世論の反応をみて修正する。この一年間のガリ総長のやり方を見ていると、それがアラブ流戦略のように思える」と、ある国連外交筋。昨年八月にロンドンで「ユーゴは金持ちの問題だ。もっと苦しんでいる部分がある」と国際社会にソマリア問題を喚起させたのが実例だと指摘した。
 ロンドン事件と呼ばれるガリ発言は猛反発を食らったが、現実にはソマリア派遣が実現し、その一方でユーゴ紛争の国連平和活動が強化されている。
 訪日直前に一部マスコミが報道した日本国憲法改正発言も、このしたたかなガリ戦略の一つかもしれない。
(ニューヨーク・田原護立)=つづく
◇メモ
【国連事務総長】
 安保理の勧告に基づき総会が任命する国連事務局の長。国連の活動状況について総会で年次報告を行うほか、世界平和を脅かす問題について安保理の注意を喚起できる。現在のガリ総長は、リー(ノルウェー)、ハマーショルド(スウェーデン)、ウ・タント(ビルマ=現ミャンマー)、ワルトハイム(オーストリア)、デクエヤル(ペルー)に次ぎ6代目。給与は手取りで年間約19万3000ドル(約2300万円)。
 
 
 
 
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