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1988/10/18 読売新聞朝刊
[社説]天皇陛下ご闘病の1か月
 
 天皇陛下が吐血されて、一か月になる。ご病状は、なお予断を許さないが、陛下は病床から、長雨によるイネの作柄を心配されたり、「良宮はどうした」と皇后さまを気づかわれたり、来春に出版予定の「皇居の植物」に思いをはせられるなど、強いご意志で重い病と闘っておられる。
 侍医団や看護婦など側近の昼夜を分かたぬ献身、すでに八千ccを超す血液を供給している日赤の努力、それに、連日お見舞いを続ける皇太子ご一家をはじめ皇族方が、ご闘病の大きな支えになっている。
 ご平癒を願う国民の記帳も、五百万人を超えた。常に誠実に国民と接して来られた陛下のお人柄への敬愛の情、波乱の時代を共に生きたことへの共感を口にする人も多い。
 だが、これだけ多くの人々を記帳に向かわせたものは、八十七歳のご高齢の陛下を案じる、人間としての自然な心情ではなかっただろうか。陛下のご病状の揺れにあわせ、天候にかかわりなく、記帳者の数が増減したことが、それを物語っている。
 それにしてもこの一か月、陛下のご平癒を願う私たちの気持ちの表現をめぐって、さまざまな混乱や議論が起きた。
 象徴天皇の重い病気、という初めての経験の中で、主権を有する国民としてどう行動すべきか、だれもがとまどい、迷った結果とも言える。
 その代表が、各種行事の自粛だろう。閣僚の海外出張取りやめと、各自治体の行事自粛が引き金になった感はあるが、自粛の波は、私たちの生活のあらゆる分野に及んだ。中には、日常生活に必要な催しを始め、学校の運動会、歌番組の歌詞やCMの中身など、行き過ぎと思える自粛もあった。
 迷った末に、とりあえず多数派に歩調を合わせる“安全策”を選んだ人も多かったかも知れない。良くも悪くも、大勢順応志向の国民性が、ここにも顔をのぞかせたように思われる。
 小渕官房長官は「国民の日常的な社会、経済生活に著しい支障が出ることになっては、いかがなものか。常々、国民のことを考えておられる陛下のお心に沿うものではない」と過度の自粛ムードの鎮静化に努めている。皇太子殿下も同様の発言をされた。
 行き過ぎた自粛は、長い目で見ると人々の共感を得られない。この多様な世の中で、ご平癒を願う行動や意思表示のし方に、人それぞれの考え方があっていい。立場によっては自粛反対の声もあるだろう。
 その意味で、多様な意見が登場したこの一か月の論議は、改めて日本社会の平衡感覚を示したように思える。それは、個々の自主的判断が保障されている証明でもある。
 ただ一部には、記帳や自粛の動きを、戦前の天皇制と結びつけて危惧(きぐ)する声もあった。だがそれは、戦後四十余年、私たちが積み重ねてきた民主化への努力を、過小評価しすぎる議論だろう。
 陛下は憲法で日本国と国民統合の象徴と定められた立場である。その象徴に対する自然な敬愛の情や、ご病気を気づかう気持ちもまた、尊重されなければならない。
 ご高齢の天皇が、重い病と闘っておられる時、自粛にも批判にも、人としてのおのずからの節度が求められる。
 
 
 
 
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