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2003年8月8日(金)19:00〜21:00
事例報告
社会福祉法人 太陽の会/小規模通所授産施設太陽パン 理事長
岡崎 務 氏
参加者:9名(一般7名 大学生2名)
内容>
[テーマ] 私たちが考え、取り組んできたこと。そして、今、考えていること。
子育てのいきづまり、子どもの虐待・子ども同士の殺人・母が娘のいじめに電話する・息子の友人宅に放火・知的障がい児の虐待件数が年々多くなっている。
[レジュメ]
1. はじめに
・ 「太陽パン」(1987 S62年開店 2002年 H14年法人化)の紹介
・障害者福祉は 今 大きな変化の時期にある。
2. 「太陽パン」をなぜはじめたか。
「太陽パン」を始める前の状況
・親の会の再建(1975 S50年) 「障害者に側に立つ親の会」「この子らを世の光に」する運動をめざして
・国際障害者年(1981〜1991)
「障害者にとってすみやすい社会は、健全な人にとっても住みやすい社会」
「障害者を排除しない社会が、健全な社会である」
・ 卒業後「行く場」のない状況と、仲間と共に地域での暮らしを作ること
・作業所助成を制度化する取り組みを進めるために。
・先進的取り組みの見学 資金つくり
「協力しあうこと」の実践体験
・開店へ向けての様々な協力者のひろがり。
・そして、「おからクッキー」のこと
3. 社会福祉法人設立の取り組み
・法の改正
・法人化をめざした三つの動機
・基本財産募金運動
4. これからの課題
・作業所(施設)の新設整備。
・地域生活支援システムの構築
5. おわりに
・「まとまること」の意義
・孤立しない仕組みを自分達で作ること。
[はじめに]
新しい時代は、始まっている。・・・地域生活支援システムの構築を・・・
昨年10月 北海道洞爺湖に隣接する伊達市(人口3万5千人)に視察。実に107箇所ものグループホームが開設されている。伊達市では 不動産会社自らホームに勧誘があり、各部屋には調理室を設け、またたくさんのメリットを提示し確実な団体が管理している。障がい者がもう町の中に入っていると感じた。また昨年 11月宮城県では、全ての障がい者施設を廃止し、知的障がい者485名を100箇所のグループホームに分散し、町の中での受け入れを始めた。地域コミュニティでの 受けいれ 障がい者の生き方の転換期を迎えたのである。
[障がい者自身が声をあげる]
国際障害者年(1981〜10年間)より 障害者自身が 声をあげ街を変えていく。
八王子の電動車椅子今岡さんの場合
東京の八王子に障害者ハウス「八王子自立生活センター」がある。脳性まひの今岡さんは親元を離れて、4人で自立生活ホームで生活をしている。話しをするたびにイスからずり落ちながら毎日八王子の駅に出る。駅で駅員さんに階段を抱えてもらううちに、駅にエレベーターがつけられた。今岡さんは、いろんな駅に出向きエレベーターをつけてもらうように試みるのです。そういう風に生きているという障がい者が次々に現れ、障害者自身の考え方、障がい者に対する見方が障がい者自身も回りの人たちも、法律も、変わり見直され始めた。当時の知的障がい者と老人の管轄は県であり、地域の住民(市町村)と認めてないのではないかと思った。
小規模作業所またはグループホームが街で暮らすために、全国で約300箇所が増え、約6000箇所の無認可作業所が活動しています。90年代から作業所を保護をするために、95年に勧告が出され 社会福祉 障害者の権利・地域コミュニティー中心のサービスを利用者が選べる「利用者選択制度」を2003年度から導入し、行政による措置制度が改められ 利用者が自ら事業者と契約を結ぶことになる。また2000年に福祉法制定により法律が変わり 法人認可が基本財産一千万円と不動産も借地も認められ、時代の変化を遂げた。
[設立経緯]
長男1968年(S43)年に生まれ「ひまわり学園」に入園。北九州市には知的障害者の通園施設は当時「ひまわり学園」だけしかなく、ひまわり学園を出ると行く場がないと言うのが北九州の昭和40年代前半までの状況だった。当時は、まだ知的障害者達には就学義務がなく 義務教育が実際に受けられるようになったのは昭和54年(1974)からだったのである。 この頃の親の運動と、要求は「行く場がない、行く場が欲しい」「行く場を作ってもらいたい」ということだけだった。昭和40年代に入ると、養護学校内に高等部ができ、卒業までの10年間は保証される。昭和50年代に入り、通所施設が出来卒業後の進路は保証されたが、60年代にはどの施設も一杯で入れる状態ではなくなった。しかし、北九州市には作業所を助成する制度がなく、また市からの言い分は「助成する作業所がないのではできない」との回答であった。で、「作業所を助成する制度」を創るために、長男が卒業した1987(S62)年に小規模作業所「太陽パン」を始めることになる。その2年後に北九州市が同じ内容の制度を制定した。現在、市内には知的障害作業所だけでも16箇所に増え、全作業所では47箇所になっている。
[この子らを世の光に]する運動
教育者の糸賀 一雄さんの言葉で「この子らを世の光に」という言葉を聞く。
この子らは、このすさんだ世の中の、あるいは曲がった世の中に染まらない純粋な人間の集団だ。この人たちこそ世の中の光にしないといけない と・・・感銘を受けた。
[太陽パンについて]
「小規模通所授産施設 太陽パン」の概要
沿革:養護学校高等部を卒業した知的障害者が、地域社会の中で仲間と共に暮らしていく場として、昭和62年10月1日「障害者と共に歩む手作りパンの店・太陽パン」を、4組の母子で開設。以降、15年間無認可作業所として、おおむね10名の知的障害者が活動を続けてきた。その後、平成14年7月15日、社会福祉法人太陽の会の設立により、「小規模通所授産施設太陽パン」として認可され今日に至る。
施設名:小規模通所授産施設太陽パン
法人名:社会福祉法人太陽の会(1683名の寄付 13,268,512円)で設立
目的・方針:知的障害者の社会参加と自立生活を支援すること。
地域社会の中で障害者と共に、パン、クッキーの製造・販売の共同作業を実践することによって、多くの人々の出会いを生み、社会に参加していることの自覚を育むこと。障害者の実際を知ることによって、障害者福祉の理解を深めること。以って地域福祉の一層の振興に寄与すること。
[活動内容]
作業内容:各種パン、及びクッキーの製造と販売
活動人数:利用者定員 11名
生活指導内容 共同作業を通して、助け合うことの実学習。販売活動等による身だしなみ、挨拶等社会ルール、マナーについての指導、助言
主要品目:おからクッキー北九州銘菓 「ひびきの風」と質の良い素材を使った各種パン
活動時間:午前8時〜午後5時
但し、利用者は 午前8時30分〜午後4時30分
土・日・祝日及び年末年始夏期は閉所 おおむね午前中 パン・クッキーつくり 午後 配達及びクッキーつくり
[質疑応答]
Q1. ルート販売 車の運転 他の職員と障害者との割合は?
知的障害青年 10名 親 3名
運転ボランティア 週1回 1名 で 構成
Q2. 障害者の活動範囲は、どこまでなのか? 配送のみ?接客までするのか?
今のところは 配送のみをしている。が 保育所等のイベント時 出向き障害者とパンつくりの交流を持ち行事参加することがある。
Q3. クッキーの製法は?
始めはひとつひとつ絞っていた。が、今は型枠に流し成型している。彼らは、とても厳格であり前日からの用意1グラムも間違わずに材料準備をしてくれる。大事な仕事をこなしてくれている。
Q4. 後継ぎ 次世代につなげるためには?
今の時点が問題であり、後の問題は今は考えられない。何かがあったとしても 社会全体が関心を持つように何かの支援と生活が 保証されると信じている。「太陽の会」は残っていく。
太陽パンが できるまでのお話。とても興味深く伺いました。飾り気のない ざっくばらんなお話面白かったです。 |
子どものため そして自分自身のため働いている。行動力と責任の重さを教えていただきました。 |
皆の いろんな質問に答えていただきありがとうございました。とても勉強になりました。ありがとうございました。 |
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