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(3)国後島古釜布湿原の植生調査報告
冨士田裕子・東隆行・加藤ゆき恵
 
 古釜布湿原は国後島中部の太平洋に面した古釜布(ユジノクリルスク)市街地の北西に広がる湿原である。湿原は、古釜布沼から海岸砂丘にかけて東西約6km、南北約2kmに渡って広がっており、中心部には高層湿原植生が、東側の河川に近い部分にはミズゴケの少ない中間湿原植生がみられる。本湿原南側の砂丘林では戦前に舘脇らがアカエゾマツ林の調査を行っており、古釜布湿原と北海道東部の春国岱でしか確認されていない砂丘上のアカエゾマツ林が報告されている(舘脇・平野1936、舘脇 1944)。
 一方、古釜布湿原には希少種のムセンスゲが生育していることが知られている。ムセンスゲは、北米・北欧・千島列島などに分布し、日本国内では大雪山高根ヶ原湿原(標高約1700m)と猿払川湿原(標高約15m)に隔離分布している。また、北海道が極東地域における分布の南限で、産地極限のため絶滅危惧植物(VU)に指定されており、ロシアでもレッドデータプランツとなっている。
 学術的にも貴重なアカエゾマツ砂丘林を含む古釜布湿原、および特徴的な分布をするムセンスゲの生育環境を明らかにするために、古釜布湿原に於いて植物社会学的手法に基づいた植生調査及び微地形測量を行なった。なお、本調査報告では、解析の進んでいる湿原部分についてまとめる。
 調査は古釜布湿原のうち、古釜布沼の岸近く(以下、F11 地点とする)、古釜布沼南東側(以下、FL地点とする)、古釜布沼南側(以下、中心部とする)の3地点で行った。
 
結果および考察
1. 群落区分
 古釜布湿原は植生調査の結果、湿原中心付近(中心部及びFL地点)は(1)ヤチスゲ・コタヌキモ群落、(2)ウツクシミズゴケ−ムセンスゲ群落、(3)イボミズゴケ− ヌマガヤ群落、(4)イボミズゴケ−ヤチヤナギ群落に、古釜布沼岸近くのF11地点は(5)ミツガシワ・コタヌキモ群落、(6)イボミズゴケ−ムジナスゲ群落に区分された。(Table 1)。
 ヤチスゲ・コタヌキモ群落(F1):本群落は古釜布湿原の中心部付近のシュレンケに成立し、コタヌキモ、ヤチスゲ、ミツガシワ、ナガバノモウセンゴケなどが優占し、種群IとIIによって特徴づけられる群落である。種群IIは、湿原中心部付近ではこの群落にのみ特徴的に出現していた。北海道内ではナガバノモウセンゴケは、サロベツ湿原と大雪山系などの山地湿原に分布する。この群落の種組成は大雪山系沼の原(橘・佐藤 1983)のヤチスゲ−ミカヅキグサ群落に類似するが、コタヌキモ、ミツガシワの出現、ホロムイソウの欠除という点で若干の相違が認められる。サロベツ湿原(橘・伊藤 1980)でも類似の群落が報告されている。
 
Table 1 古釜布湿原植生調査結果(常在度表)
F1: ヤチスゲ・コタヌキモ群落、F2: ウツクシミズゴケ−ムセンスゲ
F3: イボミズゴケ−ヌマガヤ群落、F4: イボミズゴケ−ヤチヤナギ群落
F5: ミツガシワ・コタヌキモ群落、F6: イボミズゴケ−ムジナスゲ群落
群落型 F1 F2 F3 F4 F5 F6
調査コドラート数 10 7 15 9 6 4
平均H層被度 35 66.3 76.1 56.7 61.3
平均M層被度 61.8 65.3 71.7 0.5 77.5
平均種数 9.9 13.1 15 22.2 18 19
 
種群I
ウツクシミズゴケ V +-1 V +-5 III +-4 I 1
ムセンスゲ III +-1 IV 1-2 V +-1
ヤチスゲ V +-2 IV +-1 I + III 1-2 1 1
ミカヅキグサ V +-2 V +-2 I 1 V 1 1 +
ミツガシワ IV +-2 III +-1 I + V 2-3 3 1-3
カキツバタ IV +-1 III +-1 I r V +-1 2 1
シロミノハリイ III 1-2 III + IV 1-2
種群II
コタヌキモ V 1-4 I 1 V +-2
ナガバノモウセンゴケ IV +-4 I +
種群III
ヒメシャクナゲ I + IV + V +-1 V +-1
タチギボウシ I + V +-1 IV +-2 III +
種群IV
ヌマガヤ I +-1 V +-1 V +-3 V 1-3 V +-1 4 1-2
モウセンゴケ I 1 IV +-1 V 1 V +-1 V +-2 4 +-2
ツルコケモモ I + III + V +-1 V +-1 V + 4 1-3
ヤチヤナギ I + III + V +-2 V +-3 III +-1 3 +-1
種群V
イボミズゴケ II 1-2 V 3-5 V +-5 3 4
チングルマ II + II + V +-4 V +-5 1 5
コガネギク III +-2 V +-1 II + 4 +-1
ナガボノシロワレモコウ I + IV +-1 III +-2 III +-1 4 +-2
ワタスゲ III 1-2 V 2
コツマトリソウ III +-1 V +-1
ウスベニミズゴケ II +-1 V +-3
種群VI
イソツツジ I 1 IV +-1
ゼンテイカ IV +-4
ガンコウラン IV +-3
ミツバオウレン I + I + V +-1
アカエゾマツ IV +-2
ヒメツルコケモモ I + II +
タチマンネンスギ III +-1
シッポゴケsp. III 1-3 1 +
スギゴケ II +-2
ハナゴケ I 2-3 III +-3
種群VII
イヌスギナ V 1-2 4 1
ムジナスゲ V 1-3 4 1-2
コハリスゲ V +-1 2 +-1
ミズバショウ V +-2 2 +-1
ホロムイクグ? III 2-3
イトナルコスゲ I + 4 +
サギスゲ III +-1
ヨシ II + 2 +
Eriocaulon sp. III +
エゾノサワアザミ I + I + 3 1
   
ホロムイスゲ IV +-2 V +-3 V +-4 V 2-4 V +-2 4 1-4
サワギキョウ II + III + II +-1 II +-1 III + 3 +
ウメバチソウ II + II + II + 1 +
ワタミズゴケ I +-1 II +-1
ワラミズゴケ 2 +-3
チシマウスバスミレ 2 1-2
Carex sp.2 1 1
Platanthera sp. I 1
Cirsium sp. I +
オオバセンキュウ 1 +
クシロミズゴケ I + I +
ゴレツミズゴケ 1 2
サンカクミズゴケ I 3 I 2 II +-1 1 +
スギバミズゴケ 1 1
チシマカニツリ? I +
チシマガリヤス I +
ツボスミレ I +
トキソウ I + III +-1 II +-1 I +
ハンノキ I +
ヒメイチゲ I +
ヒメシダ 1 +
ヒメワタスゲ I 1
ホソコウガイゼキショウ I +
ホロムイソウ I +
ヤチカワズスゲ II +-1
ラン科sp. I + I +-1
Eriophorum sp. I 2 1 1
Viola sp. I + I r
ハイイヌツゲ II +-1
マイヅルソウ II +-1
Sasa sp. II 2
ムラサキミズゴケ I +-3 II +-4 1 5
オオヒモゴケ I + II 1-3
タイ類sp. I + II + II +
タイ類sp.2 II r-+
チシマシッポ I +
 
 
 ウツクシミズゴケ−ムセンスゲ群落(F2):ウツクシミズゴケ、ホロムイスゲが優占し、種群 I、III、IVによって特徴づけられるシュレンケの群落である。ムセンスゲの優占度が最も高かったのはこの群落である。本群落はシュレンケやその周辺、また、シュレンケがミズゴケで埋まったと思われる場所に見られる。ウツクシミズゴケ、ホロムイスゲが優占しているという点において、沼の原(橘・佐藤 1983)のウツクシミズゴケ群落に類似している。沼の原の群落では底層でウツクシミズゴケが優占し、その上の草本類は水位によってヤチスゲ、ヤチカワズスゲ、ヒメシャクナゲと変化しているが、F2群落はそのなかの水位が高い群落に対応するものと考えられる。
 イボミズゴケ−ヌマガヤ群落(F3):種群III、IV、Vによって特徴づけられる群落である。イボミズゴケ、チングルマがカーペット状に優占し、その上にヌマガヤ、ホロムイスゲ、ヤチヤナギが多く見られる。ウツクシミズゴケが特徴的に現れるコドラートもあった。北海道では高山で見られるチングルマが、高い優占度で現れるのが特徴である。ヌマガヤとイボミズゴケが同時に優占するヌマガヤーイボミズゴケ群落は、サロベツ湿原(橘・伊藤 1980)、霧多布湿原(橘ら 1997b)、歌才湿原(橘・冨士田 1997)、西別湿原(橘ら 1997a)、落石岬湿原(冨士田ら 2002)などで報告されているが、チングルマを欠く点が異なる。
 イボミズゴケ−ヤチヤナギ群落(F4):前群落にイソツツジ、ガンコウラン、ミツバオウレン、アカエゾマツなど種群VIが加わった種組成で、ブルテ上に位置し前群落よりも相対的に水位の低い立地に見られる。この群落でもチングルマ、イボミズゴケが優占し、他にはヤチヤナギ、ヌマガヤ、ワタスゲなどが多く見られた。
 ミツガシワ・コタヌキモ群落(F5):F11地点のシュレンケに成立し、種群I、II、IVからウツクシミズゴケ、ナガバノモウセンゴケを除いた種群と、種群VIIが群落を特微づける。ミツガシワ、ムジナスゲが優占し、コタヌキモが特徴的に出現していた。ムジナスゲ、ミカヅキグサ、ヤチスゲが出現するという点で、霧多布湿原(橘ら 1997b)のムジナスゲ−ユガミミズゴケ群落に類似しているが、ユガミミズゴケが出現しない点が相違点であった。
 イボミズゴケ−ムジナスゲ群落(F6):F11地点のブルテ上に見られ、種群Vの一部と種群IV、VIIで特徴づけられ、イボミズゴケ、ホロムイスゲが優占していた。湿原中心部付近と比べてF5、F6ではホロムイスゲが少なく、種群VIIのfen要素が見られるのが特徴であった。ワラミズゴケ、チシマウスバスミレが特徴的に出現するコドラートもあった。
 
 F1からF4の群落は湿原の中心部付近に成立し、F5、F6群落は古釜布沼岸近くに成立していた。F1、F2のシュレンケ群落は大雪山の山地湿原の植生に類似しており、F3、F4群落は道東の霧多布湿原に類似していた。一方、F5、F6群落はシュレンケ、ブルテに関係なく、道東の低地湿原に類似していた。これらのことから、古釜布湿原の中心部付近と古釜布沼の岸付近で植生に相違があり、その原因はそれぞれの地点での湿原の発達過程と水文環境が異なるためではないか、と考えられた。
 
2. 微地形の特徴
 湿原中央部とムセンスゲの生育するFL地点の微地形測量の結果を、図1に示した。
 ミズゴケが発達した湿原の中心部分はほぼ平坦で、北海道東部地方の発達した湿原のような高いブルテはみられなかった。距離630mあたりから湿原は緩やかに古釜布沼の方向に傾斜していたがその比高は20cm程度であった。
 
図1 微地形測量の結果
 
FL地点
 
 
湿原中心部(ムセンスゲなし)
(拡大画面:21KB)
 
 一方、ムセンスゲが生育するFL地点では、200mの距離で比高が約70cmもあり、すじ状の地形の凹凸が連続して現れ、凹地の部分は滞水したシュレンケとなっていた。この帯状のシュレンケとブルテが湿原内の緩斜面に対して等高線状に連続して配列する地形は(写真1)、「ケルミ−シュレンケ複合体」と呼ばれる。同様の地形は、北海道でムセンスゲが分布している大雪山高根ケ原の湿原、猿払川湿原でも確認されており、極東地域のムセンスゲ生育地はケルミ−シュレンケ複合体であることが明らかになった。
 北欧・北米では、ムセンスゲはアーパ泥炭地と呼ばれる微地形の湿原に生育することが知られている。アーパ泥炭地は周極地域に広く分布する湿原の種類で、シュトラング(string ;帯状の畔部)とフラルク(flark ;帯状のくぼみ)とが等高線状に交互に配列している地形のことを言い、フラルクの大きいものは幅が数百m以上になることもある。ケルミ−シュレンケ複合体もアーパ泥炭地と同様に帯状の地形の起伏が等高線状に配列する地形であることから、ムセンスゲの生育に適した地形の1つと考えられる。しかし北海道の山地湿原(たとえば雨竜沼湿原、大雪山沼の平湿原、沼の原湿原など)のケルミ−シュレンケ複合体が発達するところでもムセンスゲが生育しない湿原が数多くある。また、スウェーデンや北アメリカでは、ムセンスゲがケルミ−シュレンケ複合体もしくはアーパ泥炭地以外の地形で生育している例が報告されている。しかし、少なくとも北海道周辺では、この微地形がムセンスゲの生育に適した微環境を形成していると考えられ、シュレンケの水深や水の動きといった特異的な水文環境、あるいは地誌的な背景などが関係しているものと推察された。
 
写真1
FL地点のケルミ−シュレンケ複合体の様子







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