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(2)国後島の小哺乳類調査報告
内藤由香子
 
はじめに
 国後島は知床半島の東側に位置し、野付半島の沖合16kmに浮かぶ面積1500km2の島であり、北海道とは最終氷期の11万年前から8000年前までの間、陸橋で結ばれていたと考えられている(五十嵐2000)。そのため小型哺乳類相は北海道と共通した種が多く、トガリネズミ類では北海道に生息するオオアシトガリネズミ Sorex unguiculatus、バイカルトガリネズミ Sorex caecutiens、カラフトヒメトガリネズミ Sorex gracillimus、チビトガリネズミ Sorex minutissimus の4種すべてが国後島に生息している(阿部 1994、阿部・横畑 1998)。ネズミ類においては両島で多少の種構成の違いがみられ、北海道に生息する6種のうちエゾヤチネズミ Clethrionomys rufocanus bedfordiae、ムクゲネズミ Clethrionomys rex、アカネズミ Apodemus speciosus の3種が生息しているとされる(子安 1993、阿部 1994)。ただしムクゲネズミについては未だ分類学的な問題が存在するため(岩佐ほか 2001)、検討の余地がある。
 この島の南部に位置する泊山と北部に位置する爺々岳、ルルイ岳を中心とした地域はロシア国立クリリスキー自然保護区に指定されており、手つかずの自然が多く残された野生動物の宝庫でもある。しかしこの地域の小型哺乳類の調査に関する報告は戦前の日本人による報告(岸田 1932、徳田 1934)と戦後のロシア人による報告(Pavlinov et al. 1987、Grigoryev 1988、Okhotina 1993)を含めても多いとはいえない。このためこの地域の小型哺乳類の捕獲調査を行うことで、今後、国後島において保全活動や研究を行う際の有用な基礎情報が得られると考えられる。
 
各調査地の概要
 調査は国後島の東沸川河口付近(南部)、古釜布湿原(中部)、音根別川河口付近、西ビロク湖東側(北部)の合計4地点で行った(図1)。以下に各地域の特徴を示す。
 
図1 調査地点
 
1 南部 東沸川河口付近:ハリギリ Kalopanax pictus やケヤマハンノキ Alunus hirsuta 等の灌木林で林床は高さ2mくらいの高茎草本で覆われている。
2 中部 古釜布湿原:湿原内の砂丘にアカエゾマツ Picea glehni の林が発達している。
3 北部 音根別川河口付近
I. トドマツ Abies sachalinensis、エゾマツ Picea jezoensis から構成される針葉樹林で、林床にはササの一種 Sasa sp.がまばらに生えている。
II. フキ、オニシモツケ等が密生している高茎草本草原。
4 北部 西ビロク湖東側
i. ササの一種 Sasa sp.、高茎草本等から成る草原。
ii. トドマツ Abies sachalinensis、エゾマツ Picea jezoensis からなる針葉樹林。
iii. ハマニンニク Elymus mollis、ハマボウフウ Glehnia littoralis 等から成る海岸荒原。
 
調査方法
 各調査地においてシャーマントラップ、パチンコ又はピットフォールを設置した(表1)。シャーマントラップには撒き餌としてエン麦を用い、パチンコにはヒマワリ又はカボチャの種を誘因餌とし、ピットフォールトラップには少量の水をいれ、それらの罠を設置した翌日に見回りを行い、捕獲された個体を回収した。捕獲個体は阿部(1994)に従って同定した後(ヤチネズミ類は除く)、体重、全長、尾長、前足長、後足長を計測し(付表1)、70%エタノールに保存した。標本は現在筆者が保管しているが、関係者の間で話し合後、希望者があれば研究材料として提供していく予定である。また、多包条虫 Echinococcus multilocularis(エキノコックス)の感染と思われる部分が肝臓に見られた場合、患部を別に保存した。これらは埼玉医科大学の佐藤正夫氏が保管している。
 
表1 各調査地におけるトラップ設置数とヤチネズミの一種の捕獲個体数
調査地 (日目) トラップ設置数 捕獲個体数
シャーマン パチンコ ピットフォール シャーマン パチンコ ピットフォール
1 東沸川河口 灌木林 1 20 10 - 10* 1 -
2 古釜布湿原 針葉樹林 2 30 - 15 2 - 0
3 音根別川河口 I 針葉樹林 3 20 - - 6 - -
II 高茎草本草原 3 20 - - 3 - -
II 高茎草本草原 3 20 - - 1 - -
II 高茎草本草原 4 20 - 15 4 - 1**
II 高茎草本草原 5 50 - 30 6 - 1**
4 西ビロク湖東側 i 草原 6 10 - 15 0 - 0
ii 針葉樹林 7 - 18 - - 0 -
i 草原 7 10 - 15 0 - 0
i 草原 8 20 - 15 0 - 0
iii 海岸荒原 9 20 - - 1 - -
*イイズナとオオアシトガリネズミ1個体ずつを含む **カラフトヒメトガリネズミ1個体を含む
 
国後島の小型哺乳類
・トガリネズミ類
 全体として捕獲個体数が3頭と非常に少なかったが、これまで確認されている4種のうち、オオアシトガリネズミ Sorex unguiculatus とカラフトヒメトガリネズミ S. gracillimus の2種が捕獲された。トガリネズミを捕獲するためのピットフォールトラップの設置数が少なかったことと、調査地が草原や灌木林であったため、そのような場所では劣勢となるバイカルトガリネズミ S. caecutiens は捕獲できなかったと考えられる。チビトガリネズミ S. minutissimus は北海道では道北や道東の湿地に局所的にみられ、絶滅危惧II類に指定されており(環境省 2002)、その詳しい生態はほとんどわかっていない。国後島での捕獲記録はあるが(Grigoryev 1988)、本調査では残念ながら捕らえることができなかった。今後は北海道とともに国後島においてもこの種についての詳細な調査が望まれる。
・ネズミ類
 本調査では生息が確認されている種の中でアカネズミ Apodemus speciosus を捕獲することができなかった。これは、アカネズミは森林性(特に広葉樹林)であるのに、草原や灌木林が今回の主な調査地であったためと考えられる。またエゾヤチネズミ Clethrionomys rufocanus bedfordiae とムクゲネズミ Clethrionomys rex であるが、両種は外見から区別することが難しく、北海道では希少種であるムクゲネズミが捕獲個体の中に含まれている可能性があるため、表2ではまとめてヤチネズミの一種と記述した。これらヤチネズミの一種は調査地すべてで捕獲されたが、西ビロク湖東側では1個体と極端に少なかった(表1)。これについては西ビロク湖東側が4つの調査地の中で最も北に位置しているため、繁殖期が他の地域よりも遅く、当年個体の分散が遅れている可能性が考えられる。
・その他
 トガリネズミ類、ネズミ類の他にイイズナ Mustela nivalis が1頭捕獲された。これまで生息は確認されていたが、国後島産の標本として保管されているものはおそらくはないと考えられる。このイイズナが捕獲された南部の東沸川河口付近では、設置した20個のシャーマントラップのうち8個でヤチネズミの一種が捕らえられ(表1)、4つの調査地の中で捕獲効率が最も高かった。ヤチネズミ類はイイズナの重要な餌とされているため、この地域は彼らにとって良好な生息地であるのかもしれない。
 
表2 捕獲された種と個体数の合計
Sp. 個体数
イイズナ Mustela nivalis 1
オオアシトガリネズミ Sorex unguiculatus 1
カラフトヒメトガリネズミ Sorex gracillimus 2
ヤチネズミの一種 Clethrionomys sp. 31
 
図2 捕獲されたヤチネズミの一種
Clethrionomys sp.、カラフトヒメトガリネズミ
Sorex gracillimus(1)とイイズナ
Mustela nivali(2)
 
 
おわりに
 今後は、まずヤチネズミの一種とされている31個体の同定をしなければならない。もしそのなかにムクゲネズミが含まれていれば、分類学的に重要な標本となるだろう。トガリネズミ類とイイズナは個体数はすくないが標本としての価値が高いと考えられ、これらの個体は遺伝子分析などに用いることも可能である。このように基礎的な情報の蓄積のために今回捕獲した個体はできるだけ活用していきたいと考えている。
 
謝辞
 現地で調査を行うにあたり、多大なご協力を頂いたロシア国立クリリスキー自然保護区のアレクサンドル V. スコロボガチ氏、アンドレイ ログンチェフ氏、ナターリア A. エリョメンコ氏、オレグ L. チェガエフ氏、ヴィクトル M. オシェリフスキー氏、並びに捕獲方法などについての適切なアドバイスを頂きました北海道大学北方生物圏フィールド科学センター助教授の斉藤 隆氏に深く感謝申し上げます。本調査は日本財団、自然保護協会(ProNatura ファンド)、地球環境財団、損保ジェパン、経団連自然保護基金から助成を受け、NPO法人北の海の動物センター主催のビザなし専門家交流訪問の枠組みの中で行われた。
 
参考文献
阿部 永(監修). 1994. 日本の哺乳類. 東海大学出版会、東京.
阿部 永・横畑 泰志(編者). 1998. 食虫類の自然史. 比婆科学教育振興会、庄原.
Grigoryev, E.M. and S.V. Bashilov. 1988. On the distribution of the Siberian shrew (Sorex mimutissimus Zimm., 1780) in the Kunashir Island. Byull. Mosk. O-va. Ispyt. Prir. Otd. Biol. 93:71-73.
五十嵐 八枝子. 2000. 北方四島の地史的・生態的意義−北海道とのつながりについて−ワイルドライフ・フォーラム、6(1):11-21.
岩佐 真宏・芹沢 圭子・佐藤 雅彦. 2001. ムクゲネズミ Clethrionomys rex をめぐる分類学的問題. 利尻研究、(20):43-53.
環境省自然保護局野生生物科(編集). 2002. 改訂・日本の絶滅のおそれのある野生動物−レッドデータブックー1哺乳類. 自然環境研究センター、東京.
岸田 久吉. 1932. 千島群島の哺乳動物相. 鳥獣集報、17(2):283-306.
子安 和弘. 1993. フィールドガイド足跡図鑑. 日経サイエンス社.
Okhotina, M.V. 1993. [1993]. [Subspecies taxonomic revision of Far East shrews (Insectivora, Sorex) with the description of new subspecies]. Trudy Zoologicheskogo Instituta AN SSSR. 243:58-71.
Pavlinov, LYa. and O.L. Rossolimo. 1987. The Systematics of Mammals of the USSR (V.E. Sokolov ed.). Archives of Zoological Museum Moscow State Univ. vol.25, 284pp, Moscow.
徳田 御稔. 1934. 国後島にエゾトガリネズミ産す. 動物学雑誌、46:577-578.
 
付表1 各捕獲個体の計測値
(拡大画面:225KB)







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