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会場B氏
 個人的には、避難所より自分の家の近くに行きます。
会場C氏
 パネラーの方の話を聞いていますと、行かないほうがいいかなと思いました。時期によって違うし、冬の寒いときとか季節、時間、気候で違うとは思います。長くは居たくないところだと思います。
会場D氏
 話を聞いていると、近くの屋根があって自分のちょっとでも持っている食料をたべて、それから大きい避難所へ行こうかと考えます。
谷口氏
 おそらく気持ちとしては、そうだと思います。
 ここでおそらく、なかなか避難所には行かないという組織が出来上がった場合、ボランティアとしてどういうサポートをしていくのか。サポートは、直接、その人にサポートしていくのか、行政に情報を提供してサービスが届くようにするのか。
 その辺の苦しさや障害ありましたか、広瀬さん。
広瀬氏
 誰も避難所に行きたくない。自宅にいたい。人の目にはここは危ないというところでも、ここを離れたくないという方が多いんです。それでも、やっぱりここは危険だと思った人、ここにはいられないと思った人が、どうしようもないから避難する。つまりは、行かざるを得ない人たちの集まりなのです。
 だから、誰も2ヶ月3ヶ月いるとは思ってもいなくて、ちゃんと帰りたい。1ヶ月以内に次の展望を考えているというのも、ある意味当たり前の話かもしれない。展望を描こうとしているかという事では、100%そう。でも描こうにも描けない方がいらっしゃる。そういった中で避難生活が始まるのです。
 支援に関しても、支援をしてもらえるのが当たり前と思っているのではなくて、本当は自分で買いに行きたい。食べたいものを食べたい。でもそれが実現できないから、せめて出来るようになるまでは支援してくださいよというのが、例えば、お弁当欲しいという事になるわけで、いわゆる甘えではない、やむにやまれぬ事情で支援が欲しいということになるのです。
 そこから、YMCAの例に戻ると行政に要求をしていこう、要望を出していこうということになっていきます。その時にはやはり、被災者殺すのかというような言葉を発しているわけですが、発したくはないわけです。だから、そういうぎりぎりの言葉を出さなくてもそういう事ができる仕組みを作っていくことが、必要かなと思います。
谷口氏
 今のお話を聞いていると、指定避難所では別の問題はあるにしても、今のような広瀬さんの問題はないわけですね。これは、行政が指定するかしないか、そこだけなんです。
鈴木氏
 一応、指定避難所ということで、私がいたところは人数も多かったということもあって、区役所からの職員の方が一人ないし二人常駐するという形でした。ボランティアとの協働という部分で言えば、運営を下でやったボランティアが何をしていいのかこれはいいのかみたいな確認とか、その具体的に物資がいつ来るということを職員の方が話を持ってきて、それの対処法をボランティアが考えるという形での協働は、非常にスムーズでした。その役所の方もずっとつききりだったので、その方もずっとそこで活動していくわけですからそういう意味では、役所がというより人がポイントかなと思う。
谷口氏
 今の時代、神戸の経験から、行政の下にボランティアがいるんだと言う構図は一切ないと、私は思っています。自主的にサポートしていく。
 家が潰れることがないにしても、家に住み続けることができない方が避難所に入られる。そういう中で、避難所の活動なり生活は、行政が手を出してもボランティアが手を出しても難しい。運営についてもやはり被災者が主体になっていく。
 協働というキーワードで、パネラーの方からボランティアとしてどういう事を考えていけばいいかなという点を、お願いします。
牧野氏
 神戸のときの状況をお聞きしまして、この会場の皆さん、避難所に行きませんとの声が多かったけど、いやでも避難所に行かなくてはいけない状況になる場合もある。
 地域に自然発生的にできてくる避難場所についても、指定避難所を核に、支援活動をしたり情報収集やニーズの聞き取りを行う。管理をする側は、指定避難所に来てもらった方が都合が良いのかも知れませんが、そこ以外の人に対しても、どの様な支援を行えばいいのかなど、ボランティアと行政と地域の人で今のうちに話し合って決めておきたい。集中型の避難所から地域分散型の避難所の考え方。
茅野氏
 避難所のトイレについて、日本は文明が発達して、トイレがないからってどこかに穴掘ってすればいいというようなこと、考えないですね。まず使えるトイレをどんどん塞いでいってしまう。東南アジアとか、何もない所で生活している人を見ると、私たちもう少し知恵を働かせる部分あるかな、災害時にも大切かなと思いました。
 私は、東海地震に向けてどんなことを皆さん取り組んでいけばいいのか考えたんですけど、新しい地縁から知り合いに、地縁については、ボランティアネットワークという形で出会いを増やしていかないといけないかな。まだまだミドル世代の方々は地域で防災活動されるかもしれないけど、若い人たちは町会に帰属するなんて意識、まったくありませんから、どこに飛んでいくかわからない、どこに避難するかわからない、そういう人たちをどうカバーしていくのか。お年寄りについてもケアをどうするのか。
 被災者の話を聞いたときに新しいコミュニティは何だろう、どう作っていったらいいのかって事を、避難、避難所ということで話をしたけど、皆さんの避難する場所を小さな町会だけでなく、顔のつながりから考えていくべきでないかな。
鈴木氏
 2点ほど。
 ひとつは補完性という言葉があります。何かといったら、当事者の人たちができることはどんどん自発的にされて、そこで足りない部分をボランティアが補っていく、行政がどう補っていくか。協働の原則、情報公開と言われますけど、それも平たく言えばコミュニケーション。お互い何を考えていて、何を持っていて、どういう資材があって何ができるのかってことをお互いがさらけ出していく。当事者と向かい合いながら作っていく事が非常に大事なんじゃないかな。
 後ひとつは、最大公約数ではなくて最後の一人、少数派の立場にいる人たちが本当に住みよい場所であれば健常者の人も住みよいところだと思うんです。本当の視線というのは最大公約数、みんながこうしたいからこうしようではなくて、一番住みやすい方法というのは、社会的弱者といわれている人たちだと思います。どうしても避難できないから家に居ざるをえない。そういう人達にもっと目を向けるべきだと思う。
 その人が本当に、一時的にでも避難生活をしやすい場所であるならば、ほかの人も過ごしやすい場所になるんじゃないかな。そういう視線というのは非常に大事かなと、この8年間で感じております。
広瀬氏
 三つのことを最後にお話します。まず、こういった場で、ボランティアの立場で被災者の支援をしようという時に、真っ先に考えるのは、直接的に被災者の支援ということを考える。
 でも、被災者支援はそれだけではないと思っています。
 私たちが行政に対して、いろんな事を要求していくというのは、仕組みの話です。行政マン一人一人は、オーバフローを起こしているわけです。ですから行政マンも手が欲しい、本当は。ということは行政マンの支援、手助けをすることも被災者のための支援になるケースもあると思います。例えば罹災証明の発行はボランティアにはできないです。これは行政の仕事。でも、罹災証明の発行するための行列の整理はできる。そこでボランティアの手で整理する。そういった行政マンの支援をすることで、被災者の支援になることもありうるという事は、一つオプションとして考えておいていいことだと思っています。
 二つ目ですがトイレの話、ここに書かれているように、特に初期は悲惨な状況でした。でもそれで疫病が発生したかというとそうではなかった、阪神の場合は。つまり大問題にならなかった。なぜか。冬だったからです。私たちは大地震、といったときに神戸を思い浮かべ、無条件に冬を思う。早朝を思う。でもそんな偶然はありえないのです。あれがもし夏なら最初から大問題。疫病が発生していると思いますね。でもそんな状況なんか、無意識に切り捨ててしまっています。ですから神戸と東海との違いということだけじゃなくて、神戸の状況を思い浮かべるとしても、夏だったらどうだっただろう、昼間だったらどうだっただろう。そういう想像力を働かせて、いろんな対策を考えて頂けたらと思います。
 三つ目、いろんな避難所や、自宅避難を考えてきましたが、もう一つ県外避難というケースがあります。あの人は県外に出たから安心だではなくて、その人たちにも課題が多くあることも、忘れないで頂きたいと思います。
 
 
谷口氏
 東海地震が発生した時にはかなりの数の被災者が出ます。その時点で、行政とボランティアはけんかをしていては、何をしているかわからない。そういう事がないためにも、日ごろからボランティアとしての力をつけつつ、行政といろんなコンタクトを取っていただきたい。皆さんの活動が、行政として何が支援できるかということを、きっと行政は考えている。そういう形で、各ボランティアと行政の目に見えるお付き合いを増やしてもらいたい。
 それからコミュニティを作っていく。ボランティアではなくて、コミュニティの一員として、コミュニティを少しつなげていくような、そういうことも自分の家の周りの活動としてやっていただく。通常の活動、行動がいざというときに役に立ちます。







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